生きることと死ぬこと
毎日が息苦しい。
理由は・・・見当たらない。
仕事をしているときだけが、『私』でいられるようだ。
スパコンの前で、カタカタとキーボードを打ち続け、マウスを持ち続ける。 画像の状態をチェックして、変化を読み取る。 そして、画像処理をする。
または、その画像のイベントをチェックして、変化をサマリーに記載する。 単純作業のように見えて、日々変化するデータは、魅力的だった。
もう、他に何もいらないかな・・・
自由がもしあるとすれば、この、職場のスパコンの前と、私のデスクかもな。
家に帰ったら、地獄。
私は、ものすごく太い縄で縛り付けられて、牢獄にぶち込まれているような状態だ。 がんじがらめ。 自由などかけらもない。
緊張状態はどこまで続くのか。
否定をすれば、もっと酷い状況が訪れる。
何故、私はあの人と結婚したのだろう。
がんじがらめの親から抜け出したかったはずなのに、もっとがんじがらめになっているのは、何故?
抑圧は、時には人の、生きるという欲求まで奪ってしまう。
私は、『死』のほうが、かなり楽だと思っていた。
だから、海岸沿いのあの道路を走っていると、吸い込まれるように、あの海の中に入っていってしまいたくなってしまう。
そうなったら・・・
きっと、とても、スムーズに、宇宙に溶け込めるんじゃないかな、って。
それこそが、私が自由を得たときなんじゃないかな?って。
でも、現実はそうはいかない。
守らないといけないものは沢山ある。
私一人だったらいいけど、結婚して子供がいたら、そうはいかない。
怒っている海の状態のときに、『ごめんなさい』と思ってしまうのと同時に、『ならば、私を連れ去って下さい』とも思ってしまう。 私の手を下さなければ、残されたものの悲しみは半減するのではないだろうか? と、安易なことまで考えてしまう。
生きるとはどういうことか? 息をするだけのこと? ただ、まんじりと日々を送ること? 食事を採って、仕事をして、寝て、排泄して・・・それだけのこと?
違うよね。 何かが違う。 それだけでいいんだったら、私も、この瞬間ですらしている。
じゃぁ、死ぬってどういうことだろう?
呼吸をしなくなる? この肉体が、屍に変わる? 火葬場で焼かれて終わり? なんとか、私を思ってくれた誰かが泣く?
ううん、そんなことじゃないはずだ。
生きるも死ぬも、そんなに簡単なことじゃない。
きっと、どっちにも、大きな意味があるんだよ。
でも・・・
私には、それが見えない。
じゃぁ、どうすればいいのか?
それすら見えない。
この、息苦しい状態の中、どうすればいいんだろう。 誰かは、きっと何もしてくれないんだろう。 自分の人生、きっと自分なのだろう。