かつてない練習の日々 5
さて、大御所の一言で陽介の練習を受け入れた永竹クラブは、全員揃ってからのウォーミングアップをはじめ、一連の練習を短時間でこなすことに、大分慣れて来た。
当時永竹クラブが加盟していた連盟の公式戦は、5月一般大会・7月企業の冠が付いた家庭婦人大会・9月家庭婦人大会・11月一般大会・3月家庭婦人大会、その他臨時にその年度内に他地区との交流戦などが1~2回家庭婦人大会として開催される時があったが、公式戦としては、原則年間5回であった。11月の一般大会で優勝すると、永竹クラブが加盟していた連盟A区の代表として上部大会である、都大会に出場出来た。しかし以前話した通り、A区においても一般大会には、バリバリのプレーヤーや若手プレーヤーで構成されたチームが出場し、ネットの高さも家庭婦人2m5cmに対し2m15cmと高かったため、永竹クラブのような、メンバーの主体がママさんバレーの資格で構成されているチームは、中々優勝することは出来なかった。
陽介が永竹クラブの監督を正式に引き受けたのは、9月の家庭婦人でボロボロに敗けた後であった。当然11月の一般大会は、相手チームが企業のクラブチームであったことにもよるが1回戦で敗けた。陽介が新しい練習メニューを言い渡したのは、12月の初め。要は3月からの5回の大会で結果を出さなければならなかった。
全員揃ってからの練習を終え、休憩を挟んで次の練習に入るのだが、陽介がさせた練習は、
一、ランニングパス
参加メンバーを半数ずつに分け、コートのサイドラインに縦一列に並べ、反対側にいる者にパスを出し、その後反対側のサイドラインまで走らせる練習。その時全員で大きな声で100回まで回数を数えさせ、もし100回に到達しない場合は、1回(最初)からやり直させる練習。オーバーパスとアンダーパスとも100回する。
二、二段トス
参加メンバーを半数ずつ分け、コート内2ヵ所に(バックレフトとハーフセンター)配置させ、相手前衛レフトが攻撃をしてくることを前提に監督がボールを打ち、バックレフトに位置した者がそれをハーフセンターの位置(やや右斜め上方に)にレシーブし、ハーフセンターの位置ににいる者が、前衛レフトアタッカーにトスを上げる練習。時間と質量により場所を変更する(バックライトとハーフセンター、二段トスの先も前衛ライトになる)。レシーブをした者は、次はトスを上げる位置に走って移動する。
三、サーブ・サーブカット
練習時間が短いため、参加メンバーを、サーブを打つ者、サーブカットとトスを上げる者、それを打つ者の3つに分けてする練習。
の3つがメインであった。これに時間があるときは、ミニゲームをし、勝負にこだわる感覚を身に着けようと、敗けたチームには簡単な罰ゲームをするようにした。しかしミニゲームをやれるような時間は、当初中々つくれなかった。全員が参加して練習をしているため、転がっているボールのケアが出来ず、ことごとく練習が中断してしまうからだ。




