十二ノ怪
俯いた彼女をしばらく見ていたが、わたしはある肝心なことを思い出した。
話が通じるか不安はあるが、聞くだけ聞いてみよう。
「あ、あなたは、あの、茶室のある家で、生まれて住んでいたんでしょう?」
最初にまだ雀の姿をしたこの子に出会った時、彼女はそう言っていた。ここで生まれて住んでいたって。
鬼さんはそこに住んでいた鳥は出て行ったって言っていたけれど、鬼さんがその鳥を捕まえて籠に閉じ込めたのかもしれない。
「あそこから鬼さんに捕まえられて、籠の中に?」
「……少し……少し違います」
少しってことは、ちょっとは当たっているのかな。
鬼さんに捕まえられたことは否定しないっていうことは、やっぱり鬼さんがこの雀の子を捕まえたということになる。
「その痣は鬼さんに?」
「それも少し……」
「違う?」
こくんと頷いた。
鬼さんじゃないとしたら誰にされたんだろう。やっぱりあの変な鳥に? 鬼さんはこのことを知っているのかな。それともわざと襲わせているの?
……もしそうだとしたら、鬼さんはどうしてこんな酷いことをさせたのか。
こんなにもボロボロになるまで襲わせるだなんて、あんまりだ。生気もなくさっきまでうわ言しか話せる状態じゃなかったんだ。相当弱っている。
いやいや、まだ決まったわけじゃない。簡単に決めつけるのはわたしの悪い癖だ。もっとこの子から話を聞かないと。
「ここから出たい?」
まず彼女にその意志があるのか訊いてみる。
体の具合も勿論心配なのだが、彼女が今動ける気力がどれほどあるのか気になる。出たいなら協力したいし、帰る場所があるのなら返してあげたい。
そう意気込んだわたしだったが、彼女はゆっくりと首を左右に振ったのだ。
「……出てはいけないのです」
「なぜ?」
反射的に問い返せばしんと黙ってしまった。
少し苦しそうにして気怠げに息を吐くと、また目を伏せてグッタリと彼女は肩を落とした。
なんだか今にも倒れてしまいそうだった。
「もしかして脅されているの?」
「いえ」
「自分から」
「決めたんです」
ひたと見つめられて今度はわたしが口を閉じた。
…………なんだろう。また妙な感じがした。
たまに彼女と話していると変な感覚が沸き起こる。それが何なのか分からないけれど、とても妙な、不思議な感じがするのだ。
何度も既視感のようなものを覚えるのだけれども、どうにもハッキリとしない。今だってこれが現実なのか夢なのかも定かではないのだし、色々と分からない事だらけだ。
鬼さんなら何かしら知っているのだろうか。
本当に知らないのならどうにかして信じてもらって、対処してくれるようにお願いしてみるけれど、これが鬼さんの知っていることなら話はもっと深刻になってくる。
わたしに黙っていたこともそうだけれど、わざわざどうしてこの雀をいたぶる様な事をしているのか聞かないとだし、その雀が住んでいたこの場所にわたしを住まわせた理由も知りたい。
「もう戻って眠ってください」
考え耽っていると、ぽつりとわたしの姿をした雀が呟いた。
こんな状況だというのに帰って眠れって? 慌てて顔を上げたわたしは、呑気とも思える言葉に口をパクパクとさせた。
「え、え? で、でも、あなたは」
「あなたは自分を守ってください」
「わたしを?」
「そう」
唐突に何を言うんだろう。わたしは今どちらかといえば安全なところにいるほうだ。
鬼さんはいるとは言え、他の妖怪とも会っていないし短いけれど陽の光も浴びれている。安全だって健康だって問題ない。
それともこの雀は何かを知っている?
もしかしてわたしの身代わりとしてこの籠の中に入れられているのかな? そうだとしたら、一応ある程度なら辻褄が合う。
「あの、それは、誰から? それとも……何から?」
身を乗り出すような形で訊けば、自分の姿をした雀は黙ってしまった。
揺れる黒髪が首筋の痣を見え隠れさせ、ひどく乱れた羽織や肌着を体に寄せて震えた。
何かを怖がっている?
「……あなたはどこの誰なの?」
「鬼の雀です」
「じゃあ、どこから来たの?」
問えばまた黙ってしまった。具体的なことは話してくれない。
鬼の雀というのなら、ある意味わたしもそれに該当するのだけれど。今はわたしの姿をしているとは言え、どうにも自分と同じとは思えなかった。
髪に隠れて表情は読み取れないけれど、声は掠れているしボソボソ低い声で話すから、余計に自分の声と同じには聞こえない。
それでもこの姿をしたということは、わたしに何か伝えたいのかな。
「どこから来たのか言えないの? いまわたしが住んでいる、縁側や茶室のある家とかじゃないの? ほら、わたし達が初めて会った部屋なんだけれど……違う?」
再度尋ねると、彼女はおもむろに顔を上げた。
その瞳は生気はやはり無く、でもどこかその奥のほうがユラユラと揺れているように見えた。
それに、顔がひどくやつれていて思わず戦慄してしまった。
まるで幽霊のような自分の姿に、お腹の底から冷えて震えるような恐怖を覚えたのだ。
「あなたは……あなたは気づいてはいけないんです」
掠れた小さな声が、乾いた唇の隙間から聞こえてきた。
わたしは眉を寄せて、怖々としながらもジッと耳をそばだてた。
「気づいてはいけない?」
「いま、とても危ない……」
「今? いまって、今現在?」
「えぇ」
「あ! あの変な鳥が戻ってくるの?」
素早く立ち上がって襖の入口を見るが、物音はしない。何かが来る気配も感じられなかった。
ホッとして雀の子に視線を戻すが、また彼女は黙ってしまった。
「あの鳥が怖い?」
口にすれば彼女は悲しそうな顔をした。
自分の顔をして悲痛な表情をされると変な気分になる。まるで鏡の中の自分が泣いているみたいだ。
「あの鳥が何か知っているの?」
ほんの僅かに、彼女が頷いた気がした。
でもあまり話したくないのか、それ以上何も話さず何かを訴えようともしなかった。
正体を知っているのに助けも求めず、ずっと籠の中で泣いていたの? どうしてそんな事をするんだろう。
相手が怖くて逃げられないと思っているのか、諦めているのか。
「やっぱり、ここから出よう。鬼さんの雀っていうのはともかく、鬼さんがそういうのならこんなに酷い目に遭わされているのを知ったら助けてくれるよ」
鬼さんが仕向けているのなら話は別だが、こんな事を見過ごすだなんて出来ない。
もし知らなかったのなら鬼さんだってこのまま放置はしないと思うし。なんせ自分ご自慢の籠だから。こんな乱暴な使われ方していると知ったら何かしらのアクションは起こしてくれるはずだ。
また鬼さんが意図的に仕組んでいるのだとしても、やっぱりこの子をここに置いておくなんて出来ない。
「それじゃあ籠の出口を」
「だめ」
相変わらず小さいが、ハッキリと彼女は言った。
「どうして?」
「あなたは明るいところで。わたしはここで。自分を守りましょう」
それは……どういう意味だろう。わたしは明るい場所で、この子は籠の中で守る? 守るって、何から?
眉を寄せていると、手に持っていた退魔の剣が温かいのに気づく。すると彼女は辛そうな顔をして体を小さくさせた。
「それ……私に近寄らせないで……」
「え? この退魔の剣?」
「苦しい……」
驚いて目を見開く。
ということは、彼女は妖怪? この退魔の剣を恐れて苦しむのは闇の者である何よりの証拠だ。
もしかして彼女がこんなにボロボロなのは、この剣が鏡台の上に置かれていたせいもあったのかもしれない。弱っていたのなら尚更。
そうだとしたら一概に鬼さんのせいとも言い切れなくなる。
……いや、でも。現にこの子は籠の中で辛い目に遭っているし……だとすると鬼さんが入れる他考えられないけど……。いや、そもそもこれが夢かどうかまだ決まってないから……うーん、ますます分からなくなった。
「早く。部屋へ戻って」
顔をよれた肌着に埋もれさせて彼女は呻いた。
混乱に頭を痛ませていたわたしは迷ったが、退魔の剣を壁際に置いて彼女の所へ近寄った。
「でもこんな酷いの見てられない。まずは早く手当を」
「行って」
ドンと、格子越しに彼女に押された。
白く細い腕が、真っ白な格子の間から伸びてきてわたしの胸を強く押した。
強い真っ直ぐな力に突き飛ばされて、わたしは何に背中をぶつけることもなく、真っ逆さまに落ちていった。
細い腕が遥か上空の暗闇に浮いて見えて、やがて小さくなり見えなくなる。
真っ暗で、ただただ真っ暗で。
とても早く落ちているのか、ゆっくり落ちているのか。わたしはすぐに判断できなくなり、落とされるがまま背中から落ちていった。
・・・・・・・・・・・・・
暗闇の中を落ちている間、わたしはいつかを辿っていた。
あの日何があったんだっけ。
いつもみたいに、退魔の剣を使って心の闇を払い除けていたような気がした。
ただ苦しかった。とても辛かった。
使えば使うほど、日に日に苦しさが伴うようになっていった。
そしてあの日、鬼さんはわたしに鬼火を与えようとしていた。いつもみたいに、口から鬼火を移そうとしていた。
灰梅の消えたわたしを詰って、退魔の剣に縋るわたしをどこか冷たい目で見て。
でも取り上げようとはせず、乱暴なことはなかった。
代わりによく腕を掴んでは痣が出来てやしないかと、裾を捲って紅い目で見ていた。
退魔の剣はわたしに光をくれた。常闇の闇から守ってくれた。
でもどうしてだろう。いつからだろう。同時にわたしへ痛みも与えた。何故か苦しさをわたしに与えたのだ。
あの日。あの時、わたしはひどく苦しんだ。
苦しんで泣き叫んで、助けて、と藻掻いた様な気がする。息が苦しくて何かに締め上げられているような気がして、必死に引き剥がそうと両手で首にまとわり付く何かを掴もうとしていた。
それから……何かがあって、気づけば鬼さんが去ったあと、今度は紫さんが来てわたしに言ったのだ。
いつも言い聞かせていた言葉、わたしに鬼の雀になりなさいと。なった後は、いくらでも人間に戻ればいいと。冷たく言ったんだ。
その後はどうだろう。
一度、もう一度紫さんに会った気がするんだけれど。
まるで別人のように、紫さんはわたしを気遣ってくれていた。でもあれは夢で、わたしが望んだ幻想なんだろう。
そうでなけれれば、あれほど嫌悪していたわたしに、紫さんが優しくしてくれるわけがないもの。
羽が羽ばたく音がする。
闇の中を落ちていくわたしに、耳元で苦痛に藻掻く音が聞こえてくる。
その音に混じって小さな鳴き声も聞こえてくるの。
……雀の面を捨ててまで光に縋ったのだから、きちんと自分を守って。でなければ意味がなくなる。せっかく一身に引き受けた痛みが無駄になる。
そんな声が聞こえてくる。涙の混じった鳴き声が聞こえてくる。
暗闇に落ち続ける自分の耳に、空を切る音と共に聞こえてくるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
木々のざわめきと障子を揺らす音が耳に届く。
うっすら目を開くと、明るく鮮やかな天井が目に入った。
顔を横に向ければ朝日に照らされた広い部屋が視界に浮かび上がり、緑の畳が柔らかく光っていた。
「朝……」
上体を起こして白い布団を見下ろす。
自分は今起きたんだ。また悪い夢を見て、やっと目が覚めたんだ。
でもね、ふと思うの。
もうどれが夢でどれが現実なんだろうって。そしてどうしてわたしはあの時、泣いたんだろうって。
「そと、明るい……」
布団からゆっくり抜け出して、襖を開く。
裸足で縁側に出ると少し冷えた風が吹いてきて、わたしの頬を撫でた。
「こえ、聞こえる……」
笑い声が聞こえる。
決して嫌なものではない、どちらかといえば懐かしくて微笑ましいたくさんの声。遠くの方から聞こえてくる。
目を閉じて深呼吸する。
そして再び目を開くといつものように瑞々しい緑が広がる。……もう声は聞こえない。
今度目が覚めたとき。夢を見たとき。
それは夢か現実か。わたしに分かるのだろうか……




