次会・控室
控室は、宴会場より暗かった。
照明は落とされ、壁際のスタンドライトだけが点いている。
拍手もフラッシュも届かない。ここは「次」を決める部屋だ。
端岡夫人が入ってくると、女たちの声が下がった。
十数人。全員が残ったのは偶然ではない。
テーブルの上に、スタッフが茶と小菓子を並べる。
端岡夫人は座らないまま、まず全員を見た。
――誰が近い。
――誰が自然に端岡夫人の正面を避けている。
――誰が、敦子の方を先に見ている。
端岡夫人の視線が、そこで止まった。
大森敦子。
敦子は壁際に立っている。
中央ではないのに、女たちの出入りが彼女を避けて流れる。
それだけで、端岡夫人には十分だった。
「大森さん」
呼ばれた瞬間、控室の全員が耳を澄ませる。
敦子は一拍置いてから、端岡夫人の方を向いた。
「はい、奥様」
「今日は……皆さん、ずいぶんと“お顔”が良かったわね」
端岡夫人は笑って言う。
だが、笑いの中身は質問だ。
「写真を見て、はっきり分かりました。
整ってる方が……増えている」
敦子は微笑む。
否定もしない。肯定もしない。
「選挙が終わったからでしょうか」
「それだけかしら」
端岡夫人は、軽く首を傾ける。
そして、もう一段だけ具体にした。
「最近、皆さんの間で“良いもの”が回っているって噂を聞くの」
控室の空気が固くなる。
誰も口を開かない。
端岡夫人は続けた。
「もちろん、悪い意味じゃないのよ。
ただ……派閥の妻の間で、何かが広まるときは、必ず窓口があるでしょう?」
窓口。
言い方は柔らかいが、意味は一つ。
誰が配っているの?
敦子は、すぐに答えない。
代わりに、端岡夫人の背後に立つ妻たちを一度だけ見た。
その視線で、控室の女たちが理解する。
これは、雑談ではない。査定だ。
敦子はようやく口を開く。
「窓口……ですか」
言葉を繰り返す。
繰り返すことで、端岡夫人の言葉を“公式”にしてしまう。
敦子は、それを少しだけ遅らせる。
「皆さん、勝手に教え合っているだけだと思いますわ」
端岡夫人の目が、わずかに細くなる。
「勝手に、ね。でも――」
端岡夫人は、具体で刺しに行った。
「門田さん。昨日まで、あんなお顔じゃなかったでしょう?」
名前が出た瞬間、女たちが小さく動揺する。
門田夫人は、反射的に敦子を見る。
その一瞬で、端岡夫人は確信に近づく。
敦子は、門田夫人に目を向けない。
向けないことで、門田夫人の“答え”を消す。
「奥様。門田さんは、昨日もきちんとされていましたよ」
端岡夫人は笑う。
「そうね。私の目が疲れていたのかしら」
しかし、話は戻さない。
「大森さん。
私が聞きたいのは“誰”じゃないの。
どういう経路で回っているのか、だけ」
敦子は頷いた。
「経路なら……簡単ですわ」
端岡夫人の顔がわずかに緩む。
答えが出る――と思った、その瞬間。
「“欲しい人”が、寄っていくだけです」
端岡夫人の表情が止まる。
敦子は続ける。言葉はやわらかいまま、内容は固い。
「奥様のところだって同じでしょう?
皆さん、奥様にお会いしたいから、ここに残っている」
控室の女たちが息を呑む。
端岡夫人の支配を否定していない。
でも、同列に置いた。
端岡夫人は、すぐに笑顔を戻した。
「……なるほど。上手い言い方ね」
端岡夫人は、そこで方針を変える。
“窓口”を言わせられないなら、切り口を変えるしかない。
「じゃあ、こうしましょう。
今度、あなたと二人でお茶がしたいの」
敦子は即答しない。
一拍置いてから、頷いた。
「ご都合が合えば、ぜひ」
端岡夫人は、控室を出る直前にもう一度だけ振り返った。
女たちの視線が、端岡夫人ではなく敦子に寄っているのを確認する。
端岡夫人は笑って去る。
だが心の中では、笑っていない。
(誰が配っているかは、まだ言わせていない)
(けれど――あの女の周りで回っている)
扉が閉まる。
控室の女たちが、ようやく呼吸を戻す。
敦子は、門田夫人を一度だけ見た。
門田夫人は、すぐに頷く。
「余計なことは言わない」という合図だ。
敦子は微笑んだ。
この場で必要なのは、勝利ではない。
沈黙の統一だ。




