第三話
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望まれて生まれた訳ではなかった。
あの時耳にした言葉の意味を正確に理解できる年になり、孝顕の中に燻っていた疑問はすんなりと解決する。いつも不思議に思っていた小さな疑問の数々は、その言葉が全て説明してくれた。
母親に直接確認などできなかったが、そう思ってみれば納得できることが沢山あったのだ。
沙季江は孝顕と話す時、目をけして合わせなかった。顔を見ていても、いつも微妙に視線がずれる。少年を抱きしめる時に不自然に震える腕、浮かべる笑顔に決まって微かによぎる影。普段は気丈に振舞っていても、夜中に一人、台所の影で泣いている事もあった。
母親がとても苦労していた事は、事情が分らずとも物心付く頃には理解していたので、全てはそのせいだと思っていた。
けれど違ったのだ。
母さんは初めから、俺を愛していなかった。
母親に対し孝顕は恨む事も憎む事もなかった。愛することが出来ない子供を、愛せないなりに懸命に育てていたのは、紛れも無い事実だからだ。
離婚をし、母子だけの生活になってからも沙季江は変わることなく、孝顕の面倒を見続けた。育児放棄なり虐待なり幾らでもやりようはあったのに。
真面目さが仇となったのか、やがて沙季江は少しずつ精神を病んでいく。孝顕は気がついていながら、特に何をするでもなかった。緩やかに壊れていく母親を、ただ見ていた。
愛されたいという純粋な感情を心の奥底に沈め、代わりに諦める事を覚えた。我侭は言わない、甘えることもしない。迷惑をかけないように何も望まない。
それでも密かに望んでいた。
一度だけでもいい。
自分を見て欲しい。
自分に向き合って欲しい。
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今でも良く見る夢。
辛く甘美な、忘却を許さぬ記憶の欠片。
長期に渡り身体に残っていた痕跡を、孝顕は誰にも悟られないよう注意深く生活していた。
当時の警察は少年への配慮から、深く追求することはなかった。後日、児童相談所や小児精神科医らとともに行われた聴取でも、通り一遍の受け答え以外はほぼ「わからない」と「怖かった」で通したのだ。そして彼の纏う雰囲気が、必要以上に大人達が踏み込むことを許さなかった。
ゆえに、警察に気づかれる事も無かったのだ。
そう、その日。
望みは叶えられた。
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