やがて墓守となる、人殺しの魔女
その人間が私の元にやってきたのはある日、突然だった。
「おまえが、わるいまじょか」
舌足らずな口調。男にしておくにはもったいないような長い金髪。そして、その髪と同様、男にしておくにはもったいないような顔つき。宝石のような蒼い双眼。
しかしながら、そのどれもが汚れている。
「そうだ、と答えたら、お前は私をどうする?」
触れずともわかるような、安いマントで体を隠した人間の子。そのマントの下に隠しているものが何か、など知ったうえで私は返した。
「おまえを、ころしてやる!」
そう言うと、子供はマントの下に隠したナイフを高々と振り上げ、私の胸に深々と突き刺した。
「まったく、近頃の子供は物騒だ。お前が信じるものが何かなど知らないが、その教えの中には、魔女は簡単には死なないとはなかったか?」
私がそう言いながらナイフを難なく抜き取ってみせる。
そして、子供の足元に向けて投げて返す。
やれやれ、これくらいの子供なら、これで怖がって逃げ帰るだろう。そう思い、私はその子供の前を通り過ぎ、自宅のある森へと向かう。
だから、背中からの衝撃は予想していなかった。
「……死なないといっても、痛くないわけじゃない。そう何度も刺さないでくれないか。私は早く家に帰りたいのだけど」
「うるさい。おまえが、いろんなひとをころした。だから、おまえをころさないと、おれにはかえるばしょなんてない!」
子供特有の、過程をすっ飛ばした話。けれど、帰る場所なんてない、という言葉で一つの考えが頭に浮かんだ。
「だったら、お前も私の家に住めばいい」
「え……?」
私のいったことが理解できていないような声。仕方がないから、私はもう一度言ってやることにした。
「だから、お前も私の家に住めばいい。刺されても死なない私を恐れず、もう一度刺しに来た度胸が気に入った。帰る場所なんてないのだろう? だったら、黙ってついてこい」
そこで、背中にナイフが刺さったままでは歩きにくいと思い、引き抜いてもう一度子供の足元に投げて返す。
「それが嫌なら、その刃を自分に向けるか、飢え死にでもすることだ」
そう言ってもう一度家に向けて歩き出す。
私の後ろをついてくる足音を聞きながらの家路は、退屈な魔女生には珍しい変化だった。
「ああ、そうだ。私と住むなら、いくつか決まりを作らせてもらう。人間の言うしつけみたいなものだと思えばいい」
「……おれに、しつけ?」
「まずは、しゃべり方をもっと上品にすること。一人称は俺じゃなくて、私。それが無理なら、せめて僕にしろ。お前の見た目は、悪くはない。その外見の活かし方を教えてやる」
家の前で、私は子供に向けてそう口にした。
「おまえみたいなのが、できるのか。そんなこと」
「目上の相手はお前じゃなくて、あなたと呼ぶこと……魔女は人の心を惑わせる術は得意だ。私も、魔女流の化粧をし、少し演技をすればそこらの国の一つや二つ、一晩で傾かせることができる」
口の端をあげてそう言ってやると、子供は黙ってうなずいた。
「それじゃあお互い、名前でも教えあおうか。私はマリオン。お前は?」
「……ケリー」
「そう。次からはケリーと申します、と言うように」
その日から、私は人間……ケリーに紳士として生きるための術を教えてやることにした。
こんな子供の魂ひとつをささげたところで魔女の信仰する相手は喜ばない。だから、紳士として育て、将来多くの人間を引きつけさせたうえで相手にささげようという目論見だ。
「マリオン、きょうのメシなに?」
「『マリオン様、本日の夕飯は何ですか?』だ。繰り返しなさい」
「……マリオンさま、ほんじつのゆうはんはなんですか」
ケリーとの生活は、思っていたよりも早く過ぎていく。
「マリオン様、ワルツのステップはこれで合っていますか?」
「基本的には。だけど、まだ私の人形にリードされている。紳士たるもの、淑女をリードできるくらいにはならないと一人前とは言えないよ」
「かしこまりました」
見下ろしていたケリーが、ふと気が付いてみれば、視線が並ぶようになり、私に対して使う言葉もそれなりに整った。
「マリオン様、一曲あなたと踊る光栄を私に授けてはくださらないでしょうか」
ケリーがそんなことを言いだしたのは、ケリーが私を見下ろすほどの背になってからの事だった。
「いやだね。お前と踊るのは、お前に魂をささげてもいいと思った人間だけだ」
そのころには、ケリーの粗野な言葉遣いはすっかり抜け、それでいて子供の頃同様の女と見まごうような顔つきの紳士に育っていた。
しかし、私はあくまでケリーを道具として利用するために育てているのだ。そのことは道具としての価値があるとしか思わない。
「……マリオン様。私とて、一人の男です。踊りの相手がいつまでたっても人形というのは、いささか退屈します」
「それなら、私を相手にするよりも街の娘でもひっかけてくればいいだろう」
そう返した時のケリーの残念そうな表情は、人間の心を揺さぶるには十分だったろう。
「…………今宵の食事を、準備してまいります」
そう言い残して、逃げるように部屋を出ていくケリー。
私の料理する様子を見てきたケリーは、見よう見まねで料理もするようになっていた。だから、その言葉はおかしくない。
それなのに、私の心はなにか奇妙な動きを見せた。
その後も、ケリーは何かと私を人間の女のように扱おうとし、そのたびに私の心は奇妙な動きをするようになった。
「マリオン様、明日の食事は、いかがいたしましょう」
「いつもと同じで構わない」
そんな日々を続けたある日、私は一つの決意を固めた。
「それよりも、問題がある」
「問題、ですか。何事でしょう?」
「ここ最近、魔女として働いていなかった。だから、そろそろ人間の魂をささげなくてはならない」
「……かしこまりました。いつかこの日が来るだろうと思っておりました。この魂、いかようにも――」
「早とちりが過ぎるよ、ケリー。たしかに、お前の魂もいつかささげる。けれど、それだけならばとうの昔にそうしていた――ケリー。私の教えによって、紳士となった人間。紳士としての技を用いて、お前が美しいと思う者をひっそりと殺めなさい。美しい者の魂は、私たちが崇める相手を喜ばせる。それができないのなら、お前に用はない」
ケリーを使う。その決意を固めたのだ。
「……私が、そう思う者を殺せ、と?」
「そう。お前はもとよりその為に育ててきた道具。その程度もできないのなら、お前に用はない。用のない者を住まわせる余裕はない。だけど、魔女を殺そうとしたお前なら、たやすいことでしょう。仕留めたら、その証拠になる品を持って帰ってくること」
私の言葉に、ケリーはただ黙っていた。
「今日の夜のうちに、答えを出しなさい。私が明日の朝起きてもお前がこの家にいたら、お前は役に立たない道具だったと思って、処分する」
これでいい。私は当初の目論見どおりに動いている。
心の中でそう言いながら、私は自分の部屋へと向かった。
そして、翌朝。ケリーはいなくなっていた。
待つこと、一日、二日。三日……一週間。しかし、ケリーは帰ってこなかった。
……怖気づいて、逃げ出したか。そう結論付けて、私は自身の手で魂を集めなくてはならないと、重い腰を上げた。
家を出て、箒にまたがり、空を飛ぶ。近くに街はいくつかある。適当な街へ向かい、適当に選んだ魂を奪おう。
しかし、街中を歩いていてもなかなか良いと思う魂と出会わない。どれもこれも、二束三文にすらならないくだらない魂としか思えない。
なぜだろう。昔は、これだけ歩いていれば一人は見つかったというのに――。
しかし、裏路地に入ったところで、私はこれぞと思える魂を見つけた。
「……懐かしいですね。あなたと出会ったのも、この街でした」
しかし、なんだろう。この心の動きは。
「あの頃の私は、まるで礼節など知らず、居場所を求めるだけの、野の獣にすぎませんでした」
うれしい。だが、うれしくない。
「ケリー。首尾はどうだ」
自分の心にふたをするように、そう口にした。
「……申し訳ございません。この街では、候補も見つかりません」
「なぜだ。お前ならば、女など向こうから寄ってくるだろう」
「おっしゃるとおりです。さすがのご慧眼です」
「世辞ならいらない。私が求めるのは、魂だ」
いや、たしかに心にふたをしているのだ、私は。
「……マリオン様、あなたが私に出した魂の条件を、覚えていらっしゃいますか?」
「お前が美しいと思う者の魂だ。忘れるはずもないだろう」
やめて。それ以上しゃべらないでくれ。
「でしたら、私は、たった今、見つけました……マリオン様。あなたこそが、私にとって、美しい者です」
「ふざけるな!」
どうか、私の心にしたふたを、外さないでくれ。そう願うように、怒声を上げる。
「ならば、お前はどうするつもりだ! 一週間だ、一週間だぞ! そんなにも長い時間をかけて、出した答えがそれか! お前は、私の魂をささげろというのか!」
「……ええ、そうなります」
「っ……! 予想以上の役立たずだな。ならば、せめて私自身の手で、魂を送ってやろう」
「マリオン様。私は、あなたの信仰する存在にあなたの魂をささげろとは述べておりません」
「ならば、何にささげろというのだ!」
ああ、言ってしまった。こんなことを言えば、ケリーがなんと返すかなど、分かっているというのに。
その言葉が、私が心にしたふたを外すと分かっているのに。
「どうか、私にあなたの魂をささげてはいただけませんか」
やはりか。やはり、お前はそう返すのか。
ならば、次の言葉もそうなのだろうな。
「マリオン様。あなたの魂を私に。そして、私の魂は――あなたに、ささげます。それでは、いけませんか?」
「そんなもの……良いも、悪いも、ない。お前の目は飾りか。私より美しい娘など、掃いて、捨てて、なお余るほど、この街にいただろう」
「いいえ、ただの一人たりとも」
ケリーは、そう言い終えると私の方へと一歩、歩みを進めた。
「ならば、私がお前を王宮にでも潜り込ませてみせよう。お前ならば贅の限りを尽くせると、約束しよう」
「いいえ、そんなものにはあこがれません」
また、一歩。
「ならば、何を望む?」
「叶うのならば、あなたと二人で過ごす日々を。私が終わりを迎えるその時まで」
「あのような日々に戻りたいというのか? あれのどこが良いというのだ?」
「あなたが、私だけを見てくださること。私が、あなただけを見ていればいいこと。これ以上の贅沢は、神であろうと、あなたの信仰するものであろうと与えることはできません。それができるのは、マリオン様。あなただけです」
その言葉に、私は返す言葉を失う。
そして、その代わりに、いつかのようにケリーの横を通り過ぎて、家へと帰ろうとした。あの時とは違って、逃げ出すように。
「逃しませんよ、マリオン様」
しかし、それもケリーに腕をつかまれて、無駄に終わる。
いや……私は魔女だ。いくらでも抗いようはある。
ただ、抗いたくなかったのだ。
抗って、私の腕をつかむ幸福を、遠ざけたくないのだ。
「……どうか、お返事を。マリオン様」
卑怯だ。
そんな問い、答えなど決まっている。
「……後悔しないか」
「するはずがございません」
「絶対に……絶対に、後悔しないのだな」
「絶対に、後悔しません」
ああ、答えなど決まっているのに、なぜ私はこんな姑息な言葉を発している。
「マリオン様。お返事を」
だめ押しをするな。答えなど――私の心が、奇妙な動きをした時から、きっと決まっていたのだから。
「……帰るぞ。ささげる魂を見つけてからな」
「はい! 御心のままに!」
「言っておくが、お前の望んだことだ。途中で後悔でもしようものなら、その時点でお前は贄とするからな」
「そのような日、訪れるはずもございません!」
そう言うと、ケリーは私を抱きかかえた。
「あなたの、漆黒の瞳に、私だけが映る幸福。あなたの黒緑の髪に私だけが触れられる至福――」
カラスのようだと、この国の人間が嫌った私の特徴を、褒めるな。反応に困る。
「――そして、その薄紅の唇に、口づける光栄に、飽きるはずもありません」
――ん?
「少し待て! たしかに、私はお前との日々を望んでいる。だが、そう言うことはどうかと思うのだ!」
私の顔に近寄っていた女と見まごうばかりの美貌を、私の肌に触れていたさらさらとした長い金髪を払いのけながらそう口にする。
「その、だな。私にとって、お前は私の知る人の心を惑わす術を授けた弟子であり、お前が幼いころより共に過ごした……我が子のような存在であって……口づけを交わすような仲ではないと……思うのだが……違うのか?」
私の言葉に、ケリーはあからさまに残念そうな顔を浮かべた。
心を揺さぶられようと、口づけなどさせてなるものか。
「……………………残念です」
そう言うと、ケリーは私をそっと地面に立たせた。
「とにかく! ささげる魂を見つけてかえっ――ひぁっ!?」
火照る顔を隠すように背中を向けた途端、首筋にキスをされた。
「首筋へのキスは執着、でしたね……? かわいい声を、ありがとうございます」
「お、おまっ……ハレンチな……っ!」
「……共に、過ごしてくださるのでしょう? 絶対に、諦めなどしません」
もはや、全身が火照り、どこをどう隠せば良いかもわからない……。
「家族愛が、いつか異性愛に変わるよう、私は教わった術をふるい続けますからね……?」
そんな言葉を聞いて、私は勘違いしていたことに気付く。
後悔するのは、ケリーではなく、私だったのだ……。
「合意が得られるまで、私も我慢しますが……限界というものもございます。限界を越えてしまった時は、どうぞ抵抗なさってください……本当に、お嫌ならば、ですが」
こんなことになるのなら、美形になると分かっている男を拾って、女を誘惑する術など学ばせるのではなかった……!
……そう後悔をしたのは、もう六十年ほど前か。
言葉にすれば一瞬。魔女として生きる以上、いつか遠い昔になる……ケリーの想いを知る前から数えても、七十年か、八十年程度の年月。
「……お前のおかげで、その間退屈はしなかったな」
「……光栄です」
すっかり爺となったケリー。そして、変わらない私。
「あまりにもしつこかったからな……執着するにもほどがある……どうだ? 今なら、お前とワルツの一曲くらいなら、踊ってやらんでもないが……」
「足腰が立たなくなってからおっしゃるとは……随分、残酷な事を」
ケリーは、もはや起き上がっているのすらつらいほどに弱り、ベッドに横たわったままでいる。そのそばに座り、私はケリーに声をかける。
「ふん、悪い魔女のために数十、数百という魂をささげたお前が、残酷というか。ならば、私はよほど残虐非道な魔女なのだろうな」
「ええ。ですが――私にとっては、心より愛することのできた、唯一の女性です」
「……そうか」
「マリオン様……どうか、いつまでも、お幸せに……」
言いながら、私の髪に触れようとした手から、あまりにも唐突に力が抜けた。
……結局、お前の魂を私たちの信仰するものにささげることはできなかったな。
「……長らく、良く尽くしてくれた。ゆっくり休め……」
もう返事などないことは理解している。
「……私の、どこが良かったのだ……お前の一生をささげたというのに、口づけの一つも許さなかった私の、どこが……」
ただ、それを認めてしまったら、目頭の熱をごまかす言葉も出なくなってしまう。
「……おい、起きろ。ケリー……起きろ。起きたら、口づけしてやるから……ケリー……」
ごまかすために口にしていたはずの言葉が、やがて熱を助長する言葉に変わっていく。
「ケリー……なにがお幸せにだ……お前のいない幸せなど、もはや思いつかんぞ……お前のせいだ、ケリー……お前が、さも私を人間のように扱ったからだ……」
今は、ただ――ケリーより永らえてしまう、終わりのない体が、ひどく空虚なものに思えた。
――以下、とある魔女の手記より抜粋
従者亡き後、マリオンの住む森は彼女によって迷いの森となり、マリオンの住む家にたどり着けるものは、限られた魔女と、偶然たどり着いてしまうような変わり者だけになった。
だが、そのことは多くの人間には知られず――言い伝えを一つ残す程度に終わった。
迷いの森で、女の声が聞こえたら、すぐ引き返せ。
そうしないと迷いの森の主に見つかって、捕まってしまうから。
しかし、捕まったことがあるという人間は、口をそろえてこう言ったらしい。
『あの森の主は、小屋に住み、優しい陽だまりの地面に突き刺さった箒に、優しい声で呼びかける、若く、長い黒髪の美しい異国の女性だった。その声を聞くと、なぜか悲しみを感じた』
そうしていることがマリオンにとっての幸せだというのなら、もう少しの間、そっとしておこう。
でも、私たちの崇める方が新たな使い魔を授けてくださったことくらいは、知らせても良いだろうか。
女のような顔に長い金髪。蒼い目を持った、女をたぶらかすのには役立ちそうな、あの元人間の事を。