報告
「こんにちは。」
弁護士の市川さんが、扉を開けて、顔だけちょこんと出して言った。
「こんにちは。いつも、お世話様です。」
大分、口が開くようになった私は、普通に話せるようにまでなっていた。
その後ろから、上司も付いて来ていた。
「どう?田上さん。」
「あ、ありがとうございます。 本当に、ありがとうございます。」
本当に・・・
上司がいなければ、市川さんには出会えなかったのだから。
「腫れが、引いたみたいで良かったね。」
「ありがとうございます。」
市川さんと上司は、笑った。 笑った意味がわからないでいる私に、
「田上さん、お礼しすぎですよ。」
二人が言った。
「じゃ、僕は、お先に失礼するね。」
そう言うと、花束を置いて、上司は帰られた。
「田上さん」
「はい」
「お父様に会って来ましたよ。」
「え?! 父はなんて・・・?」
「離婚に向けて、協力して下さいますよ。」
「え?! 市川さん、何を仰ったんですか? まさか、父がそんなこと言うはずないのに。」
私は、驚いてしまった。父がまさか、離婚を許すなんて。 しかも、協力するなんてこと有り得ない。
「お父様は、娘を愛するお父様ですよ、田上さん。」
「え?」
「まぁ、それは置いておいて、ここから先は、田上さんは治療に専念なさって下さいね。 私とお父様で動きますから。」
「何をどう、ですか?」
「そうですね。 まずは、待っていてください。 どうなるかもわからないので、今はそれを言う段階ではないです。でも、信じて下さいますか?私とお父様を。」
しばらく、考えた。
市川さんは、信じることができる。 ただ、どうしても父のことだけがよくわからない。 どうして、頑なに、娘のために離婚を許さなかった父が・・・ 家の敷居は、離婚したら跨がせないと言っていた父が・・・ あの頑固な父がどういう理由で了承したのだろう。
答えが出せずに、しばらく黙り込んでしまった。
「本当に・・・」
「え?!」
ふいに聞こえた市川さんの声に、顔を上げた。
「本当に、お二人は良く似た親子ですね。」
市川さんは、笑っていた。
「どういうことですか?」
私は、何の躊躇もなく、訊ねてみた。
「そういうことですよ。 本当に良く似ている。」
「・・・それは、あんまり嬉しくない言葉ですね。私は、あれほど頑固ではないですけど。」
本心からそう思っている。 だが、冗談と思ったのか、市川さんはまた笑っていた。
「いや・・・こう言うと、ほんの少し田上さんを傷つけてしまうかもしれないけど、案外田上さんは頑固ですよ、きっと。 頑固、というよりも、芯が強いというか。」
「そんなことはないと思うのですが・・・」
そんなことは、ないと思う。
もし、そうだったならば、私はすぐに家を出ていたに違いない。 市川さんにはどう映っているのだろう、この私が。
「取り合えず、今のところは、お父様と私に任せていただきますね。 そう言わないと、今田上さんに『うん』と言ってもらえなさそうだから。」
強行突破に出られた。 今は、そう、私には何もできないことを思い返した。
「あ、すみません。 そうですね、今私が何かを考えても仕方ないですね。 宜しくお願いします。」
「はい、では、またお邪魔しますね。」
市川さんが扉を開け、出ていこうとした瞬間、咄嗟に、
「市川さん!」
「はい?」
「夫を・・・夫と、娘を、どうか守って下さいね。」
そう、発していた。
市川さんは、ちょっと複雑な顔をして、
「大丈夫ですよ。田上さん。 心配しないで下さいね。」
そう言うと、手を振って帰っていった。
父が、何を・・・
そのことだけが頭の中を想像で埋めていた。