第一話
我はカナリア、
哀しき小鳥。
我が嘯くは全てまやかし。
我が囀りは全て幻。
我はカナリア、
籠の鳥。
高等部最後の夏休み、孝顕は一人、北海道を訪れていた。
街の郊外にある山の中。周囲にはうっそうと茂った木々と、せわしない虫達のざわめき。風は殆ど吹いていないが、日差しが強い割にそれほど息苦しくもない。
道の脇にある、流しっぱなしの水道で備え付けの桶と柄杓をとり、水を満たすと再び歩き出した。
鷹苑に教えられた通り、携帯のメモを眺めながら沢山の墓石が並ぶ急な斜面を登っていく。
多分、もう少し先だろう。
現在地を示す看板の前で立ち止まって確認する。
山中に造成された霊園は大規模だ。碁盤目のように区切られた地区毎に立て看板があり、区画を示す為に平仮名やカタカナと数字が割り振られていた。
(住所みたいだな)
死者でありながら生前と同じ扱いを受けている。そう思うと、孝顕は居並ぶ墓石群が少し羨ましくなった。
自分が死んだ時、はたして、彼らは同じように扱ってくれるだろうか。
気持ちが内に篭りかけているのに気がつき苦笑を浮かべた。やはり、緊張しているのかもしれない。ここに来るのは初めてなのだ。
端に近い区画の一角、山の斜面に張り付くようにして整然と並ぶ墓の中に、孝顕が探していた名前があった。
周囲の墓石より一回り以上小さな、灰色の御影石に刻まれている名前は一つだけ。
夜刀神 沙季江。
彼女は夜刀神の墓に入る事を許されなかった。それでも、こうして無縁仏にならずに済んだのは、彼女に対する罪悪感なのか世間体なのか。
足元に置いた水桶から柄杓で水を掬い上げると、静かにかけ流す。乾いた雑巾で丁寧に水気をふき取り、墓石の掃除を一通り済ませた。
花を飾り線香と蝋燭に火を灯すと、孝顕は無言で手を合わせ、目蓋を閉じた。
(母さん……)
◆ ◆ ◆
沙季江が妊娠した当時、夜刀神家の意見は堕胎で一致していた。それを覆したのは当時の北海道組当主の一言。
「男の後継ぎが欲しい」
孝顕が生きる事を許されたのは偶然に過ぎない。
合理的な判断の結果、生き長らえた命。
一族の利益。
それが生存理由。
現在は違うが、当時の北海道本家直系はみな女児ばかりで男児がいなかった。親類になら男児もいたが病弱で、どうせ後継ぎにするなら直系をと望んだ。未だ健在の当主も女性だった。
子供の父親は本州本家の直系の分家、行動は問題であったが血筋に問題は無い。
今回の不祥事は全面的にこちらが悪い、と本州組みは謝罪に次ぐ謝罪で、それこそ笑ってしまうような低姿勢だった。歴史と伝統を重んじるプライドの高い本州本家が。こちらの出す条件を全て呑むとまで言ってきたぐらいだ。不満はあれど否は無いだろう。
十年先、二十年先を見越した商売を続けるならば、彼らとの姻戚関係は人脈という意味において重要になる。特に、北海道組は成り立ちに問題があったため、本州組とは長きに渡り不和が続いていた。これをきっかけにして、彼らとの関係を少しでも有利に進めたいという思惑も働いていた。
◆ ◆ ◆
合わせていた手を解き目を開けると、孝顕は灰色の塊を見つめる。
心中は思いの他静かで、いささか拍子抜けした。ここに来るまで怖いと思っていたのに、実際はこの程度。
前から思ってはいたが、自分は結構薄情な人間のようだ。
追い詰められた母親に止めを刺したのは、ある意味で孝顕自身だったのに。
緩い風が、癖のない黒髪をゆらしていく。
墓参客のおこぼれを目当てにしたカラス達が、誰かの墓前の花を器用につまみ出して遊んでいた。
知らなければよかった。
知りたくなかった。
けれど、知らなければならなかった。
自分がどうやって生まれ、なぜ生きているのか。
◆ ◆ ◆