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妖しい瞳  作者: 月猫百歩
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一ノ怪


 ……え? どうしてここにいるんですかって?


 何を言っているんですか。私はずっとここに居ますよ。ここで生まれてからずっと住んでいるんです。

 

 名前? 一応呼ばれている名前はあるんですけれど、本来私の事を指す名前じゃないですから……だから、無い、と言った方が良いですね。その方が正確です。


 あなたは? あなたこそ誰ですか?


 ……………はぁ、鬼に連れてこられたんですか。それは災難でしたね。

 でも食べられていないみたいで、良かったですね。幸せですね。


 ……嘘ですよ。そんなに怖い顔しないで下さい。

 あまりそんな般若の様な怒った悲しい顔をすると、闇に呑み込まれてしまいますよ。


 嫌なんでしょう? 闇が。


 

 だから手放そうとしないんでしょう。

 どんなに疎まれても。嫌悪の目を向けられても。雀の面を切り離しても。



 本当、馬鹿なわたし。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 ハッとして目を見開いた。

 映る視界は全て真横だった。だから自分が横を向いて眠っているんだと少し経ってから気がついた。


 心臓がドクドク鳴っていた。嫌な汗もかいていた。

 

 なんだろう。すごく嫌な夢を見た気がする。

 のそりと体を起こすと、畳に面してじっとりとした肌が空気に触れて、そのヒヤリとした感覚に鳥肌が立った。



 いつの間にか、眠ってたんだ。

 えっと、お昼ご飯を食べてから少し経ったくらいかな。なんだか体が痛い。布団も敷かないで眠っていたからかな。


 自分を取り囲む白い籠に目を走らせて、化粧台の鏡の前に置いてある小さな剣に目を留める。


 革製の鞘に収められた木で出来た短剣。

 歴史の教科書に勾玉や鏡と一緒に載っていそうな形の剣。鞘から少しだけ抜けば、それだけで温かな気配が溢れ出る。


 この退魔の剣と呼ばれる小さな短剣には何度も救われた。

 闇に呑まれそうな時、妖怪やこの世ならざる者に襲われた時。そして今みたいに夢見が悪く、気が動転した時。


 畳の上に膝を滑らせて鏡台へ近寄る。それから退魔の剣を手に取り、鞘から少しだけ覗いた部分に手を当てた。そこから自分の中に光が染み渡っていく。

 干上がった大地に雨がゆっくりと染み込んでいくように、わたしに陽の光に似た優しい光を与えてくれた。


 ほっと息を吐いて目を閉じる。

 これで大丈夫。悪い夢も暗い感情も、忍び寄る闇からも、わたしは払い除けられた。

 この退魔の剣がある限り、わたしはこの常闇の世界でも人間として生きていけるんだ。



「鈴音」

 

 聞こえた声にビクッと肩が跳ねた。急いで手に持った短剣を鞘に収め、鏡台の引き出しに押し込んだ。

 鬼さんの前でこれを手に持っていたら、また何を言われるか分かった物じゃない。


「はいっ」


 部屋の襖が開かれると同時に返事をする。

 暗い廊下から二つの妖しい紅が煌き、次に部屋に踏み込んだ逞しい赤銅色の脚が見えた。


「何をシテいるンダ?」


 ぬっと闇から現れた姿は長身の紅い鬼。常闇では貪欲の鬼と呼ばれている、この大きなお屋敷の主。


「うたた寝してしまった様で、鏡で髪とか整えていたんですよ」


 取り繕うように穏やかに告げて顔を上げる。

 硬質の黒い髪から生える二本の角は象牙色で鋭い。顔半分を覆う幾何学模様は常に動いていて、今は唐草模様に似た形を作って蠢いている。

 いつ見ても奇妙だ。

  

「……ソウカ。それでドウダ? 目は戻ったカ?」


「え?」


 紅い鬼の様子を見ていたら唐突に聞かれて目を瞬いた。

 思わず聞き返せば、不機嫌そうな紅が返ってきた。


「灰梅はどうしタ?」


「あー……っと、その、特に変わってないです」


 無意識に目を逸らして口にする。

 傍にある鏡にチラと目を向ければ、いたって普通の目をした自分が映っていた。

 ほんの最近までには瞳に浮かんでいた梅の花は無く、ただの黒い瞳があるだけだった。


「……ソウカ」


 鼻を鳴らして鬼さんが籠に寄ると、鍵を外して中へ入ってきた。昔ほどではないとは言え、少し緊張が走って体が僅かに強ばった。


「アレはどうしタ?」


「あれ?」


「退魔のつるぎダ」


 一瞬口にするのを躊躇ったが、嘘を吐いても仕方がない。

 第一、剣を持たせる許可を出してくれた鬼さんに、嘘を言うのも失礼というものだ。


「この鏡台の引き出しにあります」


 そう言って引き出しの中身を見せる。

 中にはわたしが入れたばかりの退魔の剣が閉まってあった。


 鬼さんの顔を見れば、忌々しそうな顔をして口を強く結んでいた。

 なんだかこのまま見せ続ければへし折られそうな気がして、わたしはそっと引き出しを閉じた。


「振り回して遊んだりしてませんよ。誰にも危害は加えていませんし、安心して下さい」


「ほお? その割には随分と嫌われたもんダナァ鈴音」


 皮肉げに口角を上げてわたしを見下ろした。

 溜息を吐きたいのをグッと堪えて、わたしは奥歯を噛んだ。


 常闇で生きることになったわたしが、たまたま手にした退魔の剣。

 陽の光がない常闇で生きるわたしにとって、それは何よりも大切な物になった。

 自分の身を守ることは勿論、様々な厄災を祓ってくれるのだから。

 

 ただ、わたしは失念していたのだ。

 この常闇でこの退魔の存在は異質且つ、疎まれる存在なのだと。


 鬼さんとは色々悶着はあったものの、特別にと許可が下りて持つことを許されて、わたしは浮かれ気分でいたがそれも束の間のこと。


 常闇に戻った途端に出会った子鬼たちに大声で叫ばれ、寄るなと怒鳴られ、会う妖怪会う妖怪に片っ端から避けられたのだ。


 鬼さんが側にいたおかげで石や刃物が飛んでくる事はなかったけれど、わたしが一人であればそんな事が起こったに違いないと容易に想像できる。

 それくらい、妖達は憎悪を含んだ眼でわたしを睨んできたのだった。


 

 まさかこんな事になるなんて……


 こればっかりは想像していなかった。

 退魔の剣を手に入れたあの時は、生きるか死ぬかの瀬戸際だったし、実際わたしも武器として使うことを頭に入れていたから、妖怪から警戒されるのは仕方ないと思っていたけれど。まさか持っているだけでここまで大事になるだなんて。


 ある程度の鬼さんに仕えている屈強な鬼や煙々羅の紫さんは、嫌な顔はするけれども避けたり逃げようとはしなかった。

 けれど他の子鬼や付喪神は我先にとわたしの前から逃げてしまったのだ。


 おかげで今まで天井から吊るされて運ばれていたご飯や菓子類は、吊るした紐ごと畳の上に落とされるようになった。

 子鬼たちがわたしの近くに寄るのを嫌がり、広間で食事中に運ばれていた料理も最初から並べられるか、一度で運べる量止まりになった。


 まぁ、あまり動けないわたしからしたらご飯の量が減る分には別に問題はない。空腹を凌げるのに必要な分さえあれば良いのだから。

 でもここまで露骨に嫌われるとなると、結構精神的に堪える。以前から好かれてはいなかったけれども、それとは別の嫌悪感をぶつけられるのだから。



「鈴音。目を見せてみろ」


 色々苦いものを思い浮かべていると、不意に顎を掴まれた。

 強制的に上を向かされて妖しい紅と目を合わされると、何故だか息が詰まった。そして頭の奥が痺れるような、気が遠くなるような感覚がしてくる。


「鬼さん……」


「ナンダ?」


「なんだか……苦しいです」


「ン? 強く掴んでいないゾ?」


「いえ顎じゃなくて、息が苦しいんです」


 鈍い息苦しさを覚えて、わたしは空いている手で自分の胸の襟を強く掴んだ。


「コイツのせいじゃないのカ?」


 そう言って鬼さんは鏡台の方へ顎をしゃくってみせた。

 退魔の剣のせいで体調が悪い? それだとわたしがまるで妖怪みたいじゃないの。


「違いますよ。そんなワケ無いじゃないですか」


 わたしが妖怪なわけがない。

 鬼さんの妖気によって浮かんでいた痣も瞳の梅も、退魔の剣で祓われたのだから。もし仮にわたしが妖怪になったのだとしたら、わたしがあの剣を持つこと自体不可能だ。


「まさか鬼さん、わたしにまた鬼火を移そうだとか考えているんですか?」

 

 妖しく煌めいている二つの紅にわたしが問えば、顎を掴んでた手の方の指で、わたしの下唇を撫でた。


「そりゃ~ソウダロウ。折角俺が咲かせてヤッタ梅を枯らしちまうなンて。鈴音は俺よりも残酷な奴カナ」


「残酷だなんて、鬼さんに言われたくない言葉の一つですね」


 もういいでしょうと、顎を引くが、鬼さんは放してくれなかった。わたしが露骨に嫌な顔を浮かべて抗議の眼差しを向けると、鬼さんの目が不気味に光った。


「俺の目をよく見ろ」


「言われなくたって嫌でも見てます。今現在強制的進行形で」


「ソウカ。ならそのまま見続けていろ」


 強く言い返すものの、これ以上は(正直怖いのもあって)強気に出ることもできず、大人しく鬼さんの紅い目を見続けた。

 

 なんだか息が苦しい。

 それと同時に目眩がする。睡魔に似た、引き込まれるような感覚が…… 


「鬼さん苦しい」


「我慢しろ」


 即座に訴えは却下され、苦しさに呻きながら目を合わせ続ける。以前は苦しい感じはしなかったのに、一体はどうしたんだろう。


 紅い瞳がより存在感を強くしている。鬼さんは自分の妖気をまたわたしへ移しているのか。それともまた別の呪いでもかけているのか。

 でも、例えもしそうだとしても、わたしにはあのつるぎがある。あれさえあれば、ある程度の妖気には対抗出来るんだ。

 そう思えば鬼さんの今している行為も、少しは恐怖が薄らいだ。


「……鬼さ……」


 言葉を発しようとした時、わたしは目の前が真っ暗になった。

 自分に何があったのかも分からず、唐突な視界の途切れに言葉を失った。




・・・・・・・・・・・




「……え?」


 ハッとして目を見開いた。

 映る視界は全て真横で、自分が横を向いて眠っているんだと分かったのは少し経ってからの事だった。


 い、いつの間に寝ていたんだろう。


 ゆっくりと体を起こすと、わたしはまた畳の上で寝ていたみたいだった。一応座布団を枕がわりにしていたようで、頬に手をやっても畳の痕らしい感触はなかった。


 鬼さんは?


 周りを見渡しても、誰もいなかった。いや、誰かいたらいたらで怖いんだけれど。遠くの方でいつもの笑い声や唄が聴こえてくる以外は何も音は無かった。


 さっきのも、夢?


 ふと鏡台に目を向ければ、閉まったはずの退魔の剣が鏡の前に置かれていた。だとしたらやっぱりアレは夢だったんだ。

 

 何度も違う夢が代わる代わる起こると混乱してしまう。それが悪夢なら辛労は倍増だ。本当になんとかならないかな。

 退魔の剣を持ってもこれといって変化はない。ただの悪夢というのなら、こればかりはなんともならないのかもしれない。


 ふぅと深く溜息を吐くとお腹に力を込めて、よいしょと鏡の前に座った。


 あぁやっぱり髪の毛がボサボサ。相当頭を掻いたか寝相が悪かったか。ひどい状態。

 ……寝相が悪いのに座布団を枕にしていたのだとしたら、一体どんな寝相をしていたんだか。


 引き出しから櫛を取り出して髪を梳く。

 そういえば夢ではすごい汗をかいていたのに、今は全くかいていない。今まで悪い夢を見たらたいていはぐっしょり背中が濡れていたんだけれど。



 ……あれ?

 髪を梳く手が止まる。首筋に妙な赤い痣のようなものが見えた。 


 まさか鬼さんの妖気とかじゃ……。


 不安になってそこをなぞるが、特に痛くはない。擦っても見たが、当たり前だけれど消えたりはしなかった。

 

 鬼さんの妖気が移った? 毎日退魔の光を浴びているのに?

 

 怖くなって櫛を置くと、すぐさま退魔の剣を手に取って首に当てた。

 剣自体は木で出来ているから当てる分には害はない。祈るような気持ちで目を閉じると、当てた部分から温かい気配を感じた。


 不安が少しだけ和らいでいく。

 僅かに息苦しい気もするが、すぐに温かい気配が包み込んで胸の悪さが遠ざかっていった。

 

 これで大丈夫。

 

 強ばっていた顔の緊張が取れた気がして目を開けた。

 そして……手から剣がこぼれ落ちた。


 乾いた音を立てながら畳の上に退魔の剣が転がる。それを心のどこか片隅で耳にしながら、わたしは鏡に映った自分を見てわなわなと震える手で首に手をやった。


「なんで……消えないの……?」


  

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