第15話 塗布の有効報告/スキーム確認
閉店後のバックヤードは、静まりかえっていた。
銀座の夜は、派手に見えて、決定的なことほど音を立てない。
店の外へ出ていく男たちの背中が、それを教えていた。
若さは「飲む」ものじゃない。浴びれば、自分が呑まれる。
だから瑞穂は、指定して効かせる方を選んだ。
机の上には、瑞穂のPHS。
その隣に、遮光瓶がひとつ。
佐藤は入ってくるなり、椅子に座らず、立ったまま切り出した。
「――塗って、効いたって?」
疑っているというより、
言葉の意味を慎重に確認する口調だった。
瑞穂は、短く頷く。
「効いたわ。局所。目尻に」
「……局所でか」
佐藤の眉が、ぴくりと動く。
瑞穂は写真を差し出した。
現像されたばかりのサービスサイズ。
角度も光も揃えられた、二枚の比較写真だ。
佐藤は目を凝らし、
ある一点で視線を止める。
「消えてはいないな」
一度、写真から目を離し、瑞穂を見る。
驚きは声ではなく、沈黙の「間」に表れた。
「塗布が“道”になるとは思わなかった」
「飲む方は分かりやすいけれど、
塗る方が使い勝手がいいわ」
瑞穂は、瓶には触れない。
「先に言っておく。政治家本人には使わない」
その言葉に、瑞穂は軽く目を閉じた。
「……本人に渡せば、話は早い」
「早いから危ない。
本人の顔が急に変われば、記事になる。
医者も出てくる」
「じゃあ、どこに使うの」
「周辺だ。女だけ。
妻、秘書の妻、後援会の中心。
控室に入れる人間」
佐藤は、淡々と続ける。
「本人を介さず、外堀から情報を得る。
そのほうが、遥かに効く」
一拍。
「男は若さを欲しがるわけじゃない」
瑞穂は黙って聞いている。
「男が欲しいのは権力だ。
席、ポスト、票、順番」
「若さは、妻たちから情報を引き出すための鍵にすぎない。
妻には、何も隠せないからな」
「……その言い方、嫌いじゃないわ」
瑞穂は、そこで思考の線を引いた。
「ターゲットは、まだ決めない」
先に言うと、佐藤も小さく頷く。
「分かった。今日は手順だけ詰めよう」
「手順だけ。
運用の枠組みだけね」
まずは、市販の化粧品に混ぜる。
仲間として裏切らないと確信できれば、
原液を、少しずつ渡していく。
「化粧品なら“薄いケア”で通る。
シワの戻りも緩やかで、目立たない。
管理もしやすい」
佐藤が、短く息を吐いた。
「……目立たない設計だな」
「目立たないからこそ、回るの」
瑞穂は続ける。
「言い訳が立つから。
それに、周辺の女なら“ケア”で済む」
「本人は、
『最近、家の空気がいい』
と感じるだけでいいわ」
瑞穂はメモに、三つ目の線を引いた。
化粧品の持ち込みを、
ひとつの制度にする。
「相手には“いつもの”を使わせる。
持ち込みよ」
「こちらが渡すのは、
その延長に見えるものだけ」
「“自分の努力”だと思い込ませるわけか」
「そう。
自力で勝ったと思わせれば、次が欲しくなる」
瑞穂は頷いた。
「自由度は?」
「分量で調整しろ。
管理は怠るな」
「ここまでね。
まだ『誰に』かは決めない」
「お前が見極めろ。
上に行きたいと、本心で願っている女を」
その言葉に、瑞穂は応じる。
「周辺の女が集まって、笑いながら、互いを比べる場」
「予定と写真が交錯する場」
「“本人の耳に届く”のに、
“本人はそこにいない”場……」
「お前、ゴルフはできるか?」
「付き合い程度なら」
「夫人同伴のゴルフだ」
「……あそこなら、輪と序列が見えるわね」
「見える。
入口も、見つかるはずだ」
瑞穂はメモを畳んだ。
瓶は、しまわない。
机の上に置かれたままのそれが、
静かな圧を放っている。
「じゃあ次は、選ぶために行く」
「決めるためじゃない。
絞り込むためだ」
佐藤は立ち上がり、
ドアの前で振り返った。
「政治家本人には触らない。
周辺だけだ」
念押しするように、繰り返す。
「ええ」
瑞穂は答える。
「男に若さは売らない」
「男が欲しがる――
“権力への滑走路”を売るのよ」
ドアが閉まる。
瑞穂は机の上の写真を伏せ、
遮光瓶だけを見つめた。
まだ、誰にも触らせない。
触らせるのは、
“入口”が見極めてからだ。




