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雪降る夜に

作者: 乾紅太郎

 夜、静けさと寂しさが同居した空間に、一人の男がぽつ、ぽつと歩いている。目立たない黒のロングコートに、頭を覆い隠すように被られている帽子。端目から見ると、まさに彼は夜の様だった。

 一軒の家の前に立つと、彼は白い息を吐き、続いてドアに手をかけてゆっくりと開いた。

「ただいま」

「お帰りなさい。今日はどうだった?」

 玄関の向こう側から聞こえてくる声は明るさで一杯だった。彼は部屋への扉を開いて、初めて帽子をとった。一見普通の人間のようだが、良く見ると小さな羽が背中から生えていた。

「ああ、今日も人々はいつも通りだったよ」

「良かった。だったらきっと神様も祝福して下さいますね」

 椅子に座り、出てきたミルクティーをゆっくりと啜った。ほのかな甘みが体中にしみわたり、彼はようやく一息つく事ができた。

「ここに来て、もうどれ位?」

「三年になるかな。思えば、長い事ここにいるな。私は」

「私はとっても嬉しい。人に言っても信じてもらえないけど」

 目の前で微笑む彼女の名は宮川ひかりという。彼女の手にもカップが握られており、中身はいつもハーブティーだった。

「君は不思議だね。こんな事初めてだ」

 彼は何度とも知れない台詞を彼女に言った。言われた彼女はそう? というかのように髪を指で弾いた。

「天子様が来て下さるなんて、喜んで当たり前じゃない?」

「天使とはいってもね・・・」

 彼は苦笑を禁じえない。いくら天使とはいえ、自分は司るのは死、なのだから。

「後一年かあ、何しようかなあ」

 彼女は初めて彼に会ったとき言われた言葉を思い出して呟いた。彼女の寿命は残り一年。それが天界が決めた、彼女の残された時間だった。彼は言われた通りそれらを対象者に伝達し、その後の動向を見守る。たったそれだけ。

「本当に神様に会えるなんて」

「別に絶世の美男子というわけでもないよ。あくまで外見は普通のお方だ」

 若い女性らしく目を輝かせる彼女に彼は現実を突き付ける。少なくとも、外見だけならば神より優れている者はいくらでもいた。

「それでも会いたいの。貴方は黙ってて」

「はいはい、会ったときに後悔する事だな」

 ここに来てから、彼らのこうした掛け合いはいつもの事だった。

「初めて貴方がここに来たときも、雪が降ってたなあ」

「そうだったかな?」

「もう、覚えてないの?」

「天使も物忘れが激しくてね」

「何それ」

 初めて会った日、残された寿命を告げられた彼女はあっさりとその運命を受け入れた。それどころか、彼をそのまま部屋の中に入れて、こう言ったのだ。

『じゃあ、私の側にいて最後まで見ててくれない』

 彼は、別段住む場所を決めているわけでは無かった。だからここに住む事にも支障は無かったのだが、誰かと住む、と言う事が未経験だった彼にとっては、それはとても珍しい経験になっていた。現に今も、一人の時は決して口にする事は無かった物を口にしている。

 ここに居ついた彼がまず始めたのはこの街の人間達を見て回る事だった。今まで彼が見てきたのは死に行く人間ばかりで、しかもそんなに時間が残されているわけでは無い者ばかりだった。原則として、一人の人間に対して一人の天使がつくことになっている。

 ところが今回こんなに時間が与えられたため、彼は初めて生きている人間という物を見た。最初はその活気にも、いつか死んで行くのに。という寂しさしか感じる事は無かったが、いつのまにかそれが人間なのだ、という肯定的な価値観を持つに至っていた。

 これも彼女の側にいたからだろうか、と彼は思う。あの時彼女の側にいる事を拒み、そのまま別れて現世を意味も無くふらついていたとしたら、自分はどんな価値観を持つに至っていただろうか。

「それもまた意味の無い問いだな」

「何が?」

「いや、独り言だ」

「そればっかり、偶には教えてください」

「気がむけば」

「生きているうちにお願いします」

 起こった様なポーズを取る彼女のそれが、演技だと言う事を彼は良く分かっていた為。彼はそれを無視して気になっていた話題へと話を変えた。

「書けたかい?」

「ああ、あれ? もう少し。絶対完結させるから待ってて」

 彼女は一つの物語を書いていた。どんな話かは教えてくれてはいないが、心温まるお話にしたい、と彼女は言っていた。そう言うのなら、きっとそうなのだろう、と彼は思う。そのお話に心動かされる者もどこかにいるのかもしれない。その中に一人になれたら光栄かな、と彼は密かに願った。

ふと窓を見ると、中のよさそうな五人の家族が外を歩いている。どうやら一番下の子供が駄々をこねているらしい。姉と思しき人物はもう、と頭に手を当て、母親と父親はにこやかにそれを見守り、兄が妹を抱き上げて、何かしら言った。すると駄々をこねていた子も笑顔になり、彼らはまた歩き出した。彼の好きな物の一つ、家族の典型的な絵だった。

にこやかにそれを見守る彼を見た彼女はごほん、と一つ咳をしてから仰々しく姿勢を整えた。

「だが、タイトルだけは教えてあげない事も無い」

「ほう、何と言うのかな」

 視線を彼女の方に戻した彼に、彼女は花のように微笑みながら彼の耳元でゆっくりと、囁いた。

「恋の魔法」


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