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子ども扱いしないでほしい。
そうダダを捏ねたらご主人様が渋々頷いて、外に出る許可をくださった。
きっと、子どもにしか見えないのが危険だと心配してくださっていたのね。迎えに来たアランが眉尻を下げて教えてくれたから納得はしてる。
最初に連れて行ってくれたのは、パン屋さんだった。
食料品についての知識は、ない。
見ればわかるから不便はないのだけれど。
つまり、目の前に野菜があれば名前や調理方法がわかるけれど、見たこともない野菜の知識は一切ないのだ。
初めて見た瞬間に、まるで目隠しが外されて視界が開けたみたいに情報が頭の中に入ってくる。便利といえば便利。最初はこの感覚が気持ち悪かったけれど、今では生きていくのに役立っていると思ってる。
小さなお店の前に立つとそれだけで良い香りが漂っている。
「入ろうか」
アランが扉を開けてくれた。
大きなバスケットに山積みにされたパン。あまり種類は多くないようだ。
見ているうちに頭の中ではパンの作成プランが組み上がっていた。
「パンはどれも同じくらいの硬さですか?」
「そうだよ、そんなに種類はないさ」
硬いんだよね、こっちのパン。まあ、パンをくり抜いてシチュー詰めたりできるからそれはそれで美味しいんだけど。
そうじゃなくて最近ちょっと、ふかふかの白いパンとかを食べたいのです。
パン屋さんを出て、八百屋さんを覗き、肉屋さんを覗く。最初は食料品店で、そのうち日用品になり、服飾品になった。
「買わなくていいの?」
アランが聞いてくるのに頷く。
「お邸の物はやっぱり勝手に買ってはいけないと思って」
「お邸の物って……え、リナの物だよね?」
「え?お邸にあるものは全部閣下の物ですよね?」
「えーっと、例えば、その服とか。閣下はそれ着られないし」
着てたらおかしい。躊躇なくお暇を頂く。
「よし、質問変えよう。給金は出てるだろう?」
「……ええ」
一銭も使ってない確かに。
必要な物は、言えば大抵侍女長と執事長が用意してくれるし別に嗜好品が必要なわけでもないし。装飾品なんて要らないし見せる相手もいないし。
そもそも老後の蓄えにするつもりだし。
「給金は、自由に使って良いお金だよ」
「知ってますよ子どもじゃないんですから」
「使えば良いじゃないか、たまにはかわいらしい格好をしてみるとかさ」
「んー……」
でも、既製服は、合わないし。
こちらでいうところの子供サイズなわけですよ私。
大人服の既製品だってお店にあまり置いてないのに、つまり採寸して一人一人のサイズで作るようだしここは。のこのこ行って、子どもデザインじゃなく大人デザインでお願いとかしたら変な目で見られないかしら。あそこのお邸は子どもに大人の格好をさせてる、とか、もしくはあそこのお邸は小さい女を囲ってる、とか。いろいろ言われる可能性もあるわけでしょ。
そういったことを婉曲に表現してみたらアランが渋面を作った。
「大丈夫です、必要だったら自分でリメイクしますから」
実際、動きやすい服を作って人がいない間はそれを着ているのだしアランも見ているではないか。何も不自由はない。
日常生活に不便がないのだから、お金を使う理由もない。あれは貯めておいて、老後に備えるのだ。もし追い出されるようなことになった時には持ち出すのだ。いや、それなら宝飾品にしておいた方が良いか?いやいや、そこから足がついても困るし――って、別に犯罪者でもあるまいしそこまで考えなくてもいいか。
「若いんだからもっといろいろ、楽しまないと」
「そう言ってくれるのは嬉しいのですが、私もうそんなに若くないですし。そうだわ、ねえ、アランさんが時間の都合がつくなら私に直接『楽しいこと』を教えてください、そうしたら散財できるでしょう」
「……っ」
何故か絶句したアランに、次の瞬間にはすごい勢いで拒絶されたのでちょっと傷ついた。
何を教えて欲しいと言ったと思ったんだろう。
ご主人様がおうちに帰って来ない期間が始まった。
今度は出張で十日くらい戻って来ないらしい。
家の中の仕事が終わって、暇だから警備のオジサマに話し相手になってもらって時間を潰す。
昼食に訪れたアランが、夕刻に改めて訪れる。
「家主がいない間に男を連れ込んでるって思われるのも嫌なんですけど私」
言ってみたら眉尻を下げていつかの大型犬みたいに見えたので、仕方なくフォローする。
「まあ、一人だと暇を持て余すから話し相手がいてくださるのは嬉しく思います」
「そう?」
途端に嬉しそうな顔をする。
それに苦笑して、一歩身を引く。
「どうぞ、夕食召し上がって行かれるでしょう?」
「うん。毎食レポートを閣下に提出してるんだ」
ぞっとする冗談を言ってアランがにこにこと食堂までついてくる。
席に案内し、食事の準備が完了するまでと茶を出してキッチンに戻る。
ご主人様よりこの家に馴染んでるんじゃないかしら。滞在時間はご主人様より短いだろうけど、ご主人様は睡眠のために帰ってきてるようなものだし、顔を合わせる時間は絶対アランの方が長い。
これも職務なのか、大変だな。
でも上司の使用人の監視が業務なんて、地味すぎるしなんだか可哀想というか申し訳ないというか。
どうしたら良いのか、私にもわからないけれど。
この状況はきっと誰にとってもよくないことだと思う。
手違いでここに来てしまったからだ、私が。
「……」
他力本願なことするからよ。って思った。
でも、どこかに活路を見出したかったのかもしれない。
それだけ追い詰められてたってことかもしれない。
あの人たちが必要に迫られて行ったことなら、こうやって何日もご主人様がおうちに帰って来ないのも仕方がないのかもしれない。
いっそ私が、物語によくあるような聖剣を抜ける勇者だったり伝説の龍と対話できる能力を持っていたり、えーとあと、まあなんかそういう便利な力を持っていたら良かったのにね。
侍女能力しかなくてほんとごめんって感じ。私悪くないけど。
「大丈夫?」
「え……」
不意に顔を覗き込まれて瞬きをした。
なぜこの人がここに。
侍女の聖域だぞキッチンは。
私のテリトリーに入って来ないでよ。
「泣きそうな顔してるよ」
少し屈んで、それでも目線の位置は合わないけれど。
「そんなことないです。すぐに準備いたしますからもう少しお待ちくださいませ」
出て行けと言外に言ったつもりだったが、彼は出て行く素振りも見せずに休憩用の椅子に腰を下ろした。
「今日はここで食べようよ」
「え?」
何を言い出すんだ急に。
「食堂は広いし、二人しかいないのになんだか寂しいだろ?」
「……お好きなように」
アランに背を向けて準備を続ける。彼は何も言わずに待っている。いつも賑やかな人が静かだとなんだか落ち着かない、と思ってそっと振り向くと彼は笑顔でこちらを見ていた。
なんだか、できの悪い子どもを見守る保護者、みたいな。授業参観の居心地悪さ、みたいな。
食前酒を提供し、できるだけ早く準備をし、お客様用の器に料理を盛る。
「お待たせいたしました」
今日のメインはロールキャベツ。
作り慣れた料理を彼らに出すときはまだ緊張する。
口に合わなかったらどうしよう、って。
以前なら考えたこともなかった。ロールキャベツは美味しいもの、ていう認識が皆にあったし。
「わ、また新しい料理だ、嬉しいな」
アランは笑顔だ。
さっそくメインに手を付ける。
上品にナイフで切り分けて、口に運ぶのをじっと見つめる。
咀嚼して、嚥下して、また笑顔。
「うん、美味い。中は肉なんだね」
「ええ。スープも味付け次第でいろんな味を楽しめます」
安心した。
彼らが不味いと言ったことはないけれどそれでも心配なものは心配なのだ。
「そういえば」
「はい」
「閣下の帰還時期についてだけど」
「はい」
「もう少し長引きそうなんだ」
「そうですか。どのくらいですか?」
「最初に言ってた十日と、それから十日くらい。業務内容によってはもう少し」
期間が倍増になる出張って何。
「遠くに行っているのですか?」
「うん。ちょっと厄介でね。だから閣下を励ますために手紙書いてよ」
「……」
なんでそう、手紙を書かせようとするのこの人。
普通部下から手紙もらったって嬉しくないよね。それか何か、迷信的な何かがあるのかな。部下が励ましの手紙をくれると主人の運気が上がる!とか。主人の運気が部下任せとか嫌すぎる。
私筆不精なんだけどな。
「閣下も喜ぶよ」
お世話になっている身としては、そう言われたら断り辛い。
食事を終わらせて、アランにプリンを差し出してからレターセットを取りに部屋に行く。
キッチンに戻るとアランが至福の笑顔を見せてくれた。
「プリン美味い。相変わらず美味い」
「ありがとうございます」
テーブルを片付け、紙を広げる。
何を書けば良いのやら。
思いつかない。
しばらく白紙を前に唸っているとアランが呆れたような目でこちらを見ていた。
「また思いつかないのか?」
「だから筆不精なんですってば」
やっぱり、体調を気遣う文面くらいしか捻り出せない。
あまりに素っ気なさすぎるといつもダメ出しを食らうんだけど、思いつかないものは思いつかない。
目の前にいてのおしゃべりだったら結構できるんだけどな。
家に籠りきりだから『最近あったこと』とかもないし。順調に切り盛りしてるし。
えーと、新作のお菓子を試作中ですので、楽しみにしていてください、と。
今度はダメ出しされる前に封をした。
「よろしくお願いします」
「お預かりします」
恭しい仕草で受け取ったアランがそれを懐に仕舞い込む。
「閣下は無事に戻って来るよ」
「ええ」
そうでなくては困る。




