第21話 :祝賀会・慰労会――白い輪の中
ホテルの宴会場は、光が多すぎた。
シャンデリアの光、ステージ照明、写真用のライト。
人を祝うための光が、同時に――人の「足りなさ」を暴く。
納地会の祝賀会。選挙の慰労会。
壇上の背面には、金文字の看板が掲げられている。
――平成研究会。
旧・経世会。
百人規模の最大派閥。
乾杯の数も、拍手の厚みも、ほかとは違う。
男たちの壇上は華やかだった。
肩書きと乾杯と、フラッシュ。
だが敦子の意識は、最初からそこに向いていない。
会場の端。
妻たちの席が、ひと固まりになっている。
派閥の“妻の会”として呼ばれた女たち。
全国から寄せ集めれば、数は膨らむ。
九十人あまり――平成研なら不自然ではない。
同じ派閥。
同じ立場。
同じように笑い、同じように頷き、同じように拍手をする。
――でも、敦子には見える。
同じじゃない。
(白椿)
九十の中に、二十。
白椿会。
派手でもない。声が大きいわけでもない。
けれど、光が当たったときに差が出る。
二十人は、ちゃんと整っている。
肌が沈まない。
目の下が影にならない。
口角が落ちても、戻る。
中心は数では決まらない。
視線で決まる。
敦子が席に着くと、隣が自然に埋まっていく。
誰が指示したわけでもないのに、椅子が引かれ、身が寄り、声が落ち着く。
上条さなえが、軽い声で笑った。
軽いから、周囲も笑える。
その軽さが、この席の呼吸を整える。
「……今日、すごい光ですね。怖いくらい」
誰かが冗談めかして言う。
敦子は微笑む。
「写真が多いから。皆さん、頑張ったもの」
“頑張った”。
その言葉は褒め言葉であり、暗黙の参加条件でもある。
ひと固まりの外側――七十人ほどの妻たちは、同じように笑っている。
けれど笑いの温度がまばらだ。
目が落ち着かない。
視線が何度もこちらに触れては逸れる。
欲しさが出た顔は、写真に出る。
写真に出た瞬間、その人は“崩れている側”になる。
だから逸らす。
逸らしながら確かめる。
――誰が近い。
――誰が笑いかけられている。
――誰が“呼ばれる側”なのか。
敦子は、自分から固まりを広げない。
広げると混ざる。
混ざると薄まる。
薄まるのは、乳液ではない。
価値だ。
乾杯の音頭が終わり、皿が運ばれ、会話が散り始める頃。
派閥トップの妻、端岡夫人が、ゆっくりと妻たちの席へ近づいてきた。
歩き方が、会場の空気を変える。
音の立て方まで、中心のそれだった。
「皆さん、今日はお疲れ様でした。素晴らしい結果になって、本当に良かったわね」
端岡夫人の声はよく通る。
通るのに、押しつけない。
それが本物の余裕だ。
妻たちは一斉に立ち上がりかけ――一瞬、止まった。
立ち上がるタイミングが揃わない。
揃わないのは、誰かを見ているからだ。
敦子はすぐに立たない。
立たないまま、端岡夫人を見上げ、柔らかく笑った。
「奥様こそ。全国を回られたお疲れもございましょうに、こうしてお顔を見せてくださるだけで、私どもは励まされますわ」
端岡夫人の頬が、わずかに引きつった。
“疲れ”を先に言われると、疲れが存在してしまう。
存在した疲れは、写真に出る。
「ええ……でも今日は晴れの日ですから。皆さん、いいお顔をしていらっしゃるわ」
その言葉に、妻たちの顔がまた整う。
整う――けれど、整え方が二種類ある。
白椿の二十人は、整っているから整う。
外側の妻たちは、整っている“ふり”をして整う。
端岡夫人の視線が、そっと動いた。
敦子の周りの二十人。自然な艶。
その中に――門田夫人もいる。
昨日の「例外」が、今日の席を買っている。
端岡夫人は努めて明るい声を出した。
「セットの準備ができたようです。皆さん、記念撮影をしましょう」
集合写真。
場の秩序を取り戻す、いちばん簡単な手段。
そして、いちばん残酷な記録。
妻たちはぞろぞろと立ち上がり、並び始める。
横一列、二列、三列。
“立ち位置”がそのまま、序列になる。
端岡夫人は自然に中央へ。
そこに異論はない。
異論がないのに――妙なズレが生まれる。
端岡夫人の隣が、半拍だけ空く。
光が強い。
そしてそこは、“中心の隣”だ。
取った瞬間、嫉妬が刺さる。
取らなければ、存在感が消える。
妻たちの足が止まる。
敦子は、笑いながら手招きした。
「石井さん、こちらへ。奥様の隣が寂しいわ」
石井夫人が、はっとして一歩出る。
端岡夫人の隣に立つ。
端岡夫人は微笑む。
微笑むが、その目は冷静だった。
公式の場で、夫人の隣に立つ妻が、敦子の一言で決まった。
小さな――しかし決定的な出来事。
フラッシュ。
妻たちの笑顔が、一斉に固定される。
敦子はその瞬間だけ、外側の女たちを見る。
二十人の“整った側”に入れない女たち。
目が笑っていない女。
口角が上がりきらない女。
手が落ち着かない女。
(……まだ、ね)
欲が強い。焦りが強い。
そういう女は、白椿に入れない。
入れるなら、まず“待てる顔”にしてからだ。
写真が終わり、妻たちが席へ戻る。
端岡夫人が去っていく背中を見ながら、敦子は息を吐いた。
そのとき、一人の女が近寄ってきた。
三十代後半。新人議員の妻。
笑顔が少し硬いが、目は必死だ。
「大森さん……」
声が小さい。周囲に聞かれたくない。
頼っていると知られたくない。
「なあに?」
敦子は“きやすく”返す。
その気安さに、女は救われた顔をする。
「その……また今度、ご相談に伺ってもよろしいでしょうか」
相談。
その言葉が入口だ。
敦子は即答しない。
即答しないことで、女は自分の順番を意識する。
順番を意識した女は、勝手に並ぶ。
「うん。今、みんな疲れてるものね」
敦子は笑い、さなえの方を見る。
さなえが小さく頷く。
白椿の内側で、“許可”が通る。
「次の会のときにでも、ゆっくりお話ししましょう。あなたも、きっと良くなるわ」
女の目がぱっと明るくなる。
白椿に入れるかもしれない。
その期待が、彼女の表情をわずかに整える。
壇上ではまた拍手が起きた。
男たちが笑い、乾杯が続く。
主役は男たちだ。
でも――この会場でいま増えているのは、女たちの票だ。
空気が動けば、男は遅れて動く。
敦子はグラスを持ち上げ、二十人の方を見る。
誰も命令されていない。誰も引っ張られていない。
それなのに、同じ方向を向いている。
九十の中の二十。
十分だ、と敦子は思った。
足りないくらいがいい。足りないから、欲しがる。
笑顔の序列が、今夜もひとつ――更新された。
そして、その更新は終点ではない。
写真で残った差は、噂になる。
噂は必ず、誰かの耳に届く。
宴会場を出る女たちの中で、数人が自然に足を止めた。
案内係に名を呼ばれ、別の通路へ誘導されていく。
「お疲れでしょうから、こちらで少しお休みを」
そう言われて、断れる人間はいない。
敦子は、その流れを見送った。
呼ばれるのは、いつも“整っている側”だ。
案内の最後に、端岡夫人がいた。
笑っている。けれど、目は笑っていない。
敦子は、静かに通路へ向かった。




