2 殺人鬼の目撃者 暗い一室
殺人鬼さんこんばんわ!
何でこんな時に、最悪だわ!
まさか、本物の首なし紳士に遭遇するなんて。
自分の運が無さすぎて泣きそう。いや、泣いても何ともならないんだから、逃げるしかないわよね。
でも、ばっちり目が合ってるし。
恐い恐い恐い。普通に生きてきた私は殺気なんて向けられたの初めてよ。恐い。金縛りにあったみたいに指一本動かせない。このままじゃ逃げれない!
カンテラの灯りを消さなかったことにより、相手にはモルディーヌの姿がはっきり見えているだろう。滑る足すら止められなかった自分の迂闊さを呪いたい。
しかも、モルディーヌにも相手の姿が照らされて見えてしまっている。姿を見て逃がしてもらえる気がしない。
モルディーヌの立つ場所から五歩と離れていない距離に居たのだ。
あぁ。私、殺されちゃうのかな。
本当に首を獲られるのかな。
相手は、暗闇に溶け込む様な黒服に、同色のフード付きマントを羽織っていた。
カンテラの灯りを禍々しく反射する抜き身の剣先は黒ずんだ血に濡れていた。雨が剣をつたい、ポタポタと落ちる血に地面が黒ずんでいく。
フードを深く被っていたが、此方を振り向いた時にずれたので顔が見えてしまった。
まだ20歳半ばにいかない若い男で、モルディーヌを見ても驚く事もなく無表情だ。こんな時に出逢わなければ見惚れるほどキレイに整った顔。いや、こんな時に見たせいか人外の生き物の様な美しさに見惚れてしまった。
ただし、モルディーヌに向けられた紫色に不思議な銀の光が射す瞳は鋭い殺気にあふれていた為、色々な意味で心臓の心拍数をあげる。
男は背が高く190センチはありそうだ。只でさえ平均より背が低いモルディーヌは完全に見下ろされていた。
厚手のマント越しだが、鍛えられているのか肩も広いらしく逞しいのがわかる。
左手首に切りつけられた痕があるが傷は浅そうで、モルディーヌが踵を返して逃げたところで容易に捕まえる力もありそうだ。
と、言うより。逃げようにも体が動かない。
脚の長さからして倍は歩幅が違いそうですぐ追い付かれて終わりね。
そう思うと私の脚が短いみたいでムカつくわね。事実だけど。
殺されそうな時に考えるのが自分の脚の短さなんて・・・まぁ、こんなものなのかしら。
こうして男と雨に霞む視界越しに睨み合っていると、急に男が歩みを此方に進めて来た。血の滴る剣がカンテラの灯りを反射して鈍く光って見える。
せめて、痛いのは一瞬で済ませてほしい。モルディーヌは静かに息を吐き歯を食い縛り男を見つめた。
と、男は無表情ながらも端整な口角を少しだけ上げて、紫の瞳に面白がるような光を浮かべた。
「死にたく無いなら、直ぐに立ち去るといい」
そう言って、剣を持っていない掌をモルディーヌの目の前にかざした。
咄嗟に瞬きしてしまい、眼を次に開けた瞬間に男は消えていた。
まるで、最初から存在しなかった幻かのように影も形もなく。残されたのは血の臭いと微かなシダーウッドの香りだった。
・・・私、助かった、の?
あの、首なし紳士に会ったのに?
姿を見たのに、首を切られず見逃された?・・・何故?
ホッとしたら、カンテラを持つ手が震え膝がガクガクしてきた。
傘を放り出したせいで濡れた髪が顔に張り付いている。おさげにしていた長い髪も外套からはみ出していたのか雨を吸い上げ重く、体温を奪っていく。
寒気に歯がかちかち鳴るが、自然と口角は安堵に上がる。
次にハッとして、何とか倒れている人に眼を向けた。
倒れているのは、ゲオルグ先生じゃない。
・・・先生も、私も生きてる。
強張る脚を叱咤して倒れた人に近づく。
もしまだ息があればと思ったのだが、胴体に眼を走らせ完全に手遅れだとわかってしまう。
うっ。何て、何て酷い傷。
けして、浅くない無数の傷。
恐らくとどめになっただろう、左肩から腹まで続く深く引き裂かれた傷。何の怨みがと思う程の強い力で一気に切りつけた痕だ。雨に流され分かりにくいが、当然酷い出血量なのだろう。
倒れていたのは、まだ30歳前後の男。服装は上質な貴族紳士の外套を羽織った服装だ。
顔は驚愕に見開かれたような濁った瞳に異様に血走った白目、口は最期に絶叫したまま大きく開いており、降り頻る雨水を取り込んでいた。
潰れたシルクハットや、争ったときに取れたのだろうカフスが落ちていた。剣に狼の紋が入ったカフスがカンテラの灯りで光る。
近くに、襲われた際に弾き飛ばされたのか、折れた剣が鈍い光を返してきた。
その時、少し離れた場所から物音や声が聞こえてきた気がした。雨音でわかりにくいが、さっきの男がまた誰かを襲っているのかもしれない。
モルディーヌは死体から目を背け、来た道を走って戻った。
あれだけの絶叫が響いたのに、通りには誰もいない。見回りの兵士は当てにできない。滑る足をなんとか進め、一番近い南区画の町方兵隊駐屯所に駆け込んだのだった。
「さて、例の件はどうだった?」
暗い一室で、40歳半ばぐらいの男の静かな声が響く。
「はい。作戦通りに討ちました」
若い男の淡々とした声が答えた。
この部屋にはふたりしかおらず、豪華な部屋にふたりの声がよく響いく。
「やっとか。10年は長かったな」
「ですが、まだ終わりではありません」
「うむ。しかし、後少しであろう?」
「長かった10年に比べたらです。後一息ですが、だからと油断はできません」
「ところで、怪我はないか?」
そう言って男が向けた視線の先は、若い男の左手の裾から覗く包帯だった。若い男は右手で左手首を隠して首を振る。
「かすり傷程度ですので問題ありません。しかし、」
若い男が途中から歯切れ悪く言葉を濁す。
日頃から淡々と感情を込めずに話す若い男には珍しい事だと思った男が首を傾げた。
「どうした?」
「・・・討つところを目撃されました」
「ほぅ?雨の中御苦労な事だ。見回りしておった町方兵士か」
「いえ。若い娘でした」
「若い娘!?」
男が暫く言葉を失った。
そしてニヤリと笑うと、その様子を見た若い男の目が警戒する様に細くなる。
「雨の夜に一人でか」
「・・・はい」
「ふむ。美人だったか?」
「は?いえ、どちらかといえば華奢で可愛ら、・・・この情報は必要ですか?」
「もちろん。それで?どうした?」
男が楽しそうな声で笑うのを、若い男は冷めた目で眺めていた。
「他に人が集まると面倒なので姿を消し、一旦娘を逃がしました」
「ふむ。その娘はどこの誰か調べたか」
「はい」
「結構。では、直ぐに後始末をしろ」
「承知しました。御前失礼いたします」
言葉と共に若い男は扉を使うことなく、陰に溶ける様に消えた。
男は狼狽える事なく苦笑いで見送りながら呟く。
「くくっ、そんなに急いで何をするのだかなぁ?」
「・・・どうして?確かに、見たのに」
駐屯所から兵士と共に戻って来たモルディーヌは茫然とした。
「ちっ、何もないじゃないか!!」
イライラしたやる気のなさそうな声がモルディーヌを責めた。南区画の町方兵隊駐屯所に偶々来ていた王宮内兵舎所属の第5部隊3班副長イーサン・スクラープだ。
首なし紳士の騒ぎで、町方兵隊のみならず、普段は王宮内に勤めている部隊も見回りにかり出されているらしい。町方駐屯兵より格が上のイーサンは此度の件に煩わされるのが不満なのか終始機嫌が悪い。
モルディーヌが駆け込んだ時、駐屯兵達は今話題の殺人鬼の目撃情報に色めき立ったが、イーサンだけはモルディーヌを睨み付けてきたのだ。立場上動かざるをえないから仕方なく来たと、態度を改める気もない様だ。
今も、不快そうにモルディーヌを睨み付けている。
「ここに、倒れていたのに・・・」
そしてイーサンが言うように、何故か現場から死体が消えていた。
「はぁ?視力大丈夫か?何もないだろーが!!」
「まぁまぁ。イーサン殿は落ち着いて下さい。お嬢さんは、本当にこの場所であっているかな?間違いないかい?雨の中でこの暗さだから路地が1本違うとかないかな?」
苛立つイーサンをなだめるように、サムと名乗った中年の駐屯兵が確認してきた。優しく親切な対応をしてくれるサムと睨み付けてくるイーサンの差は何なのだろう。
「間違いないです。確かに此処でした。何故か死体がなくなってますけど」
「ふんっ。最近の死体はふらふら歩くのか?そりゃ恐いなぁ?雨に濡れちゃうから移動しようってか?」
イーサンが馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「今シーズンは12人もの被害が出ているから、ビビッた奴が今までもこんな騒ぎを起こした。今回は馬鹿な娘が見間違いで騒ぐから、こっちはずぶ濡れで良い迷惑だ」
「でも、私は確かに、」
「殺人鬼が闊歩する今時に、しかもこんなどしゃ降りの夜だぞ。ふらふら出歩く時点で頭おかしいんじゃないか?正気を疑うね。自殺願望か知らねぇがこっちまで巻き込むな!」
「まぁまぁ、イーサン副班長。死体も血の跡も雨に流されたのか分かりませんが、確かに鉄錆び臭い空気は残ってますし。悲鳴を聞いたという近隣の証言もあります。便乗した模倣犯や別件の可能性もありますから、もう少し捜索してみましょう」
イーサンに吐き捨てるように言われ、モルディーヌは怒りがこみあがってくるのを堪えた。まさか正気まで疑われるとは。
確かに軽率だったかもしれないが、ゲオルグが心配でいてもたってもいられなかったのだ。
サムは慰めるように笑顔を向けてくれ、辺りの捜索を続けてくれた。モルディーヌもカンテラで辺りを照らして何かないか見て回る。
そして、サムがふと顔をあげてイーサンに眼を向けた。
さっきから、ぶらぶらと突っ立って文句しか言わなかったイーサンが笑っていたのだ。急に機嫌が良くなったのか知らないが気味が悪い。
「イーサン副班長、何かありましたか?」
「いや。なんでもない。ただの塵くずだった。ったく、本当に死体を見たのかよ。頭のイカれた娘の話になんてここまで付き合えば充分だろ?」
まだ言うか!
文句しか言わないなら帰ればいいのに!
しかも何か人の事悪く言いながらも笑ってるし・・・気持ち悪い。
この人の頭がイカれたんじゃないの!?
内心イーサンの態度への怒りがふつふつと沸いてくるが、顔には出ないように歯を食い縛り堪える。
確かに証拠がない。
「本当です。切られていたのは、良いところの貴族みたいでした。30歳ぐらいの男の人で、首なし紳士と争った時に折られたらしき剣等も落ちてました!」
「ほう?では、死体と剣はどこにいった?悪い夢でも見たか。妖精に化かされたんじゃないか?」
何故かイーサンの目は良いことを聞いたと言わんばかりに煌めいた。くつくつと笑う意味がわからない。
なのにモルディーヌを否定するのは何故だろう。何かがおかしい。
「犯人だって見たんです!フードを深く被ってたから髪色とかは分かりませんが、背が190センチ近い大きな男でした!」
「証拠もないし信憑性に欠けるな。一応、この娘の名前と家を控えとけ。次に騒ぎ起こしたら牢屋にぶちこんどけよ!」
そう言ってイーサンは足早に去って行った。
周りの兵士達とモルディーヌは唖然とその様子を見送ってしまった。いくら役職が高いとしても勝手過ぎないだろうか。
む~か~つ~く~!!
証拠が無くて言い返せないのがさらに悔しい!
ハゲてしまえ!
ハゲの呪いをかける為に悪い魔女に呪術ならうぞ!もうっ!
それか、お腹下す呪いね!
もちろん、顔には出さないが目線だけでイーサンの背中に念を送る。
こうして捜索は打ち切られた。
今夜の事はモルディーヌの勘違いの可能性もあるので、明日もう一度兵達がこの場所をあらためる事になり解散させられた。
おかしな目に遭いすぎて納得できない。
送ってくれると言う親切なサムに連れられ、もやもやとしたまま帰路についたのだった。
まだお引っ越しされてません。
次回あたりには・・・