父と、夫
「こんばんは」
「田上君、悪かったね。忙しいだろうに。それに・・・ウチに来るのは、そう気持ちのいいものではなかっただろう。」
「いや、お父さんにはいつも会いたいですから。」
唯の夫は、唯の父を本当の父親のように慕っていた。慕っていて、大好きだった。
「田上君、いつも唯が申し訳ないね。」
「いや、そんな・・・」
バツの悪そうな顔で、田上が言う。
「唯が悪いから、こういうことになるんだろう。」
「・・・・」
「でもな、田上君。」
「はい」
「暴力では、何も解決しないぞ。」
「はい・・・でも、唯、男がいるみたいなんです。お父さん、それはどう思いますか?男として、許せないですよね?」
「そうだな。結婚している女が、夫以外に男がいたらな。 それは許せないよな。」
「そうですよね。だから、俺・・・・。 唯が、わかってくれたらって、暴力を・・・」
「田上君の気持ちは、わかるよ。 そうだったら、そうなってしまうかもしれないな。」
田上は、嬉しそうに、口の端を上げていた。
「俺もな、アイツ(妻)に手を挙げたことがあったよ。大事になるなんて思いもしないで、軽いプラスチックの何かで、感情に任せてアイツを叩いた。」
「そうなんですか?じゃ、俺の気持ち、わかってもらえますよね?」
「そうだな。若いときはな、そういうこともあると思う。 その時にな、そのプラスチックが割れて、アイツの頭に刺さったんだ。」
「ええ、それで?」
「頭から、大量の血が噴出したよ。」
「救急車もんですね。」
少し、楽しそうに田上が問う。
「そうだな。俺も、呼ぼうとしたんだ。 でも、アイツ、『呼ぶな』って、普段言わないような勢いで俺に言ったよ。」
「え?!」
「その後、自分でタオルを出して、当ててた。 何度も何度もタオルが血で染まって、それを洗い流しては、絞って、頭に当てて・・・。 終いには、血が止まったら、髪の毛の上から絆創膏を貼ってたよ。 その絆創膏は、浮いていた。」
「は?お母さん、なんでそんなこと?」
「俺を・・・俺を庇ったんだろうな。それと、悔しさだったのかな。 俺が手当てしようとしても、拒否してたからな。」
「・・・・・」
「アイツは、強い女なんだよ。」
「そうっすね。」
田上は、少し血の気を引いた顔になり、頷いた。
「それでな、俺は、二度と手を挙げることを止めたんだ。」
「・・・・・・」
「人間にはな、感情があるだろう? それは、俺だけではなく、アイツにもあるし、誰にでもある。それを、受け止めてくれるからと言って、垂れ流しにしてしまったら、人間じゃなくなってしまう気がしてな。」
「・・・お父さんは・・・お父さんは、それで、良かったんですか?もし、お母さんが何かしたら・・・お父さんがもし、イラついたりしたら・・・」
「ああ、それはあるだろう? 何せ、生きているんだから。でも、その時々で、少し冷静になることを覚えたよ。 どうにも治まらないときは、一人になったな。何故そう思うのか、と、自分で考えたかったからかな。」
「そう・・・ですか。」
「田上君」
「・・・はい」
「暴力は、やっぱりいけないよな。」
「・・・・・・」
「人間だからな、俺達。」
「・・・そう、ですね。」
そのまま、田上は、青白い顔のまま、俯いていた。
しばらく、そのまま、俯いていた。
どのぐらいの時間が経っただろうか。 父親が口を開いた。
「田上君よ。」
びっくりした顔をして、田上は頭を上げた。
「俺はな、田上君を本当の息子のように思っているよ。それは、嘘じゃない。 でも、娘と別れてくれないか?」
「え?!何でですか? 俺のこと、わかっていてくれるんじゃないんですか?!」
「わかってるつもりだよ。 わかってるつもりだから、言っているんだ。」
「どういう、ことですか?」
「君には、娘はダメなんだろう。 だから、暴力を振るってしまうんだろう? それならば、アイツがいなければ、田上君はそうならないだろう?」
「それは・・・」
「だから、あの子と別れてくれ。 あの子と、孫は、きちんと俺が責任を持つから。 田上君が会いたいときには、何時でも会えばいい。 でも、あの子とは、別れたほうがいい。」
「俺は・・・。いや、俺がいないと、アイツはダメになってしまいます。だから、俺は・・・」
「そうかもしれないけど、俺がいるから。俺が、守るから。 だから、田上君は、次の人生を考えてみないか。」
「お、俺は・・・アイツと、アイツといたいんです。アイツが全てなんです。本当は、アイツが、アイツが・・・・・」
そう言うと、田上は、泣いたまま、しばらく時間を過ごした。
「あの子を、自由にしてやってくれないか。」
ぼそっと、一言父親が言った。