13
やたら馬鹿でかい建物。ご主人様の本邸とは比べ物にならないくらい大きい。お城だ。お城。王様とお姫様が住んでるんだきっと。
ここまでの道程はさっぱり覚えていないけれどきっとアランが責任持って連れて帰ってくれるだろう。
少し歩いて、大きな門をくぐって連れて行かれたのはどうも、訓練場のようだった。まあ、回廊の真ん中の中庭のようだけど、大量の男の人が武器を振り回しているからきっと訓練中なんだろう。
そうか、武器か。
戦争とかあったりするんだろうか。現実感がないけど、ご主人様が戦争に行くようなことになったら嫌だな。
「ほら、おいで」
アランが手を引く。だけど動けない。
武器なんて初めて見た。
ここ、突っ切るんですか。
「とある任務に出ててさ。今日帰ってきたんだ」
アランがこちらを見下ろして言った。見上げると首が辛い身長差だけど、何か大事なことを言っていそうだから表情は見たい。実際見てみたら笑っているだけだったけど。
「今日?でも、アランさんとはここのところ毎日お会いしていますが」
「俺じゃなくてね。まあ、今日帰ってきたばかりなのに訓練が再開した上に今夜も泊まり込むつもりみたいだからよく効く薬を持って来たんだ」
「おっしゃっていることが全く理解できていません」
「いいよ、いいよ。ほら、おいで」
また引っ張ろうとするけれど、武器が飛び交う中に入って行くのは武器を見たことすらない日本人には難しいです。
「あの、申し上げにくいのですが侍女に必要なスキルでしょうか」
「え?」
「……」
察しろ。
怖いんだってば。
侍女として求められるっていうのなら応えるために頑張るけど、そうじゃないよね。
「怖い?守るための剣だよ」
うまいこと言ったって無理。
拒絶の言葉を口にしようとしたが、何故か後ろからぐいと肩を掴まれた。
「何をしている」
アランが手を放し、私は勢いで数歩後ずさる。肩を掴んでいる相手を見上げれば、よく見覚えのある相手だった。
「閣下」
「何かあったか」
「あ、いえ、あの」
アランに連れて来られただけだし別に用事も何もないのだけれど、何故かご主人様が私を見下ろして厳しい表情をしているのでどうやら私が答えなければいけないらしい。助けを求めてアランを見ると彼はバスケットを指差していた。
「あの、閣下に、差し入れを」
「……差し入れ?」
ピクリと眉が動く。
こうなればやるしかない。
「朝焼いたんです、お疲れでしょうから甘めのパンが良いと思いまして。ご迷惑だとは思いますが、お持ちしました」
バスケットを捧げ持つと少しの沈黙の後に受け取ってくれた。ふっと手の上の重みがなくなって、そして。
「ん?」
何故か今度はご主人様が私の手を掴んでいた。
「来い」
中庭を突っ切る、ということはしなくても良かった。
いつの間にかアランは姿を消していて、私はわけもわからずご主人様に引っ張られて長い廊下を歩き、階段を上り、立派な扉の向こうの部屋に押し込められた。
「こ、ここは」
「俺の執務室だ」
うん、広い。
奥にも扉があるから少なくとも二間以上あるってことね。
この広い部屋は一番奥に立派な執務机があり、恐らくそこでご主人様が執務をしているのだろう。
私が手を掴まれたまま連れて行かれたのは、衝立で入口からは見えないようになっている、部屋の片隅の応接セット。座るように指示されて素直に腰を下ろす。
「アランが連れてきたのか」
向かいに座ったご主人様が重々しく問いかけてきた。
「はい。あの、お仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありません。すぐに戻ります」
「良い。早めに仕事を片付ける」
どういう意味だろうか。
疑問符が顔に浮かんでいたのだろう、ご主人様は少し眉を寄せた。
「切り上げて、連れて帰る」
私をか。
なるほど。
「ゆっくりしていると良い」
「はい。あの……閣下も無理はなさらないでくださいね。長くこちらを離れていたと聞きますし」
無言で頷くご主人様。
「今も休憩中だ。心配することはない」
「休憩中でしたら私お茶でも淹れます」
逡巡したご主人様が、テーブルのバスケットに視線を止めて許可をくれた。
「続きに一通り揃っている」
「用意してまいります」
示された扉を開くとそこは小さなキッチンになっていた。更に奥にも扉があるがまさか開けて確認するわけにもいくまい。
あまり使用されていないのだろう、ピカピカのキッチン。
お湯を沸かす用意をし、茶葉と茶器を用意する。
「あ……」
優しいバラの香りのする紅茶は、以前アニエスさんがくれて私も気に入っているものだ。これがここにあるなんて、嬉しくなる。
それにしてもご主人様がバラの紅茶って、なんだか可愛い。
茶器に湯を注ぎ、蒸らす段になってからトレイに全て乗せ部屋に戻る。茶器の音をたてないように静かに衝立の向こうに声をかけた。
「閣下、準備ができました」
返事はなく、外されたのかと思いながら覗くとご主人様はそこにいた。
腕を組んで少し俯いて、先程と同じようにソファに座っている。
「閣下?」
テーブルにトレイを置き、呼びかけるが返事はなく、そこでようやく気付いた。
眠ってるんだ。
「……閣下、せめて横になってはいかがですか」
長期出張で疲れてるんだろう。声をかけたが反応がない。
「てか、ご主人様仕事中じゃないの」
起こした方が良いんじゃないか。私も帰るの遅くなるし。
「閣下」
近づいて、そっと右肩に触れる。
「閣下」
ご主人様の眉間に皺が寄った。が、起きない。
よほど疲れてるんだろう。
居眠りしていて大丈夫なら眠っていただいても良いのだけれどどうなんだろうか。
「閣下。……横になってください」
肩を押すが、びくともしない。
うん、だよね。
よし。
肩に両手を当てて全力で押すとようやく体が傾いだ。
あ、でも、倒れ込んだら起きちゃう。
左側に回り込んで支えようとしたけど、
「……おもい」
だよね。
支えきれない。
ソファに上って受け止めようとしたものの逆に押し潰された。
「か……っか」
腰、腰捻ってる、痛い、重い!
もがきにもがいてなんとか上半身だけは下敷き状態から抜け出したが、まあいわゆるこれは膝枕だよね。
「ふう……」
これ以上もがく気力がない。
まあ、好きなだけ惰眠を貪ってくださいな。
じっと寝顔を眺めていたからか、ご主人様は大層不機嫌です。
ご主人様の頭を乗せていた足は痺れて固まっています、動けません。
目覚めたご主人様はしばらく呆然としていて、ようやく覚醒したかと思ったらがばりと飛び起きて、私に一言『すまない』と仰いました。
お茶を淹れ直します、と申し上げたのですがご主人様は冷め切ったお茶をぐいと飲み干して立ち上がり、仕事をするから終わるまでここで待つようにと命じられました。
うん。
どうせ動けないけどね。
二度とこんなことはすまいと誓った、二度とこんな機会はないだろうけど。
足の痺れと戦い疲れて脱力していると、仕事を済ませたらしいご主人様が衝立の向こうから顔を出した。
「大丈夫か」
「だ、いじょうぶです、すぐに片付けます」
ソファからずり落ちて立ち上がろうとしたけど力が入らなかった。
「あ、あれ?」
「無理をするな」
ひょいとソファの上に戻された。
「上に報告に行ってくる、もう少し待てるか」
「はい」
勿論です、待ちますとも。
ご主人様が部屋から出て行って、しんとした空間で私はひたすら足をマッサージした。多少なりとも早く痛みが和らげば良いが。
しばらく足をほぐし、キッチンで茶器一式を片付けて部屋に戻ってもまだご主人様は戻って来なかった。
「……」
知らない広い部屋に一人だと、なんか寂しい。
日も暮れ始めてるし、
「早く戻って来ないかなあ」
窓辺で呟いた瞬間に扉が開いた。
今の独り言声が大きかったかも、と思いながら振り返るとそこにはご主人様。
「お帰りなさいませ」
反射的に口にして、別にお帰りも何もなかったかと考えるけれどここがご主人様の執務室なら別に良いのかとも思い直す。
「帰るぞ」
「はい」
相変わらずの無表情。
無表情だけどそれは先程の不機嫌さとは違う、機嫌が悪いわけではなくて疲労が見えているだけだろう、早く帰ってゆっくりお休みいただいた方が良い。
手早く帰宅準備を整えたご主人様が、目の前に手を差し出してきた。
「……」
お手?お手をすればいいの?
大きな手のひらを凝視していたら、ご主人様が一瞬眉を寄せて手を引っ込めこちらに背を向けた。
なんだったんですか。
まさかとは思いますがエスコートですか。そんなのされたことないからわかりませんよ一般市民なんですから、ていうか侍女ですよ私
一度くらいはされてみたいけどねー、あこがれるよねー。
「あ、パンも持って帰らなくちゃ」
僻み根性丸出しでご主人様の後ろ頭を睨みつけていると結局召し上がって頂けなかったパンの詰まったバスケットの存在を思い出し、テーブルに取りに行ってご主人様の後を追う。
「閣下、待ってください」
言わなくても待ってくれてた。
廊下に出て、三歩くらい後を歩いていたら不快気に隣を歩くように命じられた。
え、いいの?
家でなら従うけど、ここ王宮だよね、普通は侍女と肩を並べて歩いたりしないんじゃないの主って。それに三歩以上は離れたいっていうのが本音、近すぎるとご主人様のお顔が見えないんだもん、身長差がありすぎてさ。
でもご主人様が歩調を緩めてくださったから並んでしまった。
「閣下、夕食は何を召し上がりたいですか?何でも作ります」
「手のかからないもので良い」
「腕を振るいたいんですけど、閣下と食事ができるのも久しぶりですし」
良い食材を使って美味しいものを作りたい。そしてゆっくり疲れを癒していただきたいのだ。
「……」
ぽんと頭にご主人様の手が乗った。
なにこれ。
ぽんぽんされてなんだか誤魔化された。




