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深夜残業は喜んで引き受けるんだけど、危険手当とかは出ないんだろうか。
私はご主人様を信頼している。
だから大丈夫。
ついでに魔法使いのおじいさんたちの腕も信頼していますから無事なうちに誰か助けて!
知らないうちに知らない場所に転がされてます、大変です、誘拐です!人さらいです!
埃っぽくて薄暗くて、辛うじて一か所ある窓から日の光が差し込んでキラキラと埃がきらめいて……掃除したい。
じゃなくて。
ここはどこだ。
私なんでこんなところにいるの。
とりあえず体を起こしてお守りのピアスに緊急事態を告げて、目を閉じる。早く携帯電話化すればいい。
平和な日本の一般人が、こんな展開についていけるはずがない。
とにかく落ち着いて。
怖くない、大丈夫。
事態を把握するのよ。
大きく深呼吸をして、目を開ける。
そもそも私は誘拐されたのだろうか。
耳を澄ませても何も物音はしない。そろりと立ち上がり、扉に向かう。
ゆっくりとノブに手をかけたが、外からカギがかけられているようだ。こちら側には鍵穴すらない。
二十畳くらいの、板張りの部屋。
昼過ぎにお買い物に出て、帰り道でおうちが見えたところまでしか覚えてない。
なにかあったんだろう、持病の心臓発作とか。で、誰かが拾ってくれて保護してくれて、この板張りに転がし……なわけないよ!
善意の人が外から鍵かけないよ!持病とかないし!
どうすりゃいいの、これ。
誘拐と言えば身代金、私の全財産なんてたかが知れてるし、両親だってこっちにはいないから誰も払ってくれないよ!
身代金目当ての誘拐で、肝心のお金がないとなれば誘拐犯はどうする?
……ああ、ご主人様、私こんなところで死にたくない!
「って、まさか」
ふっと思い当った。
狙われてるの私の財産じゃなくてご主人様じゃない?
うわー、うわー、馬鹿じゃないの、使用人の身代金なんて普通払わないでしょ。赤の他人なのに。いやまあ世間体とか正義感とかで払ったりしちゃうことはあるかもしれないけど、でもそれって私のせいだから私が後で返済しなきゃいけなくなっちゃうわけ?たまに聞くよね、救助はするけど費用は負担しなきゃいけないって。でも私のこれは不可抗力です!回避できないよ、そんなの侍女スキルにないよ!
できれば犯人と顔を合わせる前に助けに来てください。ご主人様でなくても、おじいさま方でもいいので!
一生懸命お祈りをしたけれど、部屋の外から足音が聞こえてきた。わー、ご主人様の足音じゃない。そういえば私神様とか信じてない性質だった。もちろん、八百万の神様はいると思ってるけども。
がちゃがちゃ煩く解錠されて、バタンと乱暴に扉が開く。
ううう、誘拐犯っぽい顔してるのが三人もいる。部屋に入ってきて、目の前まで来てしまった。
怖いってば、短剣ちらちらさせないでよね。
やばい、思考停止しそう。
「よう、目が覚めたか」
凶悪な顔してる。
「これが怖ければ大人しくしてろよ」
ひょいと切っ先を突き付けてきた。
怖いから大人しくする。
「やっぱ小せぇな」
「ああ。おまえの『ご主人サマ』が金払い悪けりゃぁ、それはそれで世の中には変わった趣味のオヤジどもがうようよいるからなぁ?」
ひいいい、何それ、死にたくないけど売られたくもないよ!
「おいおい、怖くて声も出せねえか?」
男たちが笑った。
悪かったな、怖いに決まってる。
揃いも揃って図体でかくて凶器持ってて顔も凶悪で、小市民が怯えないわけがないでしょうが。
ご主人様だって体格良くて帯剣してて厳つい顔してるけど、でも、ご主人様は優しいから怖くない。
そもそもこいつらよりもご主人様の方が強そうだし、だからこいつらも怖く……無理、怖い。
「行くぞ」
急に目の前の切っ先が動いた。
「早くしろ」
一人が部屋の外に出て、もう一人がそれに続き、最後の一人が私の背中をどんと押す。
逆らうこともできずに部屋を出て、細い廊下を少し行くと扉があった。その扉をくぐれば、外だ。
外に出ると幌のついた荷車があった、馬車じゃない、荷車だ。
どこに連れて行かれるんだろう。
「それに乗れ」
荷物扱いかよ、と思ったが口に出せるわけもない。ご丁寧に用意されていた踏み台を使って荷台によじ登る。
このままだと死ぬか売られるかだってわかるけど、でも、どうしたら良いかわからない。
どこに連れて行かれるんだろう。
どうなるんだろう。
怖い。
ただでさえ男女の差、体格の差があり、その上相手は凶器を持っている。私に何ができるだろうか。
何もできないとわかっているからこの男たちも私を拘束しないのだ。
砂や埃、油みたいな汚れが付着した床に座り込む。荷車が動き出すなら、座って体を安定させないと転げてしまうだろう。座りたくないけど。
溜息をついて、外が異様に静かだと気付く。
あの三人組のことだ、騒々しく出発しそうなものだけど。
「リナ」
名前を呼ばれてびくりと反応して、すぐに誰の声かわかって我ながら素晴らしい反射神経で立ち上がって、丁度荷台を覗き込んできたその人に飛びついた。
「閣下!」
「う、おい」
荷台の高さ丁度いいです!飛びついたらご主人様の首根っこでした!
ぎゅうぎゅうと両腕でご主人様の首を締め上げる。
「リナ」
溜息をついたご主人様がぽんぽんと背中を叩いた。
「怪我はないな?」
「ないです」
「何もされなかったか」
「されてません」
ただ怖かっただけだ。
「……怖かったです」
恐怖心を伝えたくて、ご主人様の首筋におでこを擦り付けるようにして唸りながら言うとご主人様の太い腕が背中を抱き締めた。
「もう大丈夫だ。しばらく目を閉じていろ」
「え、はい」
ご主人様が少し屈み、私の体がぐいと持ち上げられる。抱き抱えられたんだ、また片腕だけで。完全に子どもだよね。
首にしがみついたまま、目をぎゅっと閉じるとご主人様が歩き出した。
「閣下!」
ざざざっと走ってくる音。この声はアランだ。
「リナは無事ですか!」
「ああ」
「わぁ……」
わぁ、ってなんだ、アラン。
顔を上げようとしたけどご主人様が『そのままで良い』と仰るのでまた力いっぱい首にしがみつく。
「実行犯は捕え、根城も押さえました」
「わかった。今日はこのまま戻る」
「はっ」
ご主人様はどんどん歩いていく。安定感は抜群で不安なんてないんだけど、どこに向かっているの?
「閣下」
「どうした。今日はもうゆっくり休め」
「おうちに、帰るんですか」
「そうだ」
「閣下のお仕事は?」
「もう済んだ」
こういうの、優しい嘘っていうんだろうな。
「閣下は……」
嘘つきですね、優しいんですね。
どう言ったら良いのだろう、こういう場合。
言葉は見つからないけれど、ただ、それに甘えたいと思った。
相手はご主人様だ。たぶんこれは逸脱してる。ダメなんだけど、わかってるけど、でも他に頼る人がいないんだって、痛感した。




