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それから度々アランがやって来るようになった。
ご主人様が出張で帰らない報せや、遅くなるから先に休めという言伝を持って。
アランが来るなら口頭で良いだろうに、ご主人様は律儀なのか毎回封書だ。しかも返事を持って帰ろうとするからその場で書かないといけない。待たせるのも良くないので茶菓子を用意し、軽食を用意しているうちに食事時に訪れるようになってなし崩し的に何故か昼食を取りに毎日来るようになった。いたたまれない。主の部下と二人きりなんて。
と、思っていたのは最初だけだった。
アランはなんというか、いつも笑顔だ。家でも基本表情を動かさないご主人様と全然違って面白い。
話し相手といえば警備の屈強なオジサマ三人と、週に二回くるこちらもまた体格のいい庭師のオジサマ二人くらい。ほんとは花のある女の子ときゃーきゃー騒ぎたい気持ちもあるけど、お外に出られないから仕方がない。外出はもう少しオジサマ方と仲良くなってからおねだりしてみよう。
今日は先に掃除を終わらせてから昼食を作ろう。うん。どうせ連絡なくてもアランは来るんだろうし。
天気もいいから窓を磨こう、曇りのない窓はきれいに光を通すから好きだ。脚立を持ってきて、洗剤を含ませた布で磨いていく。今日はリメイクした膝丈ワンピースにこれまたリメイクしたレギンス風パンツだからアクティブに動いても全然問題ない。誰もいないときは良いでしょこのくらい。
「へえ、そういう格好するんだ、珍しいね」
集中していたら急に下から声をかけられて、声を上げる間もなくバランスを崩した。
「!」
「わ、っと、ごめん」
間近で青い目が覗き込んでくる。
足を踏み外したのを受け止めてくれたのだ。
「わ、ちょ、暴れたら落とす!落ちる!」
客人に受け止められるなんて侍女としてあるまじき!
じたばたしているとぎゅうぎゅうと体を締め上げられて失神するかと思った、少なくとも息が止まった。呼吸止まったら酸素求めて暴れるよね仕方ないよね。
で、気づいたら近くの部屋に運び込まれてソファに放り投げられていた。しかもアランがのしかかってきてる。
「……死にそう」
一生懸命肺に空気を吸い込む。
「ごめん、大丈夫?力強すぎた」
「――この体勢は、いろいろまずいと思います」
「あ……ごめん」
真上から覗き込むのはやめたがアランはそのままソファの前に座り込んだ。
「ごめん。リナは細くて小さいのに俺、加減できなかった」
すっかり落ち込んだ様子で手を握ってくる、抵抗する気力すらなくて好きにさせておいた。
まあそりゃ普段接しているような人たちとは骨格からして違うでしょうからね。
「ほんとに、小さいな」
こっちがまだ酸素を求めて一生懸命深呼吸してるってのにアランは呑気に人の手の甲を撫で回している。なんなの手フェチなの。こっちに来てから大概荒れましたけど大丈夫ですか触り心地良くないでしょ。
アランの視線が手から離れたのが分かった。
「……」
わーなんだか身の危険を感じる。
アランの視線が、足元からゆっくりと上がってきて胸元で止まった。もちろん大きく動いてるよね胸。息苦しいし仕方ないよね。
「リナ、もしかして……」
アランが少し目元を染めた。
「もしかして、大人?」
このタイミングでその質問なの!?大体、どこ見て言った!
私は思わずアランの手を振り払って、勢い良く体を起こした。乱れているスカートの裾を戻し、ソファから飛び降りる。
「成人してますが何か?小さいのは知ってますけど、子どもじゃありません!」
腰に手を当てて睨みつける。さすがに相手が座り込んでいれば私の方が目線が高い。
「なんなのみんなして人のこと子ども扱いして!もうこれ以上成長しないんだから仕方ないでしょ!大きくなれるならとっくになってますよ!」
「ご、ごめん」
「今日は閣下のお手紙がないのでしたらもうお引き取りください。子守している気分で通ってくださってたのなら、私には必要ありませんから」
びしっと出口を示す。
動こうとしないアランに業を煮やし、腕を引いて無理やり立たせてから背中を押して追い出した。
「……もうっ」
小さいのは不利だ。
みんな子ども扱いする。
子どもに見えるなら私一人に管理を任せなければ良いのに!頼りないならそう言えば良いのに。なんなの。
どうせ邸には誰もいない。ご主人様だってどうせ遅いんだ。
自分のテリトリーであるキッチンに駆け込んで、隅っこで膝を抱えてぎゅっと目を閉じた。
ちゃんと落ち着いて、明日は、明日来てくれるなら、アランに謝らなくては。
ご主人様の部下に、失礼なことをしてしまった。
許してくれるだろうか。
いやいや、大人だって主張したんだからごめんなさいくらいできるわよ!
ただ、そのあとの処罰的なものが怖いけど。
一応ご主人様のお客様って立ち位置だよねあの人きっと。で、ご主人様の部下だよね。絶対私の立場の方が弱いよね。
怒らせてたらタダじゃ済まないよね。お客さんに『帰れ』っていう使用人とか普通は要らないよね。
「ぅあああ」
どうしようクビか!
クビになっちゃうのか!
この年で就職活動しなくちゃいけないの、しかも私、絶対不利じゃないか!年齢的にも体格的にも!
辞表書くか。その前に侍女長と執事長に事情を説明して、できれば挨拶の一つでもしておきたい。
誰か就職先紹介してくれないかな、やっぱり自分の足で探さないとダメかな、ハローワークとかないよねここ。
とりあえず、最後の晩餐は豪勢に行くか。
ご主人様の好きなものを全部詰め込んじゃえ。
結論から行くと、解雇はされませんでした。
そして何故かご主人様とアランと三人で食卓を囲んでいます。
帰って来たご主人様を出迎えたら、何故かアランも一緒にいて、しかもしゅんとしていてなんだか叱られた大型犬みたいだって思って笑ってしまったら彼が勢いよく顔を上げて近づいてきて両手を取って頭を下げた。頭下げても顔が見えるって屈辱的な身長差だ。
玄関先で二人で謝り合っていたら、見苦しかったらしくアランがご主人様に振り払われていた。
「女性に対して失礼な態度だった、ごめん」
「私も、お客様に対して失礼な態度でした。申し訳ありません」
「仲直りしてくれるかな、もう子ども扱いしないよ」
「ありがとう」
なんていうやり取りがあったわけです。
でもだからってさ、主と客人と侍女が一緒にご飯ってどういうことよ。最後の晩餐だと思って豪華にしたのに、私すっごくいたたまれない。
それにしてもしょんぼりした大型犬だったはずのアランがえらく饒舌なんですけど。
落ち込んでたんじゃなかったの、反省してたんじゃなかったの。
「閣下、リナは本当に可愛いですね。こんな子が待っていてくれるんだったら俺毎日走って帰りますよ」
ねえ微妙にさ、小娘扱いだよね。子ども扱いは卒業したけどさ。
こっちの人の年齢は良くわからないけど、アランは絶対若いよね。言いたかないけど……たぶん、私より若いよね。
「しかもこれだけ美味い飯作って待っててくれるんですよ羨ましいなあ」
うん、美味いって言ってくれるのは高評価!ご主人様はめったに言ってくれないし、言ったってこんな満面の笑みじゃないもの。
いつかそのうち、笑顔で美味しいよって言わせて見せるんだから。うん、絶対言わないよね。わかってる。言いたくなるくらい美味しいのを作ってみせる。絶対表情読んでみせる。
しかしそれにしてもアランは空気が読めないんだろうか?
さっきから、私のことを褒めるたびにご主人様の機嫌が悪くなっていっているのに気付かないのだろうか?
ご主人様のご機嫌を取るために使用人褒めるとかおかしいでしょ普通。私がなんか申し訳ない気持ちになっちゃうでしょ。
ストレートにご主人様褒めてればいいじゃないか。
「閣下、先日執事長が秘蔵のお酒をお持ちくださったんです、いかがですか?」
「もらおうか」
上品なワインだ。キッチンのワインラックに大事に仕舞ってあるのを取りに行く。ワインと、グラスもだよね。あとデザートにチーズのケーキ。
棚の上段は手が届かないから脚立がいる。引っ張って行って二段ほど登ったところで人の気配がした。
「大丈夫か」
「閣下?」
待ちきれなかったの?
「すぐにお持ちします」
「いや、おまえは大丈夫か」
「え?大丈夫です」
ご主人様は溜息をついてこちらにやって来る。伸びてきた手が私の腰を掴んで、そしてすぐに足が脚立から浮いた。
「閣下」
何が起こったのかわからなかったけれど理解はした。
ご主人様に抱っこされてるー!
安定感半端ないんですけど、ご主人様片手ですけど!なにこれ腕に座らされてる!こんなことできる人いるの、すごい!
「あの、閣下」
「棚は全部低いものに変えさせよう。おまえには危険すぎる」
「あ、ありがとうございます」
ご主人様紳士だ。
ワイングラスを棚から取り出したご主人様はそのまま用意していたトレイに全部乗せて片手で持って食堂に戻った。
「わあ、おろしてください閣下!」
「何故」
何故じゃないよお客さんいるんでしょうがおかしいでしょこの体勢のまま行くとか!
て、思ったけどアランはいなかった。
「あれはもう帰した」
「そ、そうですか」
いやいや、危うく納得しかけたけど違う。
「でもだからといってこの体勢は」
そのまま椅子に腰を下ろすご主人様。
「おまえの椅子は遠い」
特注の、座面が高い椅子ですからね。確かに食事は離れた席で取ってましたけどね。
でも、お膝の上は勘弁してくださいいい年してるんだから。
「気にするな」
そう言ってご主人様は片手でワインを開封してグラスに注いだ。器用ですね。
この夜の晩酌は主にお説教でした。
小さいのだから高い場所に挑もうとするな、とか、もっと頼れ、とか。なんかそんな感じ。
使用人が主に頼るとか本末転倒すぎるし。
説教してるのに頭よしよしするとか意味わかんないし。
小さいからあまり役に立てませんって言ったらそんなことないって宥めてくれたし。
そうじゃなくて役に立ちたいんですって言ったら十分だとか言ってくれるし。
わけわかんないよ。
もう。
ワインは美味しかった。




