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「酔っているのか」
「酔いもしますよどんだけ飲ませるんですか」
気持ちがフワフワしている。
こんなに飲んだの、久しぶり。
まあ、ご主人様が珍しく遠慮する間もなく勧めてくるからだけど。
甘い口当たりの、優しいピンクのお酒。甘くて飲みやすいからと飲みすぎてしまったらしい。
「閣下……そろそろ」
「足りないか?」
意地が悪い人だ。
グラスに酒を注いだその手が、離れていく前に頬を擽っていった。
ご主人様に酌をさせちゃってるけど、まあいいか。
酔っぱらって気持ちいいの久しぶり。
ぐい、と喉に流し込む。
「閣下?」
「なんだ」
「さっきから思ってたんですけど」
「ああ」
「近くないですか」
「何がだ」
「私たちの距離ですよ」
「……そうか?」
「並んで座るなんてありえないんですけど」
「何故」
「ご主人様とメイドですよ、住む世界が違うでしょ」
「そうか?」
聞く耳持たない、みたいな返答。
まあ、いいか。
ご主人様が良いなら良いや。あったかいし。
「それはそうと、私、帰れるんですかねー」
「さて。老師が調べているらしいが」
「ご主人様は晩酌相手がほしいなら早く結婚しちゃえばいいと思います」
「……そのためだけに、か?」
「朝起こしてもらったらいいです」
「それから?」
「ご飯も作ってもらえばいいと思う」
「――全部おまえがいれば事足りるじゃないか」
「……労働基準法に反してますって」
「法律か?」
「超過勤務ですよ、ご主人様より遅く寝て早く起きてるんですからね」
「そうか」
「……ねむい」
「寝るか」
「……ご主人様は?」
「……」
「寝ましょ……明日、起きれなく、はっ、明日の仕込してない。閣下、お休みなさいませ、片付けますね」
うとうとしていたのに、はっとして一気に目が覚めた。
何だこの侍女魂、感謝するよ!
すごい、私ってば侍女の鑑じゃない?
このまま寝ちゃったら明日の朝もっと早く起きなくちゃいけなくなるところだった。危ない危ない。
グラスと酒瓶を片付け、テーブルを綺麗に拭き上げる。
飲み足りないのかソファで憮然としているご主人様を寝室に押し込めると朝食の仕込の為に厨房へ向かった。
眠い。
眠すぎる。
繕いものをする手を止めて、外を見る。
あー、外でやった方が捗るかなあ。いやいや、ぽかぽかしてたら余計に眠くなるか。
ぐるぐると肩を回して眠気を覚まそうとしていると、家事室の扉が開いた。家事室っていうか、ここは主に裁縫をする裁縫部屋なんだけど。
「お疲れ様です、侍女長」
「ええ。あなた最近寝不足なのではなくて?」
「……まあ、そう、ですね」
主にご主人様のせいでな!
侍女長は溜息をついて額に手を当てた。
「午後の業務を免除します。昼食後、夕食の準備まで自由にしてよろしい」
「へ?」
「昼寝をしてもいい、ということですよ」
「ひ、昼寝!」
三食昼寝付、っていう募集条件は漫画の中だけだと思ってました。
「でも、業務中に」
「許可ではなく命令です」
「は」
なんか大袈裟なことになってるんだけど。
「朝食も晩酌もあなたが良いと仰るのだから仕方がありません」
「はあ……光栄です」
私の言動がそんなに面白いんだろうか。
物珍しいのはお互い様だし、雇用主に媚を売っておくのは良いかもしれない。
――また、打算だけど。
「閣下が早くお戻りになって、もう少し遅く出立であれば、少しは楽なんですけどね」
とは言え、昼間から使用人が惰眠を貪るわけにもいかないので、知らない間に身についている侍女スキルを利用して昼休みに自室で古着をリメイクしてみました。
こちらの服は全部踝まであるスカート、女性は足を見せてはダメらしい。最初に膝丈ワンピースを着てたのもあって子どもと見做されたみたいだけどね、私。
部屋着代わりに、あちらで見慣れた服を数枚。
大人服をリメイクして子ども服に作り直すのもいいかも。周りに子どもいないけど。
こっそり元の生活を思い出すくらいは、良いよね。
思い出させないで、って言っておきながら、未練がましいな、私。
「……」
裁縫はこの辺にして、お勉強でもするか。
机を片付け、執事長と侍女長が作ってくれたリストを取り出して眺める。横には念のため百科事典。
リストには、私が覚えておくべきことが書き連ねてある。
主にご主人様の好みについてだ。
例えば、色。ご自分の瞳の色よりも、濃い目の青を好まれるとのこと。小物類に青を使うのならば濃い青にすべき。
例えば、酒。辛いものより甘いものを好まれるが、フルーティすぎるものはダメ。
庭園のバラは赤より白がお気に入り。
時々忘れ物をするから執事長が届けることがある――って、執事長の苦労話じゃないか。
そうね、ご主人様は意外と小動物がお好きよ、飲んでる間に聞き出したから。でも家でゆっくり構ってあげる時間がないから残念だってやたら熱っぽく語ってたけどきっとそれはトップシークレットだな、うん。だってご主人様のイメージが。ご主人様の熱弁によると、最近のお気に入りは小さくて柔らかくて、仕草が可愛くて懐いてくるんですって。そりゃ可愛いわ。可愛いものが懐いてきたらなおさら可愛いわ。
でもどこで触れ合ってるんだろ。小学校のウサギ小屋みたいに、職場で飼えるのかな。私も触れ合ってみたいな。猫かな、犬かな、ウサギかな。白かな、黒かな、茶色かな。今度ご主人様に聞いてみよう。
「……ふぁ」
わからないことを辞典で調べつつ、ご主人様への理解を深めて行っていると、いつのまにか転寝をしていたらしい。
「はっ」
机に突っ伏していた頭を勢いよく持ち上げると軽く眩暈がした。
「時間!……よかった、まだ大丈夫」
意外と時間が進んでいないようで安心した。
「仕事に戻ろうかな」
辞典と書類を片付けて、軽く身なりを整えてから厨房に顔を出す。
「おう、まだ早いんじゃないか」
料理人が目敏く気付いて声をかけてくれた。
「ええ。お茶を淹れてもいいですか?」
「ああ」
お茶を飲んで一息ついて、さて、仕事再開だ。
やっぱ昼寝じゃきついですご主人様。
もうそろそろ、ここに来て半年になるけど、早々に限界が来そうです。
纏まった睡眠が欲しいです。
1時半頃寝て、4時半頃起きる毎日です。
もう若くないので昼寝じゃ足りません。
って、言ってみようかなあ。
逆らうなって怒られるかなあ。
クビになったらやだなあ。
せっかくここまでやって来たのになあ。
最初の三ヵ月はとにかく仕事を覚えることだけだったから周りなんて見えてなくて、今日に至るまでにはご主人様の好みや癖なんかまで侍女長にしっかり叩き込まれて、ああやっと私、侍女=メイドっぽくなってきたし辞める前に一回『ご主人様』って呼びかけたついでに語尾にハートマークでもつけてやりたい。
と、考えながら朝食の給仕をしていたら、ご主人様がご乱心あそばされました。
「王宮近くに引っ越す」
唐突に宣言された。
へえ。
そうなんだ、この広大なお邸どうするんだろう、まさかお邸ごと引越し?
「新しく小さい家を用意してある。全員で移動するわけではない」
ほう。なるほど。王都郊外とはいえこれだけ立派なお邸があるのに一人暮らし。
「もしや閣下、婚活ですか」
一人暮らしなら女性の一人や二人引っ張り込めるしな。ご主人様適齢期だしな。やる気になったのか、侍女長も執事長も大喜びだろう。
うんうんと頷いているとご主人様が胡乱気にこちらを見た。
「コンカツとはなんだ。いや、気にはなるが聞かないでおく」
「男の一人暮らしは何かと女手が必要になりますものね。ええ、一人暮らしを満喫してくださいませ」
私はここから応援しています。留守は預かりますので、主に執事長や侍女長が。
「言っておくが、おまえも引っ越すんだぞ」
「え?」
なにそれ。
「詳しい説明を求めても?」
「おまえを連れて引越しをする。手狭だから、一人でも十分だろう。おまえにはあちらの家の管理をしてもらう」
「ちなみに、拒否権は?」
「ない」
きっぱりだ。
まあ、そりゃそうよね。
拒否できないよね。
でもなんで急にそんなこと言い出したの。
「ほぼ全ての仕事ができるようになったと聞いた。こちらの人員を割かずに済む」
「なるほど」
侍女長のあの教育の数々はもしかしてこのためですか。
「王宮に近くなれば、夜は早くなり朝は遅くなるぞ」
「参ります。ぜひご一緒させてください」
身を乗り出して即答していた。
睡眠時間確保!