二:『ミッドガルドへようこそ』
昼下がり、陽の光が葉の間から差し込む、人里遠く離れた森の中。光と風に頬を撫でられながら、一人の少女が眠りについていた。軽鎧を身に纏い、少女には似合わぬ荒々しい両手剣を腰に携え、穏やかな寝顔を浮かべているその姿は、どこか不思議な雰囲気を醸し出している。
そしてふと、少女の意識が覚醒する。少女は寝ぼけ眼を擦りながら、体を起こして周囲を見渡し、
「ダンジョン……フィールド……?」
少女―――リーフェイは目の前の景色と記憶を照らし合わせつつ、そう呟いた。
ユグドラシルダンジョン1。彼女の記憶が確かならば、ここはミッドガルドのダンジョンの一つである。周囲の風景も見覚えがあるし、何より彼女が先程までいたフィールドがそこだった。
それ自体に何ら矛盾はない、が、
「ミッドガルドって、ここまでリアルだったっけ……?」
風にそよぐ木の枝、頬を撫でる風、寝起きの眼に染みる暖かな太陽光。ゲームでは決して描写されないはずのそれらが、あまりにリアルすぎる。
段々と覚醒してきた彼女の頭脳は、必死に思考を巡らせて―――一つのありえない予想に達した瞬間、動きを止めた。
「……」
上を見る。生い茂った木の葉の隙間から、透き通るような青空が見えた。
横を見る。森の中に存在する道は、リーフェイがいつも使う狩り場に向かう途中だ。
下を見る。視界の半分を占める双丘と、喪失感がある股間からは違和感しか返ってこない。
「――は、ははっ」
リーフェイは何かを探すように、自分の顔を何度も触った。そこにあるはずのディスプレイ、ゴーグル型PCの感触は、何処にもない。コントローラーも、部屋で座っていた椅子も、つけていた扇風機の風も、何の感触も存在しない。
アイテムボックス―――代わりに腰から小さな袋がぶら下がっていた。
チャット―――どうやっても反応がない。
スキルウィンドウ―――念じると、頭の中に浮かび上がってきた。
ステータス―――これも頭の中に浮かんでくる。
ログアウト―――
「ログアウト……ログアウトッ!!」
反応は、ない。
彼女がいくら叫ぼうが、念じようが、何も起きなかった。
「……ゆ、夢だよな、これ?」
懇願するような彼女の声は、森のざわめきの中に消えてゆく。
これが彼女―――彼にとっての、永い夢の始まりだった。
ミッドガルドには四つの大きな国が存在する。
絶対的な王が統治する、グロリア王国。
神々を奉る教会の頂点である教皇が治める、神聖アルトリア教国。
科学技術が発達した民主主義国家、ヨハネス共和国。
東方に存在する島国、ヤエシマ国。
各国々には首都、そして幾つかの街や村が存在し、それらはプレイヤー達の冒険の拠点として賑わっている。特にそれぞれの首都では時折有志による市やイベントも開かれ、そこでの賑わいは群を抜いていた。
「おい、これ何なんだよ!」
「知らないわよ、何かのイベント―――」
「じゃないに決まってんだろ!これはゲームなんだ、こんなリアルな訳ねぇ!!」
だがこれほど騒がしいのは、今日が初めてではあるまいか。
神聖アルトリア教国の首都、教都オーディアルス。有数の賑わいを見せていたそこは今、錯乱したプレイヤー達で阿鼻叫喚と化していた。
「……」
リーフェイは物陰に隠れ、そっと騒乱の様子を伺う。
何とか気分を落ち着かせ、人の集まる首都に戻ろうと思ったまではいい。彼女以外にもプレイヤーがいるかもしれないという予想は当たっていたし、最悪の予想は裏切られたと言っていいだろう。
だがそう思った矢先、この騒ぎが目に飛び込んできたのだ。
「俺のホームは向こうにあるのに……ったく、あれじゃ通れねぇよ」
ミッドガルドには「ホーム」という、一月毎にゲーム内通貨を支払うことで利用出来る生活の拠点、自宅を持てるシステムがある。ホームの場所は街や職業によって違い、神官騎士であるリーフェイのホームは教会の隣、騎士寮の中にあった。
もしそこが機能しているのであれば、一旦ホームで落ち着こう……と思っていたのだが、街の中央付近で起きている騒ぎのせいでどうしてもホームの方に行けない。
――こうなりゃ、無理矢理にでも押し通ってやろうか。
リーフェイは腰に提げた剣に手をかける、が、
「……ダメ」
後ろから伸ばされた手に、ギュッとそれを押さえ込まれる。
振り返ると、魔法使いだろうか、杖を持った小さな黒髪の少女がリーフェイの手を握っていた。彼女が剣から手を離すと、少女も握っていた手を離し、一息。
「……あなた、プレイヤー?」
「ああ。そう言うお前も……」
「プレイヤー。名前はリン」
リンと名乗った少女は、そう言うと自身のステータスを開示する。
名前:リン
種族:半竜人
性別:女
職業:賢者
Lv:612
ステータスを見たリーフェイは、思わず息を飲んだ。
高レベルの賢者(魔法使い系職業の一つ。多種多様な属性魔法による攻撃を得意とする)など、彼女は初めて見る。魔法職の中では一、二を争う不人気職である賢者は、その総人口も他職に比べるとかなり少なかった。高レベルまで育てた物好きともなれば、それこそ数える程しかいない。その理由は簡単で、賢者の長所である“多種多様な属性魔法”の一つ一つの火力が小さいからである。
つまりこのリンという少女は余程気が長いか、数奇者かのどちらかであろう。
そう結論付けると、リーフェイも自身のステータスをリンに開示した。
「……神官騎士?珍しい」
「賢者程じゃねぇよ。長いことやってるが、高レベルの奴なんて実際に見たことねぇ」
「ずっとこのキャラ使ってる、から。気づいたらこうなってた」
「……ふーん」
リーフェイはリンの姿をさっと眺めると、視線を再び騒ぎの方に戻す。
ギャアギャアと騒ぐプレイヤー達は未だに治まらず、逆に時間が経つにつれて騒ぎが大きくなっているように見えた。それを遠巻きに見ている人達は冷静なプレイヤー、あるいはNPC(非プレイヤーキャラ)だろうか、どちらにしろ騒ぎを収めようとする気配は全くない。
「……皆、パニック。誰か収める人が必要」
視線の先を追ったリンが、そう呟く。
リーフェイはもう一度振り替えって―――深い溜め息を一つ吐くと、騒ぎに背を向けて歩き出した。
「じゃあ、俺は狩りにでも行ってくるわ。その“誰か”とやらに宜しくな」
ヒラヒラと手を振り、リンに別れを告げてフィールドに向かう。
彼女の記憶だと教都の周辺フィールドに出るのは低レベルの魔物ばかりで、彼女のレベルなら歯牙にもかからないものばかりである。そこで感覚の確認がてら時間を潰し、誰かが騒ぎを収めた頃に戻れば万々歳だ。
――しかし、元に戻れんのかな、これ。
リーフェイは教都を取り囲む城壁の門をくぐり、フィールドに向かいながらそんな事を思った。
ここがミッドガルド、あるいはそれに近しい世界だということは分かる。プレイヤーがキャラクターとして入り込んでいるところを見ると、ゲームの世界に入り込んでしまったのかもしれない。
それはいい。今更何を言っても始まらない。ただ彼女が心配しているのは、“これからどうすればいいのか”だけだ。
「元に戻る手段があるならそれを探したいし、ないならないでこの世界で生きていくために……いやいや、いきなり女として生きろって言われてもなぁ……」
彼女はネカマではあるが、女体化願望があった訳ではない。むしろ男として、そんなものになりたくなかったのが本音であろう。第一このまま一生過ごすことになったら、様々な問題や葛藤に彼女自身が対処出来る気がしない。
だが『ならばどうする』と言われても、リーフェイにもとんと見当がつかなかった。
「……ま、なるようになる、かな」
どうせ、今は何が出来るということもない。だったらパニックになったり立ち止まって考え込むよりも、何も考えず前に進んでいく方が余程生産的ではなかろうか。
ある意味楽天的とも言える結論を出すと、リーフェイは鞘から剣を引き抜き、構えをとる。そしてそのまま前方へ走り出すと、後ろを向いていた狼型の魔物―――ウルフに向け、力一杯斬り下ろした。
「ギャウンッ!?」
ウルフは断末魔と共に、体から紅い血飛沫をシャワーのように吹き出す。そのまま地面に倒れ込むと、やがてピクリとも動かなくなった。
――うわぁ、リアル。
ゲームではポリゴンが消えるだけだった魔物の死体と、剣で“斬った”感触が生々しく残る両手を見つめながら、リーフェイは心の中で呟いた。
キャラクターである「リーフェイ」の影響が少なからずあるのか、不思議と命を奪った嫌悪感や罪悪感は感じないし、問題なく剣を扱うことが出来る。けれどゲームと比べリアルすぎる感触は、時間をかけなければ慣れそうにもなかった。
「グルル……ッ!ガウッ!ギャウッ!」
今の様子を見ていたのか、別のウルフがリーフェイに向けて駆け出す。
それを冷静に見据えたリーフェイは再び剣を構えて待ち構え、飛び掛かってきたウルフの頭上に一撃を―――
「――ライトニングスピア」
加える前に、横から飛んできた雷の槍がウルフを貫き、声を上げる間もなく絶命させた。
「……」
空振りに終わった剣を鞘に納め、リーフェイは魔法が飛んできた方を向く。
そこには身に余る杖を持ち、長い黒髪の下に僅かな微笑みを浮かべた、
「ついてきたのか、お前」
「……うん」
先程の賢者がいた。




