表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
若返りの琥珀色   作者: 杜人
22/26

第20話 回想――白椿会の立ち上げ

最初は、会の名前すらなかった。


始まりは、選挙の帰りの車の中。

敦子がふと漏らした一言だった。


「ね。私たち、いつまで“奥様”って呼ばれて、ただ笑ってればいいのかしら」


助手席にいたのは、同じ派閥の議員の妻――上条さなえ。

さなえは軽く笑って、冗談みたいに返した。


「笑うのが仕事ですもんね。……疲れますけど」


敦子は、その言葉を冗談として流さなかった。

“疲れる”と言った瞬間に、関係が変わることを知っていたからだ。


弱音は共有される。

共有された弱音は、仲間を作る。

仲間ができると、簡単には戻れない。


派閥は最大派閥だった。議員が百人近い。

当然、妻もそれに近い数になる。


全員に会うのは無理だ。誰もがそう思う。

敦子も同じ結論だった。

ただし、最初から“全員”を狙わなかった。


必要なのは人数ではない。連鎖だ。

一人が次の一人を連れてくる仕組みを作ればいい。


最初の一人は、有力者の妻でも華やかな女でもない。

敦子が選んだのは、逆のタイプだった。


地元の支援会に気を遣い続け、目の下に疲れを溜めている女。

席順で前に出られず、前に出ないことに慣れすぎている女。


敦子はその女――石井夫人を、昼の喫茶店に呼び出した。

政治の話が出ない場所を選ぶ。


敦子は先に自分から弱音を出した。

誘うときに強さを見せない。

強さは反感を生む。弱さは距離を縮める。


石井夫人は、ほっと息を吐いた。


「敦子さんでも、そんなふうに思うんですね」


敦子は石井夫人の手元を見る。

乾いた手。荒れた爪の際。疲れが生活に出ている。


敦子はバッグから白い容器を一つ出した。

無地で、名前がない。説明もしない。


渡す。

効果は言わない。

女は効果を言われると疑う。だが、試せる形で置かれると試す。


石井夫人は一瞬迷って、受け取った。

迷ったことを見せたくなくて、受け取った。


敦子が渡したのは乳液ではない。

“受け取った”という事実だ。


その夜、石井夫人の顔が少し変わった。

翌朝は、もっと変わった。


鏡の中で、目元が軽くなっている。

肌の疲れが薄い。写真に出やすい部分が消えている。


石井夫人は、次の要求を口にした。


「敦子さん、あれ……もう少し、ありませんか」


敦子はすぐに返事をしない。

一拍置く。相手の呼吸が乱れるのを待つ。


その間が、入口になる。


石井夫人は頷いた。

頷かないと、失う気がしたからだ。


敦子は笑った。

笑えば、脅しではなく“お願い”に見える。


こうして、最初の共犯ができた。


二人目は、地元で婦人会を仕切っている女。

このタイプを押さえると、下は勝手に動く。


仕切る女は、人に教えるのが好きだ。

教えた瞬間に立場ができる。立場ができると、守ろうとする。


だから渡す量は少しだけ。

多すぎない。

“足りているように見える”量だけ。


すると相手の中で計算が始まる。

もっと欲しい。

でも、敦子を怒らせたくない。


敦子がやったことは単純だった。

派閥の妻を、一人ずつ誘う。

連鎖で増やす。仕切り役を点で押さえる。


味方にするのは、疲れが顔に出やすい女。

弱音があり、寄りかかる場所を探している女。


動かすのは、声が大きい女。

噂を運べる女。

このタイプには“足りない状態”を作ると勝手に走る。


近づけない女もいる。

鋭い女だ。効果を見て羨ましがるのではなく、奪い方を考える。


問題は、近づけないことを不自然に見せないことだった。

排除は目立つ。目立てば噂になる。


敵と味方の選別を誤れば、会は潰れる。

潰すのは男の圧力ではない。

女の噂と嫉妬だ。


だから敦子は、会の表向きを“普通”にした。


美容の話。

夫の愚痴。

誰それの奥様の悪口。

笑って、怒って、また笑う。


普通の会話の中に、渡し方だけを埋める。


中堅議員の妻がいた。

写真で老けて見えたと笑われ、家で鏡の前で崩れた女。


敦子は同情するふりをして、淡く言った。


「大丈夫。置いていかないよ」


慰めではない。

条件つきの保護だ。


女たちは頷く。

頷きながら、内側で約束を作る。


(裏切らない)

(敵に回らない)


理由は絆ではない。

裏切れば、顔に出る。

次の朝、鏡に出る。

写真に出る。


そして皆が知っている。

自分だけが変わったのではない。敦子が配っている。


配られる側は、配る側を失えない。


こうして白椿会は増えた。

命令しない。引っ張らない。

気づけば派閥の中で、一つの力になっていた。


男たちの派閥の下に、妻たちの派閥ができる。


「ね。私たち、きれいでいよう。――それだけで勝てる日があるの」


その勝ち方が、どれほど残酷か。

一番分かっているのは、敦子自身だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ