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若返りの琥珀色   作者: 杜人
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第20話 白椿会――笑顔の序列

秋の午後の光の中で、敦子の肌は、二十代のような瑞々しい輝きを放ち始めていた。

――その輝きは、光のせいだけではない。

そして、敦子がそれを“そう見えるだけ”に留めておかないことを、瑞穂は知っている。


「……呼ぶって、誰をです?」


瑞穂が確認するように言うと、敦子はあっさりと笑った。


「決まってるじゃない。白椿会のみんなよ。今日は“選挙お疲れさま会”って名目。ね、かわいいでしょう?」


かわいい。

その言葉が、ここでは最強の盾になる。

女たちを集める理由に、政治の匂いは要らない。

“美容”なら集まる。

“愚痴”なら集まる。


敦子は机の上の電話に手を伸ばし、慣れた調子で短縮番号を押した。

呼び出し音が二回鳴ったところで、相手が出る。


「石井さん? 敦子。今、事務所いる? うん、ちょっと顔出して。……そうそう、“お肌の相談”。ふふ、来るでしょ? じゃ、待ってる」


電話を切る。


白椿会は、秘密ではない。

名目も、言い訳も、軽い。

ただ――口に出さない約束があるだけだ。


次に敦子が呼んだのは、県連幹部の妻だった。

その次は支援会長の妻。

そして――。


「さなえちゃんも。祝賀会、写真多いものね」


さなえは「ありがとうございます」と、丁寧に頭を下げた。

その丁寧さが、敦子の欲しいものだ。

感謝は、忠誠の形になる。


ここで、敦子は一瞬だけ“間”をつくった。

全員が、その間に気づく。


(あれ? 私の番は?)

(次は私じゃないの?)

(……)


疑問は口に出ない。

口に出した瞬間、みっともなくなるからだ。

みっともなさは、ここでは死に直結する。


敦子は、柔らかく言った。


「あとはね、次の会合で。今日はみんな本当にお疲れでしょう? 欲張ると肌が驚いちゃうから」


“肌が驚く”。

そんな理屈で、女は納得する。


話題はすぐに変わる。

変わるように、敦子が変える。


「それでね、三木さんの奥様の話。あの人、悪気はないのよ? でもねぇ……」


「読んでるけど、読まないふりしてるんじゃない?」


笑いが起こる。

声の大きさで、誰が強いかがわかる。

沈黙の長さで、誰が怖いかがわかる。

敦子は、笑いの中心にいる。

中心にいるのに、前に出ない。


会合が一段落すると、女たちは「敦子さん、ありがとう」「またね」と口々に言い、帰っていった。

その言葉の温度が、さっきまでより少し高い。

“何かを受け取った女”は、声が柔らかくなる。


さなえは、周囲の人の気配が消えたことを確認してから、ぽつりと言った。


「……私も、次は」


敦子は驚いた顔をしない。

驚かれると、さなえは自分が欲深いみたいで恥ずかしくなる。


「目立つ」


その一言で、さなえの頬が少し赤くなる。

褒められたというより、選ばれたという赤だ。


さなえは息をのむ。

夫の名前が“次”として語られることは、妻の背中を軽くする。

軽くなると、女は走れる。

走る女は、夫を押し上げる。


さなえは、頷いた。

頷くしかない。


さなえが帰ったあと、部屋は静かになった。

敦子は、使い終わったポーチを軽く叩き、瑞穂のほうを見た。


「ね、瑞穂さん。今日、足りなかった人たち。……顔、覚えた?」


瑞穂は、頷いた。

覚えている。

覚えさせられる。


瑞穂は“持ち込み役”だ。

でも、持ち込み役は現場を見てしまう。


瑞穂が口ごもる。


「……敦子さん」


敦子の目が、ほんのわずかに細くなる。

笑顔は崩れない。

崩れないまま、温度が変わる。


敦子は、茶を一口すすった。

その動作が、妙に落ち着いている。


「窓口ね」


女が欲しがる窓口。

女が自分から並ぶ窓口。


「瑞穂さん。東京には、どれくらい回せる?」


「……必要な分だけは。小分けもできます」


敦子は頷いた。

数字より、配分の絵のほうが先に出来上がる。


優先順位。

その言葉は冷たい。

でも、柔らかい声で冷たいことを言うのが、敦子の得意技だった。


「……取るのよ」


敦子の口から出た瞬間、瑞穂は背筋がぞくりとした。

これは美容の話じゃない。

支配の話だ。


「……誰を?」


敦子は窓の外を見た。

山口の乾いた風が、選挙事務所の旗を揺らしている。


「まずは、上条さなえ。あの子は“繋ぎ”になる。次に――石井さんの奥様。あの人は‘助けられた’を忘れない」


瑞穂は頷く。

忠実な女は、使いやすい。

使いやすい女ほど、強い鎖になる。


敦子は立ち上がり、鏡に近づいた。

自分の肌を、真正面から見る。

崩れがないことを確認する。

それは安心ではない。確認だ。


命令しない。

引っ張らない。

ただ、足りている顔を増やして、足りない顔を少し残す。

女たちが勝手に並ぶように、順番を作る。


敦子は、薬の染み込んだリップをもう一度唇に引いた。

薄い膜。

それだけで、表情が変わる。

笑顔が、強くなる。


そのとき、控室の外から足音が聞こえた。

秘書が慌てた声で言う。


「奥様、大森先生が――」


敦子は笑顔のまま、答えた。


「通して」


夫が入ってくる。

五回目当選の議員。

男の祝賀。男の次。


けれど敦子の胸の中では、別の拍手が鳴っていた。


――白椿会。

笑顔の序列。

十日後、東京でそれが“写真”になる。


誰が選ばれ、誰が整えられ、誰が置き去りにされるか。

そしてその序列は、いつだってこうして始まる。

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