十六ノ怪
直感的に中庭へ通じる廊下の襖を開いた。
あまりにも勢いよく開いたせいでスパーンと物凄い音が鳴るが、そんなものに構ってなどいられず、格子窓から日差しが僅かに差し込む廊下を走った。
あの子に何があったんだろう。
今まで叫び声なんて上げなかったのに。もしかしてあの変な鳥が現れたのかもしれない。
嫌な光景が頭に浮かび心拍数も上がってくる。
戸の前に来ると、引き戸の取っ手を強く掴んで思い切り横へ引く。力任せに開けばあるいはと思って両手で目一杯引いたのだが、戸はさっきとは違ってなぜだかすんなりと開いた。
「あ……っ」
戸の向こうは中庭ではなかった。
暗い部屋には四隅に見慣れた灯りがあり、部屋の中央には白い竹で作られた大きな和鳥籠。
鬼さんのお屋敷の、わたしの居場所だった籠の部屋だ。瞬時に喉が渇いて足元を掠める冷気に鳥肌が立った。
暗さに目が慣れず、目を細めて恐る恐る中へ踏み込む。中は静かだ。
目の前の白い籠の中。その格子の中には、肩を顕にした肌着姿の自分が泣いて蹲っていた。変な鳥の姿は見当たらない。
「あ、あの、大丈夫?」
震える背中へ声を掛けてみる。
薄い肌着から覗く痩せこけた足や腕が細く浮き上がり、暗くてよく見えはしないけれど、肌は荒れているように見えた。
ろくに食事を摂っていないのか、それとも変な鳥のせいで弱ってしまったからか。こんなに悪い視界だと言うのに、とても健康には見えない姿だと良く分かった。
ただ流れる黒髪だけは綺麗だった。良く梳かれているのかさらりとして、乱れてはいるのけれど明かりに照らされて艶やかさが際立っていた。
ただその髪の隙間から見える幾つもの痣が悲壮感を酷くさせていた。
本当に、これは……
冷や汗がドッと出た。今度ばかりは寝た記憶はない。
森の中を進んでいる時も走っている間にも、自分が寝る隙なんてなかった。
これは夢じゃない。これは現実なんだ。わたしは目を覚ましている。
いや、でも、そしたらわたしが森で感じた、あの感覚は気のせいになってしまう。絶対にそんな感じはしなかったのに。
答えは出ない。でも今はそれよりも目の前の雀に、何があったのか訊かないと。
「あ、あの」
「鈴音!」
真後ろから呼ばれ飛び上がった。
一瞬でも忘れていた鬼さんに追いつかれて、わたしは縺れながら振り返ると、背後を籠の格子に預けるような形になった。
「鬼さんあの、これは」
雀を背に隠して訳もなく口を開いた。
この状況をどうやって切り抜ければ良いのか。この雀の子と鬼さんの関係性も良く分かっていないのに。
叫び声を聞いて思わずここに来てしまったけれど、判断を間違えてしまったかもしれない。
恐らく真っ青になっている自分の顔に、さらに汗が噴き出してきた。荒くなる息は震えて顎もガクガクとしていた。
どう言い訳しよう……
「鬼さんこれは、あの、わたしは」
「お前は光を求めていたんダロウ?」
「え?」
「それなのに……籠に戻りたいのカ? 雀でいたくナイと言うのに、籠の中へ戻るというのカ?」
鬼さん、何言っているの?
瞬きをして一度振り返り、籠の中にいる自分を見て、また鬼さんを見る。
口調こそやや元に戻ってはいるが、まだ人の姿をしている鬼さんは何故かわたしばかりを見て、籠の中を見ようとしない。関心もないみたいだ。
「お、鬼さん」
「ん? なんダ?」
「えっと……あの、籠の雀は……」
「あぁ」
呟いてわたしの真横へ歩いていくと、籠へ寄って白い格子を撫でた。今度こそ鬼さんの視界にあの雀の子がしっかりと入った。
どんな反応をするのか、中にいる雀の子を盗み見して、緊張したまま鬼さんに視線を戻す。
「コイツを手に入れて人間のガキを飼うのは、良い暇潰しだと思っていたんダガ……厄介な事にナッタもんダ」
「え?」
「お前は扱いが難しいカナ……困った雀カナ」
「雀ってその……」
「手の焼ける雀はお前しかいないダロウ」
愕然とする。わたしは目の前の異様な光景に、先程とは違う冷や汗を流した。
鬼さんは籠の中の雀に気づいていないの? 目の前にいるのに見もしないだなんて。
「それはあの、わたしの事ですか? それとも、その、雀の?」
不安になって目を泳がせながら再度確認する様に言うと、鬼さんはギュッと手を握り、拳を作った。
訳が分からなくて鬼さんを見上げれば、鬼さんはまるで苦虫を潰したような顔をしてわたしを見ていた。
「鈴音。お前は俺の雀ダ……雀ナンダガ……」
濁したように言うとそのまま黙る。
「……えっと、鬼さんの雀で……それで、それでなんです?」
最後は消え入りそうに言った鬼さんに先を促せば、鬼さんはわたしを二つの紅で見て、ギリと歯を食いしばった。
「もう部屋へ戻れ」
「部屋へ?」
「部屋へ戻るんだ。もうこの話は終わりだ」
突然瞳の煌きを消して訛りも無くなると、鬼さんは籠から離れて部屋の入り口へ歩き出した。
「いや待って下さい。どういうことなんです?」
「お前がもし、お前が俺と望む関係でいたいなら、光のある部屋で暮らせ。それしか方法はない。二度とここへは来るな。籠の事は忘れろ」
言いきられて、唖然として部屋の入口に立つ鬼さんを見る。
わたしがこの場所で暮らし続ければ、本当に鬼さんのお酌をするだけで済むというの?
「お前はこの陽のある所で過ごし、何も知らずに暮らせば良い。妖も無く、嫌悪する奴も無い。ずっと穏やかに日向で微睡める」
鬼さんは「さぁ」とわたしへ手を差し延べた。
目の前の大きな手を見て黙る。
わたしがここに居続ければ、少なくとも紫さんの言っていたお役目を担うことはない。
わたしを蔑む妖怪たちもいないし、日向もある。ここなら安全なんだ。鬼さんとも上手くやっていけるんだ。
『断る理由がどこにあるの?』
こくんと頷いて大きな手に手を伸ばす。でもあと少しというところで、わたしは立ち止まった。
本当にこれでいいの?
これは現実で、夢じゃなくて。だけれど何も分からないまま、何も知ることなく安穏と過ごすの?
わたしは今どうなっているのかも知らずに、ただただ漠然とした平穏の中で生きて行く?
何か見落としている。
何かに気づいていない。わたしはどうなっているのか、わたし自身が理解していない。
「だめ、だめ……」
背後から声が聞こえた。
泣いているのか、はたまた鳴いているのか。必死に涙混じりに呟いている。
「出てきてはだめ。知っては」
「でも知らないと」
自分の口から言葉が零れる。
「雀は……」
乗せかけていた手を引っ込め、わたしは踵を返して籠の中の自分へ手を伸ばした。
一つ一つの動作がゆっくりだった。
背後から鬼の制止の声がして、スローモーションみたいに全てが遅く映った。
白い格子を鷲掴み、顔に籠がぶつかるが、届けとばかりに思い切り中にいるわたしへ手を伸ばす。
彼女の頭が揺れる。
だめと牽制した彼女の乱れた黒髪に指先が触ると、意識が途絶えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
気づけば視界はひどく悪かった。目元は涙で濡れて熱を持ち、腫れぼったかった。
頭は回らずぼんやりする。そして頭が痛かった。
ここは……?
ぼんやり周囲を見回すと白い籠の中だった。
身体は重くあちこち痛い。服は肌着しか着ておらず、随分だらしなく身につけていた。
誰も……居ない。
寒いと身震いして肌着を掴んで抱き寄せる。
肩は露出していたらしく、肌着をしっかり着込むと布地に包まれて暖かく感じた。
目は、覚めてる? これは夢?
あああ、違う。これは元に戻ってきたんだ。わたし、戻ってきたんだ。元に、戻って。
両手や腕を見て、首をさする。
何故だか笑いそうになり、そのせいで苦しくて浅い呼吸を繰り返す。そうしていると、どこからか紫色の煙が視界に入ってきた。
「御姫さん……ですか?」
紫さん。
漂う煙はわたしの前で集まった。硬い様子で声をかけてくる紫さんに、わたしは深く息を吐くと頭を下げた。
「久しぶり、です、ね」
わたしの返答に紫さんは押し黙った。首を傾げると、ゆっくり神主の姿を形取り、わたしの前に行儀よく座った。
「お久しぶり、のようで」
なぜだか紫さんにしては重苦しそうな、落ち着きの無さを見て眉を顰める。怒っているのではないみたいなのだけれど、珍しく妙に緊張していて、わたしの様子を探っているようだった。
「お元気でしたか?」
「……おかげ、様で」
息が苦しいせいで話がしづらい。そのことに若干うんざりしたが、わたしはあることを思い出して重い顔を上げた。
「紫さんに、言われた通り、ちゃんと、鬼の雀は、わたし、出来ていますか?」
前に話が中途半端で終わってしまっていた。あの時は混乱してしまって話が上手く出来なかったけれど、今ならまだ余裕がある。
「わたし、上手く、やれたんですよ……膝枕とかして、花火もして……あとは……」
その先は鳴き声となって紡がれた。
自分の口で話しているのに、どうしてだか雀の鳴き声にしか聞こえない。
でも特にそれは問題ない。紫さんを満足できる回答さえできれば、良いんだもの。
「御姫さん……」
神主の姿をした紫さんの姿が大きく揺れた。どこか憐みの混じった溜息の様な呟きを零して、ぼんやりとした輪郭を波立たせた。
どうしてそんな声を出すんだろう。
「不満なんで、すか?」
あぁそうだ。まだ紫さんが問題視していたことがあったんだ。
わたしは怠い顔の筋肉を動かして笑ってみせると、紫さんへ目を細めた。
「退魔の、剣、邪魔、でしょう?」
言えば紫は固唾を呑んだ。
あぁやっぱりそうだったんだ。
「だからね、持っていきます、ね。これで、もう、安心して、下さい。鬼さんとも、上手くやれますし、紫さん達が、怒っている、退魔の剣……その処理も、これで、解決です」
ふふっと思わず笑う。でも紫さんは黙ったままだった。
喜ぶ様子もなく、かといって呆れるわけでもなく無反応だった。
あれ? まだ何か足りないのかな。
しばらく回らない頭でぼんやりするが、苦しさから吐息を口から零すと、自然と自分の口から「あぁ」と納得したような声が出た。
「そ……っか。紫さんは、まだ、わたしが、鬼さんに、きちんと雀として出来ているか……ふふ……ゴ心配ナンデスネ?」
そう言えば、まるで羽でも生えたかのような身軽さを覚え、紫色の神主の方へ手を伸ばした。
不思議。あれだけ重く感じられた身体も頭も、とても軽くなっている。
「大丈夫ですよ。ほら、良く……ご覧にナッテ下サイ」
自分の途切れて掠れていた声が、まるで小鳥のようにさえずる。
わたしは触れようと近づいた。瞬時に紫色の煙が渦を巻くように動きだす。
けれども神主の姿が崩れる直前、煙の口先へわたしは唇を寄せた。
一瞬、部屋のすべての空気が止まった気がした。
空気だけではなく、時間も、止めどなく動き続けていた煙の動きも全て止まった気がした。
ぼやける視界が開いた時には煙は雲散し、戸惑うように籠の中をぐるぐると素早く旋回して少し経った後、ふわりと籠の奥へ動きを止めた。
「貴女は……何て事を」
「どうですか? 上手でしょう? 美味しいでしょう?!」
褒めてと言わんばかりにわたしは紫さんへ顔を上げて、苦しい息だというのも忘れて声を上げた。
「紫さん達にとって、コレは美味シイのでしょう? あなた達からシタラ、ワタシはコレですら美味シイノデショウ?」
これで紫さんにも納得してもらえると笑えば、両目から涙がとめどなく溢れた。しかしそれすら気にならず、わたしは笑い続けた。
「御姫さ」
「紫さんったら、嫌ですね……わたしハ鬼ノ雀デスよ」
何故だか無性におかしくて、笑って天井を仰いだ。
そしてお腹を抱えてまた笑えば、紫色の煙の背後にある壁には、翼を広げて体を捩る雀の影が見えた。
これで良い。これが皆が望んでいたわたしの姿なんだ。
あとは退魔の剣で戻れば良い。全部これでうまくいくんだ。
嬉しくって笑う度に、わたしの両目から大粒の涙が溢れては肌蹴た足元に零れ堕ちた。




