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それから、ご主人様と顔を合わせない日が続いた。

邸の周囲の警備人員が増えた。ただ、邸内には誰もいない。外に出してもらえなくなった。

私は、夜に一人でいるのが怖くなってしまった。

一晩中明かりをつけて、うとうとするだけで眠れない。急に悲しくなったり、泣き出したりする。

昼間は普通に働いて何も感じないのだけれど、夜はだめだ。

ホームシックだろうか、今更。

こういうのってどうやって克服したら良いんだろう。

眠れていないからか、疲労感が半端ない。たぶん、毎日来ているアランにはばれてるんだろうけど。

そんな状態で調理をしていたからか、指を切ってしまった。傷口から見る見るうちに血が溢れてくる。

「……手当て、しなくちゃ」

救急箱はここにはないから取りに行かないと。

「……」

水で血液を洗い流し、だけどすぐにまた溢れてくる。

「……」

痛いんだけど、痛みがなんだかすごく遠い。

流れる血液を見ていると、何もかもが、遠くに感じてしまった。




目が覚めると自分のベッドの上だった。

「……」

眠っていた気がする。

珍しい、最近まったく眠れなかったのに。

「う」

体を起こそうとしたら背中が痛かった。というか、節々が痛い。なんだ、風邪か。そういえば熱っぽい。

「……」

なんだっけ。

眠っていたはずなのに、疲労感が半端ない。

カーテンの向こうは明るくて……って。

「うそ」

思い出した、私仕事中だった!

がばりと起き上がりベッドから降りる。

なんだ私無意識にサボったの?

手早く鏡の前で髪を整えようとして気づいた、包丁で切った場所が手当されている。

「……閣下?」

いやまさか。

忙しいから戻って来れないと言っていたのだからこんな昼間からいるわけないじゃないか。

とりあえず、仕事に戻らないと。髪を結い直して、身なりを整える。

部屋を出て廊下を歩いているとアランと出くわした。え、出迎えてないのに勝手に入ってきたのこの人。

「寝てないとだめじゃないかリナ!」

え、なんで怒られるの。

「アランさん?」

「ほら、部屋に戻って」

ぐいぐいと肩を押されて方向転換してしまった。

「え、でも」

「全部俺がやっとくから寝てなさい」

「え、全部?いえ、私は仕事に戻ります」

「熱あるでしょ」

「……さあ」

「ほら、とにかくベッドに戻る」

強引に部屋まで連れて行かれてベッドに押し込まれてしまった。

「アランさん」

「……何かあった、閣下と?」

あった。大有りだ。だけど言うわけにはいかないだろう。

「眠って。最近疲れてるなとは思ってたんだ。こっそり溜息ついてるし、目の下にクマができてるし」

ベッドサイドに引っ張ってきた椅子に座って、膝の上で指を組んで少しこちらに身を乗り出すようにしているアラン。視線がきつい。

「自己管理ができていなくてすみません」

「そうじゃなくてさ」

せっかく結い直した髪を解かれた。そしてぐしゃぐしゃに撫でまわされる。

「閣下に何か言われた?」

思わず睨み付けたらアランは肩を竦めた。

「私、帰れないんですか」

「え?」

「帰りたいんです」

ご主人様が帰さないと言ったら、帰れないじゃない。

体を起こしベッドに両手をついてシーツを握り締める。

「リナ」

「帰りたいの」

泣けてきた。

帰れるなら帰りたい。本当に帰る方法がないのなら諦める。帰れるかもしれないのに諦められない。

「リナ……」

アランの手が肩に乗せられた。

「私、どうしたら良いの」

ぐ、と拳に力を入れて呻く。

「帰る方法は、閣下が」

「閣下は探してくださっているのでしょうか」

「どういう意味」

「帰らせて、くれるのでしょうか」

「閣下は君を傷つけてしまったと反省していた」

「……」

「俺は、閣下でも間違ったことをするんだと驚いたけど」

「……」

「リナ」

大きな、温かな手が、肩を優しく撫でる。

ぐ、と上体を持ち上げ、その目を見つめる。

「ん?」

「少し、お時間をください」

「え、うん」

「少し、無礼なことをしても許してください」

「え、何をするつもり?」

「別に痛いことはしませんから」

「ああ、まあ、そういう心配はしてないけど」

「後で謝るから許してください」

ベッドから身を乗り出して両手を伸ばす。

アランが少し身構えたけれどそのまま勢いよく体重をかけてその首に腕を絡めた。

「り、リナ?」

「……」

「えーっと、何この状況?」

「……」

「こういうことはさ、俺じゃなくて閣下に」

「閣下はダメ」

「へ。いやいや、だめじゃないでしょ」

「アランさん」

首筋に埋めていた顔を上げ、間近で見つめ合う形になる。

「う、はい」

「今は閣下のお話はしないでください」

納得してないな。

仕方ないか。上司の客に抱きつかれたらそりゃ迷惑でしょう。

でも私も引けないの。

ぎゅうと再び首に抱きつく。

「アランさんはいつも、優しくしてくれて、とても頼もしいお兄さんみたいで」

ふっとアランの肩の力が抜けたのが分かった。

言っておきますけどあなたの方が年下ですからね。言わないけど。

「寂しいから、傍にいてくれるとうれしいです」

よし。

小さい体が役に立ったみたいだ、悔しいけれど。

アランが諦めて抱き締めてくれた。

ぬくもりって、大事。

圧倒的な体格差はこういうとき、完全に包み込まれてるって感じる。

「閣下がお戻りになったら、閣下に甘えるんだよ」

ご主人様の話はやめてって言ったのに、どうしてもそこに戻っちゃうのね。

迷惑かけているから仕方がないけれど。

「寂しいなら寂しいって言って良いんだからね、それにそれは閣下が解決すべきことだ」

「閣下にはわかりません」

きっと夜一人でいる寂しさも。

帰れないかもしれないやるせなさも。

「それでも。君を呼び寄せた責任を、閣下は負うよ」

責任。

ああ、もしかして。

帰る方法なんてないのだろうか。

帰る方法がないから、帰る気をなくさせるなんて言い出したのだろうか。

帰る気がなくなれば、帰る方法がないなんて告げる必要もない。

「人生かけすぎじゃないですか」

「え、懸ける?」

「そんなことしなくても、帰れないなら帰れないって言ってくださればいいんです。そうしたら私だって諦めて人生設計練り直して、閣下のご迷惑にならないようにそのうち家庭を持って出て行くのに」

「ま、待て待て!」

ぐいと腰を掴まれた。が、離れてやらない。

「ちょ、リナ、離れて」

「やだ」

「誤解、誤解だって!」

「何がですか」

「閣下になんて言われたんだ、いや、良い、君から聞き出すのは良くない気がする。閣下に直接聞くから言わなくて良い。とりあえず君は閣下に会ったらしっかり寂しいって伝えて甘えるんだ、良いね」

「いやですそんなの」

雇用主に甘えてどうする。

「もういい、じゃあ閣下に上手に甘やかすように言っておくから……いや、あの方にできるか?」

「あのですね、赤の他人にしがみついておいて言えることではありませんが、閣下は私の雇用主ですよ。そんな身分を弁えないこと、できるわけないじゃないですか」

「いやほんと、君に抱きつかれたとかバレたら俺命が危ないんだけど」

「じゃあ今から私とお友だちになってください、アランさん」

「え?友だち?」

「友だちだったらちょっと慰めてもらっても大丈夫でしょう」

「友人になるのは構わないよ、だけどここでこういうことをするのは駄目だって!」

「いかがわしいことしてるわけじゃないのに」

「十分いかがわしいよ閣下から見ればね!」

なんだか必死だなこの人。

「閣下は私をどうするの?」

「どう、って……、いやそういうのは本人に聞いてくれよ」

聞けないでしょあんなこと言われた後にさ。

「……そのうち、聞きます」

時間は置いた方が良い、どちらにせよ。

「ん、あっ!」

よいしょ、とベッドに戻ろうとしたが全体重をアランにかけていたらしく上手く戻れなかった。

「手がかかるなあ、まったく」

膝に落下した私を軽々抱き上げてベッドに戻してくれる。

「ありがとうございます」

「気をつけなよ」

「はい」

「俺もう帰るから。こんなとこ見られたらほんとに命の危機だから」

なんだその怯えようは。

アランがそそくさと出て行って、足音が遠ざかったのを確認してから体を起こす。メイドが昼寝なんてしてるわけにはいきません。

そもそも、ご主人様が変なことを言い出すからいけないんだ。変なこと言って、キスなんてして。

本気だとか言われたら絆されそうになるじゃないか。

でもそれがご主人様の自己犠牲的な責任の取り方だっていうなら話は別。冗談じゃない。ご主人様には私を憐れんだり同情したりする資格なんてないんだから。

大体、王子様がそんなことして良いわけない、身分差があったって上手くいくわけないんだし。

「……馬鹿じゃないの、私」

ダメな理由を挙げてる時点でちょっとおかしいんだろう。

絆されそう、じゃなくてもう絆されてんじゃないの。

ご主人様の眼差しを思い出して、抱きしめる腕の力とか、唇の感触とか、あの時のやり取りがよみがえってきて、いたたまれない。

駄目だ、いけない、許されないって、常に考えながら生活しないといけなくなりそうで怖い。

寂しいけど、いっそご主人様が今みたいに稀にしか帰宅されなければ良い。そしたらきっと、考えずにいられるだろうから。

考えながら夕食を作る。荒れていたキッチンは粗方片付けられていて、アランは苦労性なのだとしみじみ考えた。どうせご主人様は戻って来ないので適当に夕食を作り、湯を浴びて早々に寝ることにしよう。

明かりはつけたまま、怖いから。

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