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「女……」
何愕然としてくれちゃってんのご主人様。
「まさか男に見えていたとでも?」
「いや、ほんの少女だと」
「成人してます。大人です。……もしかして、みなさん私を子どもだと思ってらっしゃいますか」
失敗したかもしれない。せいぜい成人したてくらいに思われてるんじゃないの日本人って童顔だよねって思ってたのに、まさかの未成年扱い。いろいろ手加減してくれてたんじゃないか、配慮とか気配りとか小娘扱いだなあとは思ってたけどさ。そしてあれだ、夜に寝室に入り込んできて慰めてくれたのも、子ども扱いってことね恥ずかしい。
「大人――なのか」
なんなの失礼すぎるでしょご主人様ってば。
「大人ですよ、胸でも触りますか」
大人と証明できるものがそれくらいしかないって悲しすぎるけど。ていうかそれで確認できるのは『体が大人』ってことだけだけどさ。
「……い、いや、いい、信じる」
お、動揺した。
あれか、娘が年頃になって色気づいてきたのを見たときの父親の心境か。
なんかごめんなさい。
ご主人様がコホンと咳払いをした。
「しかし、それだけ体が小さくてはこちらでの生活が大変だろう」
「……え?」
平均ですけど。
この世界の人はもしかして寿命がすごく長くて、私の年でもまだ身長が伸びたりするのだろうか。
「私、もう身長伸びません」
「おまえの世界の人間はみなそのように小さいのか」
「なるほど」
わあ二ヶ月間ずっと勘違いしてたけどそういうことか。
この世界の人たちみんな体格が良いんだ、ご主人様が精鋭を選りすぐって雇い集めているわけじゃないんだ。でもご主人様は二メートル越えだし頭一つ抜き出てるし大きい方だよね。
「私は成人女性の平均身長です。まあ、他の国だともう少し大きかったり小さかったりするかもしれませんが」
「そうなのか……いや、まだ成長途中の少女だとばかり思っていた」
「お酒もたばこも結婚もできる大人です」
「結婚。結婚しているのか」
「え?いいえ、していません。していたらもっと半狂乱になって家に帰せって叫んでいたと思います」
「……そうか。だが、家族は?」
「両親がいます。でも、閣下がそんなに心配してくださる必要はありません。私は今ここにいて、両親と連絡を取る手段は一つもないのですから」
笑って見せたけれど、ご主人様は痛々しいものを見るような顔をした。
優しい人なんだね。厳つい顔してるけど。
新しい環境には慣れるのが大変。新しい仕事も、慣れるのが大変。でも私の場合は『新しい仕事』のやり方が最初から分かっているから大丈夫。迷いなくできるのは重要なこと。ストレスにもならないし、他のことに注力できるから。
「大丈夫ですよ、侍女が向いているのかもしれません私」
「しかし」
「私、ここでの生活に慣れるために必死です。以前の生活に戻れるものなら戻りたいけれど、戻れないのだから今は考えたくないんです。だからそんなに心配なさらないでください。心配されるのは逆に辛いです、閣下にしてみてもずっと私の心配をしないといけないのは煩わしいでしょう」
「煩わしいなど、そんなことはない」
「ありがとう。でも、ずっと心配し続けられるのならいっそ他の職場を斡旋していただけませんか。顔を合わせ続けるのはお互いの為になりません。身元がしっかりしていないから貴族のお邸は無理でしょうけれど、お金のある商家とかでしたら大丈夫では」
「他に遣るつもりはない」
『娘は嫁にはやらん』みたいな感じでご主人様が不機嫌そうに言い切った。
完全に保護者だこの人。
「でしたらこういう話はここで終わりにしませんか?私は早くこちらに馴染んでしまいたいの」
うん、責任を感じているのなら衣食住を提供してくれれば良い。それだけで良い。失敗作は不要だって放り出されるよりずっと良い。
「……困ったことがあれば、すぐに言うんだぞ」
「わかりました」
ご主人様は冷め切った紅茶をぐいと飲み干して立ち上がった。
「夜は時間があるか。成人しているなら晩酌に付き合わないか」
「喜んで」
お酒は好きです。
嬉しい、と前面に押し出して頷くとご主人様は苦笑した。
なんだか、妙なことになってしまった。
晩酌は良い、お酒は好きだし、案外ご主人様も厳つい顔の割には話しやすかったし。
でもさ。
お酒飲んだ後片付けるの私なのよ。その間にご主人様は寝る準備ができるけど、私はその後なのよ。
翌朝パッチリいつもの時間に目覚めた私に侍女長が命じたのは『深酒したご主人様を叩き起こしてくること』だった。文字通り叩き起こして良いもんか迷っている間に部屋に押し込められて、仕方なく寝室への扉をノックする。
「閣下ー、朝ですよー」
勿論返事はない。
うん、昨日は結構飲ませたしね。
熟睡してるのかな。
もう一度ノックをして、意を決して扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
「……おはようございます」
意味もなく声を潜めて呼びかけた。
そっと寝室に踏み込む。独身男性の寝室とか無駄にドキドキする。ていうかご主人様の寝室初めて入った、ベッド大きすぎ。ご主人様が四人くらい眠れそう。幅もあるし長さもあるし威圧感しかないなこのベッド。しかもこの大きさだったらシーツ洗濯するのも大変そう。
「閣下、朝です、起きてください」
私の昨日までの業務にご主人様を起こすことは含まれていなかった。
起きて身支度を整えたら職員用の食堂で朝食を取って、掃除や洗濯に向かっていたのだ。
つまり今日は朝ごはんをまだ食べてない。
「おなか減った……」
ご主人様が起きてくれなければ朝ご飯食べられない。
「閣下おきてー朝ですご主人様ー」
ベッドの横に仁王立ちして声をかけるけれどぴくりともしない。
毛布に包まってこちらに背を向けている。
揺すり起こそうにもベッドが広すぎて手が届かない、マジックハンド的な何かが必要だわね。
「手始めに木刀でも用意して」
それで突いて起こそうか。
「――木刀をどうするつもりだ」
「木刀で閣下の肩をつついて起こすんですよ。おはようございます、閣下」
ご主人様が寝返りを打ってこちらを向いた。
うわー、男の色気とか他の人で滅多に感じたことないのに、この人すごすぎる。ダダ漏れってやつじゃないですか。
これでフリーってことはないですよアニエスさん。
外にはきっとうじゃうじゃいます、お相手。いないはずないじゃないですか。
「……おはよう」
ご主人様が不審気に眉を寄せてるけどはっきり言って目の毒ですセクシーですどうしてくれよう。
「朝から物騒だな」
「え、でも、起こすのに手が届かなかったら不便じゃないですか」
「手?」
怪訝そう。
あれ、起こすとき肩に触れて揺さぶらないのかな。
「失礼しますね」
よいしょ、と、靴は履いたままベッドに乗り上げて手を伸ばす。
ご主人様が胡乱気に見上げてくる。
「こうするんですよ。起きてー!って」
両手を肩に当てて軽く揺さぶる。
「ふむ……それなら確実に目が覚めるな」
「でしょう。じゃあ失礼しますね私朝ごはん今からなんです」
くぅ、とお腹が鳴った。タイミング良すぎる。いや、悪すぎる。
「自分で作るのか?」
「ええ。厨房に入るお許しいただけたので、朝ごはんは作らせていただくんです。慣れてきたらほかにもいろいろ」
朝ごはん何にしよう、味噌とかあればいいのに。
そう、こうやって口を滑らせたのが悪かったんだって、後になってから知るのよね。
ご主人様を送り出して、仕事をこなして、ご主人様が帰ってきて、仕事をこなして、アニエスさんに呼び出された。私今から厨房借りてレシピ研究しようと思っていたのに。もう夜中なのに。
「ご所望ですから」
そう言って酒瓶とグラスを二つ渡される。
ご所望って、ご主人様が?
「晩酌のお相手と、明日からは朝食の準備を。それから」
アニエスさんがものすごくイイ笑顔で言い放った。
『朝のお目覚め係りもね』
なんで。