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若返りの琥珀色   作者: 杜人
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第16話 婦人同伴ゴルフ

国会議員の「婦人同伴ゴルフ大会」という言葉は、あまりに響きが軽い。

だが実際は、立場と関係が音もなく入れ替わる、静かな戦場だ。


男たちがスコアを競う裏で、

女たちは名刺も肩書きも持たぬまま、芝生の上で「生命力」という名の序列を測り合う。


それは美しさではない。

衰えていないか、隠せているか、次の写真に耐えられるか――

ただそれだけの話だった。


瑞穂は朝のクラブハウスに入り、その空気を肺の奥まで吸い込んだ。

整髪料、高級皮革、そして高価な日焼け止めの匂い。

そこには、勝ち慣れた人間特有の、鼻につくような余裕が混じっている。


瑞穂の服装は、ネイビーのワンピースに白いカーディガン。

目立たず、しかし決して安っぽくは見えない。

主役にならないための、「有能な影」としての装いだった。


「瑞穂」


受付近くの円柱の影から、佐藤が声をかけてきた。

運営側にも協賛側にも見える、色のない立ち位置。


「今日は、渡さない日よね」


「今日は、さり気なく使わせる日だ」


瑞穂はバッグの中を確かめる。

花柄のポーチ。中身は二つだけ。

市販の保湿ベースと、まだ“何も確定していない余白”。


「スキーム、覚えてるな」


「ええ。簡単に渡さない。少し使わせる。……何人かは、必ず気づく」


佐藤は小さく頷いた。


ロビーを見渡すと、すでに「妻たちの集団」ができあがっていた。

中心にいるのは、声の大きい者ではない。

周囲の視線の動き、わずかな体の傾きが示す先に、その女はいた。


大森敦子。

最大派閥の有力議員の妻。


彼女が頷くたび、周囲の女たちの顔に、ほっとしたような笑みが浮かぶ。


派手ではない。

だが、あの位置に立ち続けているという事実が、何よりの証明だった。


佐藤は、敦子が新人議員の妻たちと気さくに話す姿に、

「自分の陣営へ引き込みたい」という欲を読み取っていた。


「派閥の領袖の夫人は?」


瑞穂は、視線だけで示した。


多くの婦人を従えた、白く、いかにも上質な老婦人。

前首相夫人――端岡夫人。


「大森さん。今回は頑張ったわね」


穏やかな声。

余裕のある笑み。


その瞬間、

大森敦子の目に、名状しがたい影が一瞬だけ走った。


佐藤は、それを見逃さなかった。


「あれが……入口か」


瑞穂は、ゆっくりとその輪へ近づいた。


「おはようございます。今日は日差しが強いですね。

皆さま、お肌が心配で」


政治の話はしない。

天気、乾燥、日焼け。

「お手伝い」という曖昧な立場が、警戒を霧のように溶かしていく。


「あら、あなた。東京から?」


「はい。本日は皆さまのサポートを」


瑞穂は、敦子のすぐ隣に控える若い夫人に目を留めた。

指先がわずかに震え、ファンデーションの下に隠しきれない疲れがある。


「唇、荒れやすいですか」


「ええ……最近、会が多くて」


瑞穂はポーチから、ラベルのない保湿ベースを取り出した。


「特別なものではありませんが、

今の奥さまには、これが一番合うと思います」


渡し方は淡々と。

特別扱いはしない。


だが、敦子はその一連の動きを、黙って見ていた。


瑞穂は、あえて敦子には渡さず、

彼女の周辺にだけ、静かに“効かせる余地”を残していく。


「目元は、一度乾くと戻りにくいですから」


その一言で、数人の視線が瑞穂の手元に集まった。


やがて男たちはコースへ散り、

女たちはカートに乗り込む。


瑞穂は敦子と同じカートを選ばず、

その後ろを追う若手夫人たちのカートに乗り込んだ。


狭いカートの中は、

最も本音が漏れる密室だ。


「大森さんの奥さま、やっぱりお綺麗よね……」


笑顔の裏に滲む、焦りと嫉妬。


瑞穂は正面を見ず、その横顔だけを観察する。


「写真、増えますものね。祝賀会。

中心に座る方の隣で、自分がどう映るか。

残酷な答え合わせです」


「……どうすればいいの?」


「毎日使う必要はありません。

大事な会の前だけ、整えればいい。

その分は、私が用意します」


夕方。

個室で佐藤と合流したとき、瑞穂のメモには、

数人の名前と「乾き」の度合いが並んでいた。


「ターゲットは?」


「条件で絞った。最大派閥。選挙を控えた地方。

そして――“女王の側にいたい”と願う、妻たち」


瑞穂は、芝の上で見た敦子の背中を思い出す。

彼女は、蒔かれた種に気づいていた。

気づいた上で、あえて見逃した。


それは、

利用価値を測る者の視線だった。


「次は地方ね……。戦いが終わった直後。

いちばん隙ができる場所」


芝の上で露わになったのは、

写真よりも先に剥き出しになった、


「選ばれたい」という欲の形だった。

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