4 勘違いにしよう 狙う者
やっとお引っ越しです
昼になり、昨夜の雨が嘘のように晴れた空の下で見る彼は、とても殺人鬼には見えなかった。
風に軽やかになびくさらさらとした白っぽく淡い銀髪。太陽の光を帯びながら端整な顔を縁取り、襟足の少し長い髪を瞳と同じ紫色のヒモで束ねている。上背のある身体に合わせて作られた紳士服は、シンプルだが一目で高級な仕立てのものと解る。
昨夜の姿が見間違いだったのかのように、どこから見ても良家の紳士にしか見えない。
何で、ここに首なし紳士がいるの!?
他人のそら似?
いや、でもでも向こうも私見てるし、初対面で普通は凝視してこないよね。
目が合ってるし。昨夜、顔を覚えられて私が昨日の目撃者ってバレてるとか。
むしろ、追ってきた?わざわざ、向かいの家に引っ越してきてまで?どうして私の家が分かったの!?
・・・どうか、私の勘違いでありますように!
タニミアも此方に視線が向いたのに気付いたのか笑顔になる。相手が殺人鬼だと知らないから当然だ。
「あら。こっちを見てるわ!やっぱり素敵ね」
「・・・本当に、あの人が引っ越して来たの?実は知人や家族用じゃなく?」
「その辺は抜かりなく。間違いなく、彼がひとりで住むらしいわ」
呑気に手を振っているタニミアを視界の端にとらえながらも、目がそらせず頬を引くつかせ、背筋に嫌な汗が流れる。
窓越しに彼が会釈をしてきたので、強張った笑みでカーテシーをぎこちなく返す。さりげなくお互いの視線を外した。
彼はそのまま、管理人と話しながら向かいの家に入って行ったので、モルディーヌは漸く安堵の息を吐いた。
「彼はモルが気に入ったのかしら?」
「へっ!?」
「だって、私なんか視界の端でモルばっかり見つめていたわ。私の方が話した事あるのにずるいわ」
「あれは、きっと・・・私のドレスがみすぼらしくて驚いたのよ」
むくれるタニミアに苦笑いを返し、自分のドレスに視線を落とす。
もし、というよりは。そうであって欲しいが、モルディーヌの勘違いであった場合、殺人鬼の濡れ衣をかけられない。ゲオルグにも念を押されたから、もし殺人鬼だとしてもタニミアに喋って巻き込む訳にいかない。
タニミアには、さりげなく距離を置くように誘導して、シーズンが終わり次第すぐさま領地に帰ってしまえばいい。そうすれば、彼が本物の首なし紳士であったとしても、逃げ切れるはずだ。
その為、彼がモルディーヌを見ていた理由を考え、治療院で汚れてもいい用に着古されたドレスを言い訳に選んだ。
案外、本当にみすぼらしさで目を引いただけかもしれない。
「むぅ。そうかしら?」
「そうに違いないわ」
「それはそれで不服だわ。ディナーの時にお洒落して見返しましょう!私の可愛い従妹の魅力に気付かせてやるわ!モルは素材はいいのに手抜きすぎるのよ」
「私はいいって。タニミアがうんとお洒落しなよ」
私に目を向けたくないのか向けたいのか、よくわからない従姉に呆れつつ、手早く準備を済ませてからランチを食べに出かけた。
昼時に、食欲をそそる匂いが立ちのぼる飲食店通りを歩く、金茶色の髪をしたふたりの娘。楽しげに話しているその姿を、人混みを少し外れた場所から観察する男達がいた。
「彼女がそうですか?」
「ああ。おさげで小柄な方だ」
のんびりした口調の優男の問いに、もうひとりの男が苛立たしげに答える。
「中々可愛い顔してるじゃないですか。楽しい仕事になりそうですね」
「ちっ。遊ぶなよ」
苛立った男が舌打ちを鳴らし、声を低くする。優男は気にした様子もなく、楽しげに笑いながら肩をすくめた。
「勿体無いなぁ。残念ですが、速やかに始末しますよ」
「しっかり殺れよ。あの娘が昨夜の事で余計な事を喋るとまずい」
「誰に言ってるんですか?」
そう言って、優男は通りの人混みの中に紛れて消えた。
残された男は鼻を鳴らし、優男が消えた方とは逆向きに通りを去って行ったが、その姿を建物の影から見ていた存在には気づかなかった。
影からため息がもれる。
「はぁ。・・・やっぱり面倒な事に」
騒がしい食堂とは違い、品の良く洒落たレストランでランチをしていたモルディーヌとタニミア。昼時で席はほとんど満席の為、あまり長居しないように食後の紅茶を飲みながら、今夜のディナーの服装について話していた。
そこに、モルディーヌ達の借り屋敷が建つ中区画担当の駐屯兵長を務めている顔見知りの青年オッカムが顔を出した。
「やぁ、ご機嫌いかがかな?モルディーヌ嬢は昨夜大変だったらしいね!」
「・・・オッカムさんまで冷やかしに来たんですか」
朝から散々、昨夜の勘違いで処理された件を冷やかされているモルディーヌは、うんざりした目でオッカムを見る。
「ははっ、違うよ。中区画の担当の駐屯兵長として、南区画の連中からもらった報告の情報確認に来たんだ」
「それは失礼しました」
「ご機嫌よう、オッカムさん。今日もイケメンね」
眉を下げて笑うオッカムに、モルディーヌは素直に謝った。昨夜から精神が安定するはずもなく、頭の中がもやもやしたままなのだ。
そんな事は知らぬタニミアは、きらきら蒼い瞳を輝かせオッカムを見る。
駐屯兵長を務める割りにまだ若いオッカムは20半ばの、精悍な顔立ちの好青年だ。本当にイケメン好きだな。
「ありがとう。タニミア嬢は今日もご機嫌麗しいようで何よりだね。可憐な従妹殿を少しお借りしてもよろしいかな?」
「ふふふっ。素敵な殿方に頼まれたのでは仕方ないわ。いじめちゃ駄目よ」
「勿論です。情報確認させてもらうだけだからね」
にこやかに話して、タニミアが化粧直しに席を立つ。
入れ代わりにオッカムが席に座り、昨夜南区画であった件の確認がされた。特に訂正すべき点もなく、モルディーヌは相づちを打つだけで済んだ。
「では、モルディーヌ嬢。昨夜の件は勘違いと言う事でいいのかな?」
「・・・はい」
もやもやしたまま、ゲオルグから言われた通りに頷いた為か、納得してないのが分かったのだろう。オッカムが首を傾げ、困り顔で頬を掻いていた。
「良くなさそうだね。不満そうな顔をしてるけど、何か気になる事でも?」
柔らかい声音で問われ、ゲオルグには勘違いにしておいた方がいいと言われたが、オッカムになら本当の事を言っても良いんじゃないかと言う気がしてきた。
元々顔見知りであることも手伝って、モルディーヌは躊躇いがちに口をひらく。
「・・・私は、確かに見たと思ったんです。南区画の人達は信じてくれなかったけど。そうとしか思えない程に、昨夜の事が頭から離れないんです。あんなに、殺気を向けられた事を忘れられ無いし、本当に私も殺されるかと思ったんです。――――あの人も、すごく、血がいっぱいで、酷い亡くなり方、したのに、家族が捜してるかもしれません。だけど、戻った時には何もなくなってて、私が見たことを証明出来なかった」
途中寒気が走り、声が震えた。それでも一息で言い切り、もやもやした思いを吐き出したせいか、少しすっきりした。
顔をあげてオッカムを見ると、困ったような難しい顔をしていた。
「オッカムさんも信じてはくれませんか?」
「いや、そうじゃないよ。報告をくれたのは、南区画のサムって奴なんだけど。現場付近の住人が聞いた悲鳴や物音の証言があったし、サムも確かに血の臭いが微かにしたと言っていた」
「じゃあ、信じてくれるんですか」
「妖精に化かされた可能性もなくは無いけど、何かしらを見た事は信じるよ。ただ、モルディーヌ嬢の見た男が連続殺人鬼首なし紳士だとすると、謎が出てくるのも確かなんだよ」
「言いたい事は解ります。ゲオルグ先生も言ってました。これまでと違い、目撃者である私が殺されてないし、現場からは首どころか死体ごと持ち去られた事ですよね?」
「それ!おかしいよね。今までは、目撃者ごとバッサリだったのに逃がして。モルディーヌ嬢が兵を呼びに行ってる間に、わざわざ死体を隠しに戻るなんて。まるで、人殺しを無かった事にしたかったみたいだ」
確かに、言われて見るとそうかも知れない。
昨夜に関しては例外的な、首なし紳士の思惑とは外れた何かがあったのかも。
例えば、
――――予定してなかった殺人とか?
何かしらのルールに乗っ取って人殺しをしていたけど、今回は違ったとか?だから、死体を隠す必要があったのかも。
でも、それなら私を逃がさないで、一緒に始末した方が確実。
わからない。誰か素晴らしい頭脳をくれ!
「やっぱり、おかしいですよね。だから、ゲオルグ先生には、見間違いと言う事にした方が良いと言われました」
「ああ、それで頷いたの?確かに謎が多すぎる。先生の言う通り、下手に騒がず様子をみた方がいいかもね。案外、首なし紳士はモルディーヌ嬢に惚れちゃって、殺さない為に無かった事にしたかもしれないしね!」
「ぶふっ!?」
からからと笑いながら、オッカムがあり得ない事を言い出した為、モルディーヌは紅茶を吹き出す。咳き込みながら口元を拭い、恨めしげに睨み付けても笑顔を返してくるのが、ちょっぴり腹立たしい。
「ははっ、ごめんね。でも、気紛れじゃなければ、見逃された理由があるはず。モルディーヌ嬢が黙っていれば殺さないつもりなのかもしれないから、とりあえずは見間違いにしときなよ。こっちはこっちで、一応探ってみるからさ」
「わかりました。何か解ったら教えて下さいね」
「機密情報じゃなければね。では、仕事に戻るよ。ランチの邪魔してごめん。タニミア嬢によろしく伝えといてね」
にこやかに手を振りながらオッカムが去って行った後。タニミアを探すと、化粧室の前で友人と会ったのか話が盛り上がっている様子が見える。
まだまだ話し終わりそうに無いなと眺めていたら、オッカムが座っていた席に、見知らぬ男が座った。
予想外な事態に、モルディーヌが呆然と瞳を瞬くと、向かいの席に座ってきた男は、人好きのする笑顔を浮かべて頭を軽く下げる。
「いきなり失礼しました。可愛らしいレディと知り合いになりたかったもので。と、言いたいところですが、先程の兵士との会話が隣の席だった為偶然聞こえました。その内容が仕事上気になったので、少しお話よろしいでしょうか?」
そう言ってテーブルの上に名刺を差し出してきた。大衆向け新聞社の記者のようで、会社名と名前が載っていた。
「キース・ライアーさん?」
「はい。気軽にキースと呼んで下さい。名刺の通り、しがない記者をやってます。――――表向きは」
人差し指を口元に持っていき、キースは声を落とした。
「お嬢さんは、《秘密の影》をご存知ですか?」
ネーミングセンスがありません。