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バースデイ

作者: 土竜

 突然、相棒の(ねずみ)から連絡が入った。

 毎週楽しみにしているテレビ番組が始まるのを待っている時だった。各国の世界遺産を紹介する番組なのだが、今週は『アムステルダムの防塞線(ぼうさいせん)』を中心に、オランダにある文化遺産や自然遺産が紹介されることとなっていた。しかし、電話の向こうで、鼠が柄にもなく誕生会を開くなどと言い出したせいで、楽しみにしていた番組は、ぱあだ。残念なことに、うちのテレビには録画機能がない。

 ついてないな、とぼやきつつも、呼び出し場所へと足を運んだ。鼠が『バー』と呼称する暖簾(のれん)のかかった行きつけの居酒屋だ。

 入口の引き戸を開け、暖簾を手で潜ると、三席しかないカウンターの一番奥に鼠の姿が見えた。互いに目が合うと、鼠が口を歪ませながら、「遅刻だぞ! 信じられねえよ」と席を立ちあがったので、とりあえず、そのまま戸を閉めた。そもそも集合時間もないのに、遅刻など存在するわけがない。

「おいっ!」と勢い良く、今度は内側から戸が開いた。鼠の再登場。そのまま、肩に手を回され、店内へと連れ込まれた。頬に当たる息が酒臭い。

「いつから飲んでんだよ?」

「いつまでもだよ!」逆だ、逆! いつから飲んでるのか訊いたのだ。

 鼠は、すでに呂律が怪しくなっている。頬を赤く染め、瞼がとろんとしている。鼠は私の肩から手をほどくと、元の席へと座った。私もそれに続いて隣に腰かける。座る前に一瞬だけ、店内の隅に目がいく。この店に一つしかないテーブル席がある。だが、すぐに視線をカウンター内の大将に移した。

 一重瞼に鋭い眼光、顎鬚は今日もきっちりと整えられている。頭の方は残念ながら、焼き畑農業で栽培に失敗してしまったようで、まさしく不毛の地となっていた。

 大将は不揃いな歯を見せながら、歓迎の笑みを浮かべてくれているようだったが、その顔はB級ホラー映画でも使えなさそうなくらい、酷い。すぐに警察を呼んで、猥褻物陳列罪わいせつぶつちんれつざいで逮捕して欲しい。

「大将、とりあえず生で」と生ビールを注文する。

「ゴムなしね」と最低の冗談をかまされ、「これ、お通しね」と、どこのスーパーでも売っていそうな極太ソーセージを半分まで袋を剥いた状態で渡される。死ね、大将。と内心で毒づく。

「ところで、鼠。ひとつ訊きたいことがあるんだが」と話し始めると、

「いやいや、ないでしょ! 本気で無視ですか?」と背後のテーブル席から大きな声がした。狭い店内に甲高い声が響く。一度、後ろに振り返ると、

「ああ、いたの? (すずめ)。気付かなかったわ」と、平然と答え、再び背を向ける。

「いや、さっきこっち見たでしょ? 見つめ合ったでしょ? てか頑張っても、五、六人しか入らない狭い店ですよ、気付くでしょうよ」

 若者の言葉というのは、一語一語に無駄なエネルギーが満ちている。三十歳を過ぎた身には、受け答えるのも厳しい。というか、うざい。

 雀は、私や鼠の後輩で、まだ成人となったばかりの若人だ。金色に染めた髪がライオンの(たてがみ)のように四方八方に逆立っている。

「悪かったよ。だから、とりあえず一端、髪切れ」

「いやいや、そこは、落ち着け、とかでしょ? 髪切れ、て。あ、でも、最近伸びたんで、今週あたり、切り行こうと思ってますけどね」

「あ、そう」と返したところで、生ビールがカウンターに置かれた。横で雀が声を大にして騒いでいたが、構わずジョッキを手に持ち、大将も含めて四人で乾杯をした。鼠だけが、「チアーズ」と叫んでいたが、誰もその発言に触れることはなかった。

「マスター、あれ出してよ」と鼠がウィスキーの入ったロックグラスを傾けて言う。

「おお、そうだ! 大将、パスパス!」と煩い雀。

 ちなみに、大将のことをマスターと呼ぶのは鼠だけだ。

「ほらよ」と大将は、値打ちのありそうなシャンパンのボトルを雀に手渡した。

「じゃじゃあん! これ、俺からのプレゼントっす」そういって、雀は大将から渡されたシャンパンを、そのまま私に手渡してきた。

「なんだよ、お前らしくないな」

「そんなことないっすよ、先輩には本当、普段からお世話になってますから」

「でも、これ大将からだろ?」

「違いますよ! それ、俺が買って持ってきたやつですから」

「居酒屋に酒持ち込んで、どうすんだよ」というより、大将は持ち込まれてどうすんだ。

「居酒屋じゃねえよ、『バー』だ」お前は少し黙ってろ。

「まあまあ、何でも良いじゃないっすか。めでたいんだし」雀はそう言うと、シャンパンのコルクをポンッと軽快に開けた。

「良かったな」と隣で鼠がにやにやと笑い、肩に手を置いてくる。何が言いたいのか分からないが、薄気味悪い笑顔だ。さほど酔ってもいないのに、吐きそうになる。

 雀がシャンパンを空のグラスに注ぐと、ボトルの方をカウンターに置き、「先輩、おめでとうございます!」と快活に言って、自分の口に向けグラスを思い切り傾けた。

「えっ! お前が飲むの?」

 雀は傾けたグラスを戻すことなく、空になるまでシャンパンを口の中に流し込んだ。

「まあまあ」と今度は隣で鼠が言う。よく見ると、その鼠の手にも早速シャンパンの入ったグラスが握られている。

「おいっ! 早速、お前も飲んでんのかよ」思わず、声を荒げる。

「早くしないと、全部飲まれちまうぞ」と大将。頬を緩ませながら、どや顔でシャンパンに口をつけている。

 いや、もうつっこまないからね―。

 結局、気が付くと、ボトルはあっとういう間に空となっていた。

「何なんだよ、お前らは」と吐き捨てるように呟く。

「まあ、そういじけるな。シャンパンならうちにも置いてるからよ」

「注文しろってか? 一応、言っとくけど、一番飲んでたの大将だからね」と言った途端、

「何やってんの、大将! 俺が先輩のために買ってきたってのに」と雀がカウンターに身を乗り出した。

「本当、信じられねえよ。空気読めよ、マスター」いや、お前が空気を読め。

 結局、大将は、お詫びに、と芋焼酎のボトルをサービスでいれてくれた。さっき、シャンパンならうちにも置いてある、と言ったのは聞き間違いだったのだろうか。

 しかしボトルが入ると、先程まで愚痴をこぼしていたはずの二人が、我先にと手を伸ばした。もう、ずいぶん酔いが回っているようで、上機嫌に見える。

「ところでさ」と鼠に、電話を受けた時から気になっていた質問をぶつけてみる。「今日って、誰の誕生日なの?」

 その言葉と共に、周りの三人の動作が止まる。全員、示し合わせたかのように目が点になっている。

「へ? 誰のって、先輩の誕生日じゃないんすか? そうっすよね?」と雀が話している途中で鼠に顔を向き直し、詰問する。

「いや、俺の誕生日はまだ三ヶ月も先だぞ」そんな二人に水を差す。

「ちょっと、先輩! どういうことっすか? 俺のシャンパンは? この気持ちは?」雀が鼠に詰め寄る。

「俺は、誕生会を開くって言っただけだ」そう言ってから鼠は、こちらに何かを訴えかけるような視線を送ってきた。悪いが、自業自得だ。救ってやることはできん。

 しかし、これでなんとなく状況が読めてきた。どうやら、鼠は私の誕生日を勘違いしたようだ。というより、この男が人の誕生日など覚えているとは考えにくい。電話があった時に気が付くべきだった。

 私も横から雀に加勢する。世界遺産の恨みを晴らす時だ。

「おい、俺の『アムステルダムの防塞線』はどうしてくれるんだ? お前が録画してくれてあったのか? どうなんだ? まったくよ、お前はいつもいつも人騒がせなんだよ。少しは計画的に物事を考えろ」

 間髪入れずに罵声を浴びせる。

 すると、鼠はこちらを向いて、突然その場に立ち上がった。雀もそれに驚き、後ろに仰け反いた。

「俺はな、相棒のお前を信じてたんだぞ! お前なら、って恥を承知で俺から連絡したんだ! 本当、信じられねえよ」鼠は語気を強くして言い放った。かなり酔ってるな、と思う。しかしそこで、いや、待てよ、と別の考えが浮かぶ。

 鼠が人の誕生日など覚えているはずがない。つまり誕生会を開こうなどとは思わないはずだ。だが、それでも、鼠は誕生会を開く、と誘ってきた。さらに、あの期待の眼差し。そこで、ようやく思い出す。

 ああ、そうだった―。

 私は芋焼酎のボトルを手に取ると、鼠の前のグラスに目一杯注いだ。そして、申し訳なさそうに言う。

「悪い、鼠。今日はお前の誕生日だったな」

 おめでとう、と付け加え、注いだ芋焼酎を自分の口に傾けた。


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