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第二話

◆ ◆ ◆


 幼い子供が、自分が生まれてきた時の事に興味を抱くのは自然な事だ。

 自分は祝福された存在であると確認したい。愛されていると確認したい。無邪気な承認欲求。

 まさか自分が、本来なら生まれる筈ではなかったなどと、思いもよらないだろう。


 生まれた時のことについて尋ねる度に、大人達の様子が不自然に変わるのが、孝顕には不思議でしょうがなかった。

 何をどう聞いても、みな一様に口を閉ざし目を背け、あるいは憐れむようなまなざしを向ける。


「かわいそうにねぇ……」


 その言葉を、幼い頃の孝顕は何度も耳にした。

 両親が離婚する前、本州本家の離れにある家に住んでいた頃だ。

 母に尋ねても、とってつけたような言葉しか返って来なかったので、間もなく聞くのをやめた。


 悲しくはない。

 ただちょっとだけ……、そう、ちょっとだけ寂しかった。


 いつの頃からだろう、孝顕は屋敷の大人達の言動に敏感になっていた。家政婦達の日常の雑談にさえ聞き耳を立てるようになったのだ。

 そんなある日の事──。


「沙季江さんもよく我慢してるわよね……」

「まだ高校生だったのにねぇ」

 家政婦用の控え室として使われている座敷で、彼女達が雑談に花を咲かせていた。

 本邸の広い屋敷を探索中だった彼は、母の名前を聞き取り思わず廊下で足を止める。

「本当よ。もし私なら、ちょっと耐えられないわ」

「若いんだし、先の事を考えるなら、流したほうが良かったんじゃないかしら」

「まったくねぇ」

「話によると、沙季江さんだって、最初は流すことに賛成してたって言うじゃない」

「それが強引に、でしょ?」

「嫌ねぇ、家同士のいざこざって」

「あちらさんも、惨い事するわ」

「かわいそうに……」

 ふふふ……と、意味ありげな含み笑いが会話の後に続く。


 体が震えた。


 直感的に孝顕は悟る。会話の意味は全く分からないが、自分の事だと思った。

 心臓が暴れるようにドキドキと打ち鳴らされ、その場にしゃがみ込みそうになる。

 ここにいてはいけない。

 息を潜めてゆっくりと歩き出す。数歩進んだ所で、キシリと板張りの廊下が微かな音を立てた。

 あっと思った時には遅い。

 はたはたと人の動く気配と共に襖がすらりと開き、家政婦の一人が廊下に身を乗り出した。

「あら、孝顕坊ちゃん。いつもの探検ですか?」

 立ち去ろうとしていた小さな背中に、年若い女は気安く声をかけた。

「…………」

 話しかけられてしまえば知らぬふりも出来ず、立ち止まると孝顕は渋々振り向いた。えへへっと笑い、顔を逸らして頭を掻く。

 迷った挙句の愛想笑いをどう受け取ったのか、家政婦は口元をにやりとゆがめ、芝居がかった声音で言った。

「さては! また何か、イタズラでもしようとしてたな~?」

「あのう、うん。そのぅ……。ちょっと……」

 焦ってごにょごにょと口元をうごめかせる孝顕に、彼女は吹き出した。慌ててもじもじする幼子おさなごの素振りは単純に愛くるしかった。

「ちょっと待っててよ、お菓子あげるから。今朝方いらっしゃったお客様からの貰い物なんだけど、凄く美味しいのよ」

 気分よく言い置くと、家政婦は部屋の奥から菓子が盛られた器を持ってきた。

 ちらりと見えた襖の奥にも、優し気に孝顕を見つめている家政婦達がいる。一人と目が合い、笑顔と共に小さく手を振ってきた。

 さっきまで自分達の事を意味ありげに話していたその口が、何も知らぬといわんばかりに笑う。

 目の前にいる家政婦達が得体の知れない生き物に見えた。気味の悪さに孝顕は身体を竦ませる。

「どれでも、好きなのを持っていくといいよ」

「……」

 慎ましやかで美しい包装達は、いかにも高級菓子といった風情で心惹かれるのだが、それでも手を伸ばす気にはなれない。

 普段と違い中々手を出さない幼児を不審に思い、家政婦は声をかける。

「どうしたの?」

「……いい」

 孝顕が首を横に振った。

「いらないの?」

「ん……。お菓子ばかり食べてると、お母さんにおこられちゃう……」

 覗きこむように視線を下げてくる家政婦の視線を避けながら、孝顕は咄嗟に思いついた事を口に出した。

 実際には全くの嘘でもない。

 本邸を探検しに行くたびに、孝顕は誰か彼かからお菓子を貰って帰った。沙季江は家政婦達に、息子に菓子ばかりやらぬよう言いつけていたが、それなりに整った容姿と人懐っこい性質の孝顕を構いたがる者は多かった。お菓子をあげるのが典型だ。

 孝顕も、何度もお菓子を貰ってきてはいけないと、事あるごとに注意されていた。

「そうかー、それじゃあ仕方ないねぇ」

 家政婦の残念そうな表情に心が痛んだが、今は気味の悪さが勝っている。

「うん。……それじゃあ僕、もう行くね」

「はいはい、またねー」

 小走りに廊下を去っていく孝顕を、家政婦が楽しげに見送った。


 離れの自宅に帰った道順は、あやふやでよく覚えていない。

 真っ青な顔でふらふらと帰ってきた孝顕を見て、沙季江は慌てて駆け寄った。胸元に引き寄せると、慰めるように頭や背中を繰り返し撫でてやる。

 優しい声に「どうしたの?」と話しかけられても、震えるばかりで言葉は出せない。頭の中がごちゃごちゃで何をどうしたらいいのか分からず、怖くなった孝顕はただ泣いた。


◆ ◆ ◆


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