1 雨の夜の殺人鬼
特に深く考えて書いてませんヽ(・∀・)ノ
もう辺りはすっかり暗くなり、雨のせいで陰鬱とした通りを眺めながらモルディーヌ・イシュタトンはひとり留守番をしていた。
毎年、春から秋にかけての社交シーズン中、モルディーヌは田舎にあるイシュタトン領から従姉妹達に付き添い、シーズン中に貸し出ししている屋敷を借りて王都へと出てくる。と言っても、モルディーヌ自身は社交の場には出ない。
幼い頃に亡くなった両親の代わりに後見人となった、父の妹である叔母ヘッター子爵夫人に面倒をみてもらっている身だからだ。
叔母も夫を既に亡くしており、3人も娘がいる。叔母が夫の残した少ない財産で自分と3人の娘、さらには姪であるモルディーヌの面倒を見るのはとても大変だと容易に想像できる。上の娘から年功序列に嫁いでいかねば、とても下の娘や姪の社交の準備などできまい。
モルディーヌの父が残した信託財産は20歳になるまで受け取れず、今年17歳だから後3年も自由がきかない。精々、受け取る予定の領地館に住み続ける権利ぐらいしかないのだ。イシュタトン伯爵位も親族に男子がいないのでモルディーヌが結婚して男子を授かるまではモルディーヌが伯爵位預りの身となる。
財産を受け取れるまではまだあるが、幸いこの国の娘の結婚適齢期は17から25歳と猶予があることが救いかもしれない。
従姉妹達も上から20、18、17歳と全員モルディーヌより少し年上か同い年の為、まだ猶予があり焦りも少ない。
そう言った事情で、社交界に出るわけでもなく暇をもて余していたモルディーヌは、3年前から毎年シーズン中に借りている屋敷の隣に建つ治療院に居座りつつも手伝い始めた。今では弟子扱いとなり、近隣からは変わり者のお嬢さんとして知られる様になっていた。
一応貴族だが、割りと放任主義の叔母や従姉妹達も特にモルディーヌが治療院を手伝うのを咎めたりはしない。
そもそも、一番上の従姉は身体が弱く体調を崩しやすい。それでよくお世話になる治療院の横の屋敷を借りているのもあるのだ。モルディーヌが医術を多少でも学び役に立ちたいと言えば誰にも反対はされない。
後は、治療院の医師ゲオルグの人柄が信用されているのもあるだろう。
「もう!こんなに遅くなるなんて。やっぱり一緒に行けば良かったわ」
モルディーヌはひとり呟きながら外を見る。
夕暮れ時から降り始めた雨が酷く強い降り方になり、表通りに面した大きな窓や扉を叩きつける。窓を叩きつけては流れ落ちる雨水越しの通りは歪んで見辛い。
治療院の窓から通りに向かって、何度目になるか分からないため息を吐き出す。
そう、今モルディーヌは日々手伝いをしている治療院の留守番をしていたのだ。
医師ゲオルグは、ここ王都市街の中区画の南端に位置する貴族街の隣通りにある中流階級の屋敷や独身者向けアパートメントが多い場所で、治療院を20年もしている歴とした王都の街医者だ。
元王宮医師だったらしいゲオルグは腕が良いと評判で、毎日治療院はとても流行ってはいる。が、人の良いゲオルグは貧乏暮らしの平民や貧民街の住人には無償で治療をしてしまうボランティア精神が過ぎる時も多く、収入に対して労働が釣り合っていない多忙な医師である。
もっとも、3年前に知り合ったモルディーヌは、そんなゲオルグの人柄に惹かれ尊敬し治療院を手伝っているのだ。
今では亡き父とは別に、親の様な存在として慕い弟子入り紛いの状態で可愛がってもらっている。
だが、やはり人が良すぎるのは問題だった。特に今は。
そもそも、こんなに遅い時間に先生を連れ出すなんて。今年は、特に危ないのに!
モルディーヌがゲオルグの遅い帰りに気をもんでいるのは、今シーズン中王都市街を騒がせている連続殺人鬼のせいだ。秋口に入り、今シーズンも終わろうとしているのだが、春から今までにもう12人も殺されている。
この殺人鬼が現れるのは辺りが暗くなる宵の刻。暗闇からするりと出てきて、影に溶け込むように消える。
もうっ!先生はお人好しな上に怖いもの知らずだわ!
往診を頼みに来たのは、治療院からそう遠くはない南区画の中程に住む兵士の職に就く男。
夕刻の雨足が強まる中、大あわてて走って来たのだろう。息を切らし、冷や汗か雨か分からないぐらい酷く濡れていた。風邪を引かないか心配になる程だった。
モルディーヌはタオルを差し出したが、兵士はそれどころではないと治療院に入って来るなりゲオルグにすがり付いた。
「妻が、妻が酷い目眩で倒れたんです!妊婦なので、下手に動かすこともできなくて。王宮医師はこんな下級兵士の妻など見てくれず、近くの治療院の先生からは、俺が送り迎えすると言っても夜は事件のせいで危ないと断られてしまいました。困り果てていたら、近所の奥さんが中区画のゲオルグ先生ならきっと来て下さると教えてくたんです。どうか、どうかお願いします!」
ゲオルグが王宮医師や近くの治療院の先生の件で顔を顰めた。内心思うところがあったのだろう、すぐに返事をしてしまう。
「なる程、それは大変だったな。すぐ行こう」
当然、お人好しのゲオルグはすぐに立ち上がり、往診バッグを掴んで出て行こうとする。
咄嗟にモルディーヌはゲオルグを引き止めた。
「ゲオルグ先生みたいに一目でお金の無いとわかる人でも殺人鬼には関係無いです。こんな夜に出るなんて危なすぎます!!」
そもそも、どの医師も来てくれないのには理由がある。連続殺人鬼が暗くなってから現れるせいだ。腕が立のか悪霊だからか、ろくに抵抗できず殺される被害者が多いので誰も外に出たがらない。
だから、兵士の奥さんを助けたい気持ちもわかるが、何て迷惑な近所の奥さんなんだ。と、こんな危ない時にゲオルグの名前を出すなど、ゲオルグがどうなっても良いのだろうか?とも思ってしまう。
兵士にとっては救いの光だろうが、ゲオルグを慕うモルディーヌからしたら複雑だった。
その為、兵士の前だが非難する言葉が溢れてしまった。
そんなモルディーヌの心配をゲオルグが笑って流すのがまた悔しい。
「おいっ!儂を貧乏人扱いするな。失礼な弟子だな!だいたい連続殺人鬼なんぞ、たくさんいるわけでも毎晩出るわけでもないだろう?そうそう会わん。そんなに泣きそうな顔で心配するなよ」
「・・・では、私も一緒に行きます」
「駄目だ。他所のお嬢さんを夜中に連れ出す事はできないからな。どうしてもと言うなら、モルはここで留守番しててくれ」
そう言って、モルディーヌの頭をぐりぐりと撫で行ってしまった。
兵士が申し訳なさそうに帰りも送ると言ってくれたが、ゲオルグは何だかんだ悪いからと断ってしまいそうで不安しかない。お人好し過ぎるのも問題だ。
今年、王都を騒がす連続殺人鬼。
その姿を見たものは皆、口が聞けなくなる。
・・・何故ならば、首から上を失うからだ。
近くにいたであろう、目撃者や被害者の連れていた馬も首から上を失うという徹底ぶり。
人の技とは思えない程の手際の良さで切り口もキレイに一刀両断。首から下に目立った外傷や争った痕も無いという噂だ。
正に人外の悪霊や悪魔の仕業と言われても仕方ない鮮やかな手口だ。
一応貴族令嬢のモルディーヌがどこでそんな物騒な噂を仕入れるかといえば、ゲオルグの治療院に通う患者達からだった。
「今回の聞いたか?まだ若いのに、ひでぇ事しやがる」
「本当に。女子供関係ないぜ」
「あぁ。北区画では、80歳越えた老人まで殺られたらしい」
「物取り目的じゃねぇから貴族や貧民関係無いらしいな」
「こないだ殺られたのは紳士倶楽部帰りの貴族の兄ちゃんなんだろ?」
「おりゃ娼館帰りって聞いたぞ!」
「馬鹿!俺らの天使モルちゃんの前で要らんこと言うな!」
「モルちゃん可愛がってるゲオルグ先生に絞められるぞ~」
治療院の患者が、聞かなくとも流れてくる噂や情報を勝手に教えてくれる。
そして、何の愛称なのか白衣を着ている訳でもないただの手伝いのモルディーヌは『天使』と、いつの間にか冗談で呼ばれていた。正直恥ずかしいが止めてくれないので、もう放置する事にした。
「もう!私も今年で17歳ですから、ちょっとやそっとで先生は怒りませんよ。子供扱いしなくて結構です!」
「いんや、どうかな。例え先生が怒らずとも、俺らの天使モルちゃんに要らんこと吹き込んだアイツは奥さんに絞められるぞ」
「アイツの女房はモルディーヌちゃん可愛がってるからな」
「わぁ~!頼むから嫁さんに言わんでくれ!飯抜かれちまうよ~!?」
「はいはい。大丈夫ですよ。私は何も聞いてませんでしたから」
「モルちゃんマジ天使だ!ありがとう!!ほんと可愛いなぁ、是非うちの息子の嫁にでも、」
「くらっ!調子に乗ると俺らが締めるぞ!」
と、こんな賑やかで気の良い患者さんたちばかりで、モルディーヌは毎日楽しくお手伝いしている。
「冗談はさて置き、先生やモルちゃんは外に往診に出ることもあるだろうから気を付けてくれよ!」
「そうそう。夜は特にな」
「モルちゃんの可愛い顔が無くなっちまったら、おりゃ泣く!」
「泣く処じゃねぇ!首なし紳士の野郎をぶっ殺して、首を取り返してやらにゃあ!」
この連続殺人鬼は《首なし紳士》と呼ばれている。
人間技とは思えない鮮やかな手口と、恐ろしいことに被害者の頭部を持ち去る事により、首なし死体が発見されるから付いた呼び名だ。
悪霊首なし紳士が自分の首を求めて奪い去ったのではないか。と、妖精や悪霊を信じる人々が騒いだからだが、誰も犯人を見ていないので妖精や悪霊を信じない人々もこの事件は人の仕業だと断言できないのだ。
「取り返してどうすんだ、手遅れじゃねぇか!?しかも、お前なんて返り討ちにあって終わりだ。犯人は剣術の腕が相当ある者だろうからな」
「腕が良いなら軍人様の試し切りか?」
「乱心した冒険者だろ。中には変な奴もいるだろ」
「いやいや。きっと本物の悪霊首なし紳士の仕業さ!自分の頭を探して夜道をさ迷ってるのさ!」
「子供じゃねぇんだから。悪霊なんているかよ」
「わからんぞ。家妖精を信じてるやつもいる。家掃除とかしてくれるなら良いよなー」
「馬鹿か。妖精飼うなら嫁貰えよ」
「うるせぇ!嫁貰えるならとっくに貰ってる!」
「しかし迷信深いやつは呑気だな。確か、妖精とかって魔術師様以外には見えないんだろ?」
「悪霊が見える奴は悪い魔女らしいからな。魔女に頼むと嫌いな奴にハゲる呪いかけてくれんだろ?会ってみてぇや!」
モルディーヌが手当てをしている患者の言葉に手が一瞬止まるが、なに食わぬ顔で腕にガーゼを当てて包帯を巻き出す。
人の噂は馬鹿にできないが真に受け過ぎては駄目だ。
笑って話していても、異質なものを実際に目にしたら逃げ出すか奇異の目で恐れるのだから。
「まぁ、見えねぇ俺らにゃ関係ねぇな」
「そう言えば、五年前から就任された軍務大臣様は魔術師様なんだろ?」
「そうそう。軍の組織を実力主義に正して、賄賂とか不正を無くすのに力入れてから町方兵隊達や駐屯所が大騒ぎだってな」
「町民の訴えの遅滞が酷かったから、大臣様代わってから軍も人気上がったよな」
「罪状決まらんで牢獄塔につながれてた者もあらためたら、不正による冤罪の奴が結構いたらしい。手遅れで処刑された奴等は可哀想に。もっと早く軍務大臣様が代わってたらなぁ」
「でも、異例のスピード出世だったらしいから限界だったんだろ」
「そうだな。よぼよぼじーさんからじーさんに代わってもしょうがないからな。軍務大臣様の力でさっさと首なし紳士取っ捕まえてほしいな」
この五年前に就任した軍務大臣ことブラットフォード公爵は、イノンド王国の五大魔術公爵家の当主のひとり。
五大魔術公爵位は王国の五本指に入る実力ある魔術師が授かる一代限りだが絶大な力を持つ位だ。代々五大魔術公爵家は王国の中を5つに分け、妖精や善悪の精霊などの人々には見えない問題を管理解決する仕事を持つ為、他の公爵家と比べても国にとってなくてはならない実力継承式の爵位だ。
中でもブラットフォード公爵家は王都の区画を含む土地の管理をしている為、王家に並ぶと言っても良い力を持つ。
当代ブラットフォード公爵はそれに加え、王国軍のトップである軍務大臣に5年前就任。そんな輝かしい肩書きを持つ偉い方は、一方的に民から期待を寄せられ大変そうだ。
最近では、早く解決しない連続殺人に民の不満も積もりつつあるようだ。
何せ12人もの被害が出ている。
次が出たら13人。悪魔等の善くないもの達が好む数字や悪い魔女が行う儀式を連想させるので、不安の声が大きくなるばかりなのは仕方ないだろう。
「まぁ、大臣様も忙しいだろうからね。はい。手当て終わりましたよ」
「ありがとよ、モルディーヌちゃん」
「無理して動かしたら駄目ですよ」
「はいよ!」
こんな昼間の会話を思い出し、窓から暗闇に眼を凝らす。
じわじわと暗闇から黒い靄が拡がる様に人々を恐怖をうつしていく。
近頃は暗くなると、時折通りに馬車が走るぐらいで王都の民は誰もが店を閉めて家に閉じこもり、殺人鬼の目につかないよう怯えるようになった。
それは、この治療院や借り屋敷のある区画でも同じだ。況してやゲオルグが向かった南区画ならば尚更だ。
「・・・よりによって、南区画」
殺人鬼首なし紳士の被害者12人中4人が南区画で発見されていた。
いつまでも、気をもんでいるだけでは解決しない。
いてもたっても居られず、モルディーヌは治療院の外套を羽織り、カンテラに火を入れる。編み上げブーツのヒモをしっかりしめ、右手に傘、左手にカンテラを持ち治療院を飛び出した。
途端にどしゃ降りの雨が傘を打ち付ける。
バシバシと傘から腕に負担がかかり、カンテラの中に雨水が入らない様に傘の下に入れた。
ひどい雨だわ。
雨のせいでカンテラの灯りが全然届かないから先が見えない。
本当に、気が付いたら目の前に殺人鬼や悪霊が出てきそう。
ゲオルグの治療院の往診用外套はローブマントの形をしており、白生地で肩に沿って赤いラインが入っている。縁取りは金の布が使われており、これらの組み合わせが中区画医療関係者を証明するものらしい。
この外套は撥水性があるらしく雨を防いでくれるが、外套からはみ出たドレスの裾が雨を吸い上げ、足に絡み付き歩きにくい。
モルディーヌは眼を伏せてどんどん早く歩き、すぐに南区画の北口を通り過ぎた。ここまで人ひとりどころか馬車すら見かけなかった。
こうもドレスがへばり付くと歩きづらいし疲れるわ。
ゲオルグ先生が居るのはまだ先なのに。
それにしても雨とはいえ人影が無さすぎない?
みんな殺人鬼に怯えて引きこもるから目撃者がいないのよ。
だから、いつまでたっても犯人が捕まらないんだわ!
モルディーヌは不安やら苛立ちで悶々としながらも足を進めていた。
何度か滑りやすい所があり、何度も転びそうになる。雨でぬかるむ所だけでなく、石畳で舗装された道まで滑るので腹立たしい。
今までで一番大きく滑り、咄嗟に手から傘を落として手を付いた時、
背筋か凍るゾッとする金属音が響いた。
剣らしき物がぶつかり合う音の様だ。激しい雨音のせいで聞き取りづらいが聞き間違いではない筈。
モルディーヌは傘をそのまま放り出し、カンテラを掲げ滑る足をこらえて走った。傘を使うと雨を弾く音が煩くて聞こえなくなってしまう。
音の方に向かって路地を曲がる。
―――――と、その時。
闇を切り裂く人とは思えぬ叫び声が聞こえてきた。
怨み言をか叫ぶようで不気味にひび割れたそれは、悪魔の声と言われても信じてしまうかもしれない。
そして、それに続くぬかるみにべしゃりと重いものが倒れた音。嫌な予感しかしない。
咄嗟に止まろうとしたが、足下が蜜蝋を塗った床のように滑り、路地を曲がるのを止められない。
いきおい良く躍り出た先には、黒い大きな人影があった。
人影はモルディーヌの足が滑る音とカンテラの灯りに気づいたからか振り向いてしまった。
しかも、人影の足下には黒い大きな布の塊のように人が倒れている。
あぁ。まさか、本物の首なし紳士!?
のろのろ更新予定ですがよろしくお願いいたします。