大きなトラ猫
◆
引越した家には猫がいた。
「ねえ猫がいるよ」
僕たち家族が入って来た時すでに、天井の梁の上にいた。
「あらいやだ、引越し業者さんに着いて入って来ちゃったのかしら?」
ママは僕の指差す方を見てそう言ったけど、猫がどこにいるのかわからない様子だ。
今にも梁から落ちそうな、あんなに大きなトラ猫なのに。
「ん?猫なんていないじゃないか」
パパも猫を見つけられないらしい。
でも、そのトラ猫はじいっと僕たちを見ている。
睨んでいるように見えるけど、きっと猫はみんなあんな顔なんだ。
でもどうしよう?新しい家に引越ししたら犬を飼ってもいいって言われたのに。ずーっと犬が飼いたかったから楽しみにしていたのに。犬が来たらあの猫とケンカしたりしないだろうか。
「ケンタ、自分の物は自分で片付けるのよ」
そうだ、もうひとつ楽しみな事が。
自分の部屋が貰えるんだった。もう、コタツのスミで宿題をやったりしなくて済むんだ。
引越しに合わせて買ってもらった机やベッドは引越し業者さんが僕の部屋に運んでくれていた。
初めての自分の部屋、初めての自分の机、初めて自分のベッド。
今まで狭いアパートでゴハンを食べるのも勉強するのも寝るのもおんなじ部屋だったから物凄く嬉しい。
「坊っちゃん、坊っちゃんのお荷物これで全部ですか?」
引越し業者の人が大きな段ボールを二つ重ねて運んで来た。すごい力持ちだ。
「ありがとうございます……あっ」
その業者さんの足元を猫がするりと通る。
危ないなあ、タイミングが悪ければ猫が踏まれていたか、業者さんがつまずいて転んでいたかのどっちかだ。
「どうしました?坊ちゃん」
「いやあの……猫が」
業者さんはキョロキョロとあたりを見回す。
「ご近所の猫が紛れ込んで来たんですかね?」
そう言いながらも、猫のいるところを見ていない。猫は僕のすぐ横で、生意気に毛づくろいなんかしてるのに。
そうして業者さんが部屋を出て行き、僕は猫と二人きりになってしまった。
いや、一人と一匹きりか。
なんでここへ来たんだろう?
まあいいや、荷物を片付けないと。段ボールを開けて教科書やノートを真新しい机の引き出しにしまう。いやまてよ?教科書は本立てに並べた方がいいかな? そんな事を考えるのも楽しい。
猫は新しいベッドの上で寝ていた。
教科書や教材、それに服なんかを片付け終わってもまだそのまま寝ていた。
……触ってもいいかな?
……急に引っ掻いたりしないよね?
トラジマ模様のフカフカした毛並みはさわりごごちが良さそうだし、たぷたぷしたおなかは暖かそうだ。
……いいよね?
……怒ったりしないよね?
恐る恐る手をのばすと
「ケンター!下りてらっしゃい、一休みしましょう」
階段の下からママの声がした。
「おじいちゃん達はいつ来るの?」
休憩のおやつ兼軽いお昼ゴハンはピザ。宅配ピザなんて初めてだ。ママが言うには結構高いらしいし、どちらかと言うとウチは今までびんぼうだったから、いきなりお金持ちのお坊っちゃまになった気分だ。
「それがなあ、おばあちゃんの具合があんまり良くなくてね」
おばあちゃんとおじいちゃんはいずれこのウチで僕たちと一緒に住む事になっている。
二人とも今は小さくて古い団地に住んでいる。おじいちゃんの方はとっても元気だ。ただ、最近おばあちゃんは血圧の病気で具合が悪くなったりするという。
「大丈夫かしら?ケンタも冬休みだし、お見舞に行ってみましょうか?」
「いや、大事をとって遠出はひかえた方がいいだけらしいから……ほら、年寄りだから色々身体に不調が出ても不思議じゃないんだよ」
パパはそう言いながらも心配そうだ。
僕もおじいちゃんとおばあちゃんが大好きだから心配で、折角のピザの味も分からなくなってしまった。
「そういえば、ケンタ、片付けは終わったの?」
話題をすり替えるようにママが言う。わざとらしいなあ。
「終わったよ。ところで猫がずーっと僕の新しいベッドに居座っているんだ。どうしたらいい?」
「猫?そういえばさっきもそんな事を言ってたな」
犬の事は少し本を読んだりして勉強したけど猫の事はさっぱりわからない。近所の家の猫なら抱っこして外に出した方がいいんだろうけど、引っ掛かれたり噛み付かれたりしたら怖い。
「いないじゃないか」
僕の部屋に入るなりパパは言った。
確かに猫はいなくなっている。きっと、どこからか外へ出て自分の家に帰ったんだ。それならいいんだ。
「おかしいわね」
今度はママが、ベッドの上をさすりながら言った。
「どうしたんだい?ママ」
「今まで、猫も犬も飼う余裕が無かったから言わなかったけど、私、猫アレルギーなのよ、ほんの少しでも猫の毛が残っていただけで身体中かゆくて仕方なくなるの、でも」
ママが猫アレルギーだなんて初耳だ。
「……全然かゆくならないのよ。猫なんて本当にいたの?」
そういえば、あの猫の姿は僕しか見ていない。