時が吠える
『時』が、私の背後で吠え立てる。
お前の全てを食ってやる、と。
そのたびに私はいつもより速く歩くのだ。
それがどんなに辛くても、決してやめることは出来ない。
だが、そんな『時』も決まって吠えないときがある。
私が幸せなときと、私が楽しいときだ。
そのときだけは、『時』の吠え立てる声が聞こえなくなる。
しかし、いざ私が一人になると『時』は吠え立て始める。
私が幸福に浸かっていればいるほど、強く吠え立てる。
まるで、その幸福はすぐに無くなるのだと言うように。
警告するように『時』は吠えてくるのだ。
そしてまた、私は歩を速める。『時』に追いつかれないようにと。
いつからか、『時』の吠え立てる声は聞こえなくなっていた。
もしかしたら、聞こえていないだけかもしれない。
決して振り返ることは出来ないが、振り返れば『時』はまだそこにいるのかもしれない。
『時』の声が聞こえなくても、幸福というわけではないらしい。
私はもう二度と『時』の声を聴くことはないだろう。
死が私を旅路に誘うそのときまで、『時』が私に吠え立てはしないだろう。
そのことに微かな安心を覚える。
『時』の迫る恐怖をもう感じなくて良いのだから。