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若返りの琥珀色   作者: 杜人
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挿入話:白椿会――例外を求める女

夜の選挙事務所は、昼とは別の顔をしていた。


蛍光灯は半分だけ点けられ、

壁に貼られた「必勝」の文字が、影の中に沈んでいる。

昼間の喧騒が嘘のように、空気は静まり返っていた。


敦子は応接室のソファに腰を下ろし、

秘書が置いていった湯呑みに、指先を添えていた。

もう、誰かをもてなす時間ではない。


「奥様……」


控えめな声で、秘書が顔を出す。


「白椿会の、門田先生の奥様が……。

どうしても今夜、少しだけお時間をいただきたいと」


一拍。


敦子は顔を上げない。


「……今?」


「はい。車で来られたそうです」


山口2区。

同じ県内、同じ空気圏。

“来られてしまう距離”だ。


敦子は、ペンを机に置いた。


「通して」


それだけで、許可だった。


扉が開き、女が入ってくる。

衆議院・山口3区。

当選三回。中堅。

派閥は近いが、中心ではない。


スーツはきちんと整っている。

だが、顔だけが追いついていない。


「夜分に失礼します……」


深く、深く頭を下げる。


敦子は立ち上がらない。

椅子に座ったまま、柔らかく言った。


「どうしたの?」


女は一瞬、言葉に詰まる。

それから、意を決したように口を開いた。


「明日……どうしても、顔を整えないといけない会合がありまして」


“整える”。


もう隠さない。

ここでは、それが共通語だ。


「急に、東京から呼ばれて……

写真も入るそうで……」


声が、かすかに震える。


「順番があるのは、分かっています。

でも……明日だけでいいんです」


敦子は、相槌を打たない。

女が、勝手に言葉を重ねるのを待つ。


「白椿会の一員として……

恥をかきたくないんです」


その言葉を聞いた瞬間、

敦子はようやく視線を上げた。


「恥?」


責める声ではない。

確認だ。


女は、はっとして言い直す。


「……会の名前に、傷をつけたくないんです」


言い換えた時点で、

女はもう、自分がどこに立っているか分かっている。


敦子は、静かに頷いた。


「どうして、今日なの?」


女は息をのむ。


「……昼間、

私、呼ばれませんでした」


言ってしまった。


言ってしまった瞬間、

女の肩が目に見えて落ちる。


敦子は、責めない。


「そう」


その一言だけだ。


沈黙。


この沈黙が、

“例外”の重さだ。


敦子は、ゆっくりと立ち上がった。


「分かりました」


女の顔が、ぱっと明るくなる。


だが、次の言葉が続く。


「条件があります」


女は、即座に頷いた。


「明日の会合。

あなたは、私の後ろに立ちなさい」


女は一瞬、理解できなかった。


「写真でも、席でも。

私より前に出ない。

発言もしない」


それは恥ではない。

従属の宣言だ。


「それと」


敦子は、声をさらに柔らかくする。


「今日のことは、誰にも言わない。

言った瞬間、次はありません」


女は、迷わなかった。


「……はい」


敦子は、壁際を見た。


「瑞穂さん」


扉の向こうで待っていた瑞穂が、静かに入ってくる。

常にそこにいたわけではない。

“呼ばれた”だけだ。


「応急で。一回分だけ」


瑞穂は頷き、遮光瓶を取り出す。

ほんの少量。

更新は、ない。


「今日は、これだけです」


女の指先が、震える。


「ありがとうございます……」


敦子は、微笑んだ。


「白椿会はね、

助け合いの会なの」


嘘ではない。


「ただし」


その目が、わずかに冷える。


「助けられた人は、

次に“助ける側”に回ってもらう」


女は、深く頭を下げた。


その姿勢は、もう妻ではない。

部下のそれだった。


女が去ったあと、

部屋は再び静かになる。


瑞穂が低く言った。


「……前倒しでしたね」


敦子は、鏡の前に立つ。


「いいの。

例外は一度だけ作ると、

列がはっきりするから」


鏡の中の自分は、整っている。


「並ばせるにはね、

一人くらい、

走って列に戻る女が必要なのよ」


その声は、優しかった。

そして、容赦がなかった。

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