6.勝利の余韻と深夜の検品
カセル砦の夜は、戦いよりも激しい喧騒に包まれていた。
広場では巨大な焚き火が爆ぜ、火竜の脅威から解放された騎士たちが、配給された酒を浴びるように飲んでいる。国境を守る男たちの荒い笑い声が、石造りの砦を絶え間なく揺らしていた。
だが、その熱狂から厚い石壁一枚隔てた地下倉庫は、墓場のように静まり返っていた。
アルバスは魔法灯の青白い光の下、冷え切った空気の中でひたすら羊皮紙の束と格闘していた。
「……個体B、第十七頸椎付近の硬鱗、予定枚数の九割を確保。ただし、こいつは断面の融解が激しく『特級品』としての出荷は不可能だ。二級品へ降格させろ。……アズール、次のロットを読み上げろ」
「はい。次は個体Cの『熱線放射袋』です。ノワール氏の暫定査定では保存状態良好。ただし、魔力の残滓が安定していないため、特殊な冷却容器での運搬が必要とのことです」
アルバスは、アズールが差し出した血の滴る臓器を、まるで宝石の鑑定士のような冷徹な眼差しで検品し、鋭い筆致で数値を書き込んでいく。
この戦果をどれだけ市場に流し、どれだけを王国の国家備蓄として隠匿するか。その匙加減一つで、来期のアルビオン王国の防衛予算が金貨数万枚の単位で変動する。
隣国オステア公国は、被害総額金貨二百万枚という、オステア公国年間予算の四倍に達する損失を前に、保険という盾を持たぬまま立ち尽くし、結果として国家そのものをギルドに切り売りする羽目になった。
アルビオンも他人事ではない。ここで素材一つを適正価格で売りさばけるか、あるいはギルドに安く叩かれるか。そのわずかな差が、数年後に訪れるかもしれない有事の際の「生存権」を左右する。事務屋であるアルバスにとって、ここが真の戦場だった。
「――おいおい。監理官様は、こんな薄暗い場所でまだ算盤を弾いているのか!」
重厚な鎧が擦れる音とともに、守備隊のガストン隊長が姿を現した。
その顔は上機嫌に赤らみ、手には並々と琥珀色の酒が注がれた木製ジョッキを二つ握っている。彼はアルバスの作業机に、あえて書類を避けるようにしてジョッキを置いた。
「隊長。今は検品の最中です。素材に不純物が混ざれば、ギルドに不当な値引きの口実を与えることになる」
「硬いことを言うな、アルバス。今日は貴公が用意した『銀色の壁』のおかげで、わが部下は誰一人として欠けずに済んだんだ。これは現場の指揮官として、礼を言わせろ」
ガストンは、無骨な手でアルバスの肩を叩いた。その手の熱と重みは、アルバスが机上で計算してきた「数千の領民」という数字が、確かに血の通った人間であることを思い出させた。
「……正直に言おう。禁書庫を売ったと聞いた時は、貴公を売国奴としてその場で切り捨ててやろうかと思った。だが、結果として砦も、麓の村も、俺の部下たちの命も守られた。……事務屋には事務屋の戦場があるのだと、この歳になって思い知らされたよ」
「……私は、最善の生存コストを計算しただけです。感謝されるような高潔な動機ではありません」
「ははは! 相変わらず可愛げのない男だ。だが、その計算に俺たちは救われたんだ」
ガストンは豪快に酒を煽り、立ち上がった。
「今日はまだ仕事が山積みだろうが、王都へ戻る前には一度、表の宴に顔を出せ。砦の防衛隊全員、貴公に一杯注ぎたがっている。……これは命令だぞ、監理官殿」
嵐のような男が去り、倉庫に再び勝利の余韻と、深夜の検品が戻った。
アルバスは、手の中に残された温いジョッキを一度見つめ、それから一口酒を口に含んだ。安物の酒のはずだが、その味は驚くほど喉を滑らかに通っていった。
「……アズール。作業を急ぐぞ。これ以上遅れては、明日の日程に支障が出る」
アルバスがペンを走らせる音が、先ほどよりもわずかに軽快なリズムを刻む。アズールはその様子を隣で眺め、気づかれないように小さく微笑んだ。
「……監理官。今の団長の話、少しは嬉しく思ったりしましたか?」
「……。無駄口を叩くな。手元が狂う」
アルバスは、書類へ落とす視線の鋭さを変えることなくそう返したが、その声のトーンには先ほどまでの張り詰めた冷たさはなかった。アズールは、彼が否定しながらも、最終的に差し出された酒を飲み干したことがその答えだと理解し、静かに次の資料をめくった。
深夜の砦に、事務屋の冷徹な、しかし確かな信念を刻む音だけが響き続けていた。




