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王宮から出るとようやくご主人様が食べたいものを教えてくれた。
「食材買ってから帰りますので、閣下は先に戻ってください。すぐに戻ります」
こういう日は新鮮な食材で作りたいよね。
もー、ハンバーグ食べたいとか可愛い!目玉焼きも付けます!
「一緒に行く。重い物を持たせるわけにはいかない」
「か弱い乙女じゃないんですから大丈夫ですよ。閣下は食事の準備ができるまでゆっくり休んでいてください」
お断りしたものの、ご主人様は頑として譲らなかった。
仕方なく商店街まで連れ立って行ったんだけど……なに、この状況。
「閣下」
「……」
荷物を持ってくれるのは良い。遠慮なくお願いする。だけど、商店の人たちの様子がおかしい。いつもとあからさまに違う。
よそよそしいというか恭しいというか。
ご主人様、みんなに顔を知られてるんですね。商店街に買い物に来てる常連客ってことじゃないことはわかる。それって余程の身分でパーソナルデータが国民に周知されているか、もしくは職務で街を巡回しているとか、それくらいじゃないの。ご主人様にはあれだけ立派な執務室があるんだから頻繁に外回りとかしてないよね。
ご主人様は気にしてないみたいだけど、全員が全員ご主人様と私という組み合わせを見て驚いてます。
そろそろ潮時じゃないかと思う。
何も言わずに甘んじてきたけど、雇用主の本名とか身分とか、知ってていいと思うわけよ。
うん、よし、これを機会に聞き出そう。夕飯後のくつろいでる時にでもね。
「これで全部揃いましたから、帰りましょう」
「ああ」
素直に頷くご主人様に、周囲がざわめく。
何なんですかご主人様そんなに有名人なんですか。今度街の人たちにも聞いてみよう。
邸に戻り、余っていたパンをスライスして焼きラスクのようにしてからお茶と一緒にご主人様の私室にお持ちする。すぐにキッチンに戻りハンバーグの種を作り焼き目を付けてからオーブンへ。スープを作り、サラダを作る。付け合せの野菜を蒸して、目玉焼きを焼いて、焼き上がったハンバーグをオーブンから取り出し、ワインの準備をしてカートに乗せる。
かなり頑張った私。えらいぞ私。
カートを押して食堂に行くとすでにご主人様がいた。大体の時間を知らせていたから来てくださったのね、呼びに行く手間が省けた。
ハンバーグを目の前にしたご主人様は少し嬉しそうだ、無表情だけど。
お子さまランチ系お好きなのよね。かわいいよね。ギャップ萌えってやつだよね。
凄い勢いで食べてるのに上品さが失われないって特技じゃないだろうか。いつの間にかお皿が空。
おかわりを準備して、私が食べ終わる間にご主人様は二人前。
デザートは、今回は手抜きさせていただきました。
バニラアイスにコーヒーをかけるアフォガード。気に入っていただけて良かったです。
リビングで晩酌はもう恒例だ。
程よく酔いが回って来ただろう頃を見計らって口を開く。
「閣下?」
「なんだ?」
私が皿洗いをしている間にお風呂を済ませた閣下は目の縁を赤くしていてなんだかすごく色っぽい。
そういう色気を向ける相手がいるんだろうなあ、どんな人だろう。自分に向けられたらちょっと耐えられそうにないや。
「今日はお仕事中にお邪魔して申し訳ありませんでした」
「気にしなくていい。アランだろう」
「邪魔してしまったのは変わりませんから」
行先も告げずに連行したのはアランだけどね!
「伺いたいことがございます」
「聞きたいこと?言ってみろ」
「教えていただけますか、閣下のお仕事の内容と、閣下のお名前」
「……」
ご主人様の視線が手元に落ちた。
なんでそんなに嫌がるの。
そしてなんで今まで誰も教えてくれなかったの。
「無理に聞き出したいとは思っていませんが、私の故郷ではこういう場合『信頼されていないのだ』と考えます」
「信頼はしている」
「ありがとうございます」
雇用主の肩書とか名前とかって普通は知ってるもんだと思うのよ。執事長も侍女長も、他の使用人たちもみんな『時機が来たら』って口を揃えてた。アランも、研究室のおじいさま方もそう。
「今はまだ言えない」
ご主人様は重々しく仰った。
でも、大人しく引き下がるわけもないよね。
「街の人々は皆閣下のことをご存知のようでしたから、聞いてみます」
「リナ」
咎めるような声音だ。眉間に皺が寄ってる。
でも、ねえもう限界だと思うのです、ご主人様。
「私も、いつまでも知らないふりはできないんですよ。今日商店街に二人で行って、人々の様子を目の当たりにして。今度行ったらきっと誰かしら閣下のお話をします。せめて閣下ご自身の口から教えていただきたいのです」
基本的にご主人様は優しいんだと思う。悪い人に騙されたりしなければ良いな。
洗いざらい話してくれました。
名前と、身分。職業について。
ディートハルト・グリーベル・ヴァーツラフ。
三人いる将軍職の一人なんですって。軍人さんだった。しかも最高位の。強いんだご主人様。そして偉いんだご主人様。
やっぱり名前が長くて覚えられない。名前で呼びかけることなんてないけど、雇用主の名前くらいはフルネームで覚えないとね。
「ディート、ハルト、様」
眉を寄せつつ言ってみたがたどたどしくなってしまった。
「ディートハルト、グリー、ベル?バーツラフ……ん、ヴァーツラフ?え、ご主人様、ヴァーツラフ?」
ヴァーツラフって聞いたことある。
聞いたことある、っていうか、国の名前じゃない?
書類のお名前記入例によくある『日本太郎』みたいなのを狙ったの?いやいや、まさか。
「ヴァーツラフ、という家名は多いのですか」
「……いや」
言いたくなさそうだな。
でもこうなったら最後まで言っちゃえ、ていうか言ってくださいご主人様。覚悟できてます。
「現国王陛下は俺の父親だ」
ですよねー……。
「大物だったんですね閣下」
「継承権はとうに放棄している。今は名前だけだ」
「継承権があったってことだけですごいです」
王位継承権でしょ?
普通は王様の子どもだけでしょ?
あれ、なんで放棄しちゃってんのご主人様。
「ちなみに、放棄できるものなんですか?」
「放棄したんだ」
「できたんですか」
返って来たのは無言だった。
「踏み込んでいろいろ伺いたいんですが」
「答えられる範囲内でなら」
「閣下は何番目の……」
王様の何番目の子どもですかって聞こうとしたけど。
「え、閣下王子様なんですか!?」
私は王子様などと接する機会のなかった日本人だ。王子様という人種はキラキラしいというイメージしかなかった。もちろん王様だったら髪の毛くるんとして金色の王冠かぶって口髭生やして赤いマントだし、お妃様はすらっと背が高くて伏し目がちな貴婦人だ。想像力が貧困すぎる。
「一応、そうだ」
ご主人様はもちろんかぼちゃパンツなんて履いてない。
「王子様なんですねー……」
でも、だから何?だ。
驚いたけれど、だからと言って別に何が変わるわけでもない。私の雇用主はご主人様だ。
「えーと、閣下の使用人としては私は外に出る時に何か気を付けた方が良いのでしょうか」
街の人たちとあまり親しくしてはいけない、とか。おまけしてもらったり値切ったりしたらいけない、とか。うん、思い切りやってるね。
「何も気にしなくていい」
そっけない。
「でも、そんな人がこんなところで一人暮らしなんてしてていいんですか」
もっとこう、偉い人ってSPとかついてたりするんじゃないの。黒スーツのさ。
「おまえもいるだろう」
「侍女一人ですよ」
沢山の人に傅かれて至れり尽くせりなんじゃないの。本邸にはいっぱいいるけどさ。
「事足りる。……辛いか」
「え?いえ、私は伸び伸びさせていただいてますから辛くないですよ」
困るのは私じゃなくてご主人様じゃないの?要人なんだからさ。
「寂しく思うことはないか」
「閣下が元気でいてくだされば大丈夫です」
大体、帰れなかった場合に備えて若いうちにここでひたすら働いて老後の資金を貯めないといけないんだから寂しいとか何とか言ってる場合じゃないし、ご主人様はちゃんと私を雇用し続けてくれないと困る。
こっちにいる方が本邸にいるより給料良いんだから不満なんかないよ。
「で、どうして今までそんな大事なことを教えてくださらなかったんですか」
「最初は、おまえが何者かわからなかったからだ」
怪しい人物だったから、と。
そうね、不審者に向かって自分は王子様だとか名乗らないよね、まあ。
私の方は良い人に拾ってもらったっていう認識だけど、ご主人様にしてみたら厄介ごとを背負い込んだっていう認識だろう。申し訳ないけれどそこは誰かに責任を取ってもらわなければならないところだし勘弁してほしい。今は良好な主従関係を築けていると思うし……良好だよね、私たち。
「大丈夫か」
考え込んでいると気遣わしげに声をかけられた。
主人なのに使用人に気を遣う人だ。
「私たちの関係は今は良好でしょうか」
さっき信頼してるって言ってくれたし大丈夫だよね。急に解雇とか言わないでよね。何か心配になってきた。
あんまりご主人様の意向とか気にせずに仕事をしてきて、それに対して今まで文句も言われたことないからいいように解釈してたけど、それって私の独り善がりだったかもしれない。そうよ、ただでさえ私は厄介者なんだから、なんていうかもっと謙虚に機嫌を取りつつ仕事しなきゃいけなかったんじゃないか、家族経営の会社に一人だけよそ者が入社した、みたいな感じで。
「不満などない。おまえはよくやってくれている。今ではおまえに対し何の疑いもない」
「ありがとうございます」
ちょっと安心した。
疑いだせばキリがないから、私はこの人を信頼するしかない。最後まで、この人だけは信頼しないといけない。
「おまえはどうだ、不満があれば言ってくれ」
「私には閣下しかいませんから」
この人だけ信じて生きていく。
まあ、家庭を持ったりできるならその限りではないけれど少なくともそれまでは。
「閣下の為に、全力を尽くします」
深夜残業だってどんとこいよ。
ちょっとだけ気持ちが軽くなって、ご主人様のグラスにワインを注いだ。




