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まあ、残ればご主人様がいないわけだから惰眠を貪れるんだと後で気づいたけどもう遅かった。
ご主人様の宣言から翌々日にはご主人様曰く『手狭』な新居にお引越し。
本邸からは距離があるので、馬車で移動。執事長と侍女長、あとはもう一人の侍女が同乗していた。
「ある程度は片付けが済んでいますから、すぐに生活が始められますよ」
「ありがとうございます」
私たちの荷物を運び込んで、業務の確認をするだけ、か。それが大変そうだけど。
「あなたは必要だと思う業務だけを日々こなしていけば大丈夫です。週に一度、私とセバスチャンが様子を見に参ります、その時に食料等の日用品を運んで参りますから買い出し等で外出する必要もありません。庭師が週に二回剪定に参りますから業務外であっても、力仕事は頼んで大丈夫です」
へー。
「警備をする者も三人雇っています。主に日中ですね、夜間は不要ですから」
ご主人様一人いれば警備の必要もないってことか、すごいなご主人様。
「もし外出をする場合は、警備の者を連れて行ってください、一人では外出なさらないように」
……あれ、おうちの警備じゃなくてもしかして私の監視ですか?
まだ信用されてないってことかな、じゃあ大人しくしてるしかないよね。半年も経つのに信用されてないって、なんかこう胸が痛いけど。ちくちくするけど。ていうか、信用してないんだったらお引越しメンバーにしなければよかったのにね。
その後も侍女長がいろいろと注意事項を教えてくれていたけどあまり頭に入ってこなかった。
警備担当と庭師二人と顔合わせをし、彼らにも協力してもらって家中を整えて回った。
ていうか、ご主人様。
手狭ってどの口が言ったの、手狭って言葉の定義をちゃんと二人で擦り合わせた方が良かったわよええ事前にね!
まあ、本邸に比べれば確かに規模は小さいけど。それでも日本人にしてみれば立派に豪邸です。
玄関ホールとか、緩くカーブを描く階段とか、広いテラスとか、小規模ながら厩舎とかさ。
一人で捌けるのかこの広さ。
不安になりながらもどうにか片付いて、執事長たちが本邸に戻ったすぐ後に、ご主人様が顔を出した。
「お帰りなさいませ」
慌てて玄関まで出迎える。
一人でお出迎えって、新鮮。なんかちょっとさみしい。
「ああ。大丈夫か?」
下げていた頭を上げ、ご主人様の上着を受け取る。
大丈夫かって何が?
「作業は全て完了しております。今から食事の用意をいたしますので、しばらくお休みいただけますか」
言いながら、ご主人様の背後にも人がいることに気付いた。
「失礼いたしました、すぐに客間の準備をいたします」
「これは副官のアランだ。度々顔を見せることがあるだろう、覚えておいてくれ」
「侍女の莉奈と申します。よろしくお願いいたします」
紹介されたら名乗るしかない。ご主人様より一回り小柄な、でも私の目から見れば十分大きい男性だ。
「アランです。閣下の所に可愛い女の子がいるって聞いて連れて来てもらったんだよ」
黒い髪に青い瞳のアランはじっとこちらを見つめている。にこやかですらある。
可愛いって、サイズのことか!
喧嘩を売られたような気がするけれどご主人様のお客様を睨みつけるわけにはいかないので私もニッコリ笑顔を返してやる、愛想笑いは得意ですからね。
「ご案内いたします、どうぞ」
客間に通し、お茶の用意をして戻る。
お茶を出して退室し、食事の用意をしようとしてはたと気づいた。
「……召し上がって行かれるのかしら」
だとしたら私のオリジナル料理ではなく、きちんとこちらの味付けでこちらの料理を作った方が良いだろう。
「濃い味かあ」
自分で作るのは遠慮したいけど、まあ、私の分とご主人様の分は控えめにしておけばいいよね。と思っていたら呼び出しのベルが鳴った。
各部屋に微妙に音色の違うベルが置かれていて、それは私がつけているピアスに直結している。つまり、使用人が一人しかいないから私がどこにいたってどこで呼ばれているかすぐにわかるようになっているのだ、魔法って便利すぎる。聞こえませんでしたとか言えない。しかもこれからどんどん改良するつもりだとか。ピアスが携帯電話化しそうだ。さすがにスマホにはならないと思うけど。
何が必要かわからないからとりあえずおしぼりと茶菓子の追加を持って行くと、廊下にご主人様が待ち構えていた。
「閣下?」
驚いた。普通室内で待ってるもんじゃないのか。
「食事の準備をすると言っていたな」
「はい。少し時間はかかりますがお二人の」
「あれの分は必要ない」
「は、あ、はい、かしこまりました」
「簡単なもので良い」
二人分で良いってことか。主と使用人が同じ物を食べて良いはずがないけれど、どうやらここでは許可が出ているらしく侍女長に何度も念押しされた。『あなたが賄い用に違うものを食べていると知ったらきっと閣下はそれを所望されます』って、脅された。ご主人様の食生活のレベルを落とすわけにはいくまい使用人として。私も美味しいものが食べれるなら文句ないし。美味しいのは私の料理じゃなくて素材だけど。
ご主人様はお菓子を受け取って部屋に戻った。あのガタイで甘いものが好きとか可愛いすぎる。明日はラブリーな形のクッキーでも作ろう。
今日のメインは焼き魚にしようか。
引っ越してから一週間ほど経ったある日。
侍女業務に精を出していると警備の者が門のベルを鳴らし来客を告げた。
現れたのはご主人様の部下のアランだ。
「おはようございます」
出迎え、客間に通す。
ご主人様もいないのに、と思ってお茶を用意していると彼はソファに腰を下ろしたまま手紙を差し出した。
「これを預かったんだ」
「え?」
「今読んで、今返事を」
「……」
なんか嫌な感じ。
手紙を受け取って開封し、便箋を広げる。
「……」
達筆ですねご主人様。
そして新生活に馴染む気ゼロですか。
手紙には『しばらく帰らない』と書かれていた。まあ、ご主人様の婚活が進むのなら全然構いませんが、なんていうか、帰って来ない自由があるなら引っ越す必要なかったのでは?
「……ただの業務連絡のようですが、返事が?」
「いるよ。当然。ここで書いて」
道具を客間に持ち込み、はしたないのを承知でアランの足元に座り込んでテーブルの上の便箋にペンを走らせる。ソファに座ったままではサイズが違うので書き辛い。床に座ったってテーブルは高くて書きにくいんだけど。
『お疲れ様です。お手紙の件、承知しました。どうぞ体調に気を付けて職務を全うされてください。 莉奈』
それ以上どう書けというのか。
見下ろしていたアランが眉を寄せている。
「なんかこう、もっと、色気のある文章が書けないのか?」
「色気?」
業務連絡に色気ってなんだ。
「女っ気のない職場で、閣下だって潤いを求めてるだろうしさ。リナがもっと名前を呼んだり早く帰ってきてねって言ったりすると喜ぶと思うんだよ」
名前とか知らないし。
アランのダメ出しに、最後に一文付け加えてやった。
『追記。 お戻りの際は予め連絡をくだされば、ハンバーグとハート形クッキーを用意してお待ちしています』
「ハート形クッキーって何?」
「閣下には通じるから大丈夫です」
「ふーん。まあ、いいか。ありがとう、これで俺の仕事も捗るよ」
イイ笑顔でアランが帰って行った。
彼は副官だったはずだ、なのにこんな使い走りのようなことをやらされて……まさか、部下が一人しかいない小さな部署なんだろうか。