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第2章 正当な仕事

 佐藤の朝は、いつも変わらない。

 目覚ましが鳴るのは六時三十分。カーテンを開けると、外はまだ薄暗い。冬の空気が窓ガラスに薄い霜を張らせている。アパートの古い暖房を入れ、台所でインスタントコーヒーを淹れる。味は薄いが、それでいい。朝食はトースト一枚とヨーグルト。新聞を取る習慣はない。スマホで株価と天気予報を確認するだけだ。

 七時十五分に家を出る。

 階段を下りて、駐輪場に停めてある自転車に跨る。駅までは十分ほど。道中、コンビニの前を通るが、寄ることはない。電車に乗って二駅。混雑はそれほどではない。吊り革につかまり、ぼんやりと窓の外を見る。住宅街が流れ、ビルが立ち並び、また住宅街に戻る。誰もが同じ顔をしているように見える。

 銀行に着くのは七時四十二分。

昨日と同じ時間だ。佐藤はそれを少し誇らしく思う。遅刻したことは一度もない。席に座り、パソコンを起動する。メールをチェックし、今日のスケジュールを頭に叩き込む。午前中は二社の訪問。午後は資料作成と、課長への報告。

最初の訪問先は、郊外の小さな金属加工工場だった。

 社長は五十代後半。作業着姿で佐藤を迎えた。工場内は油と鉄の匂いが充満している。機械の音が響き、従業員が黙々と働いている。佐藤は会議室に通され、社長と向かい合った。


「佐藤さん、もう少し待ってもらえませんか。来月の受注が決まれば、まとめて返せます」


 社長の声は低く、目が少し赤い。徹夜が続いているのだろう。

 佐藤はファイルを広げた。

 借入残高は四千五百万円。返済遅延は四ヶ月。担保の工場用地の評価額は、すでに借入を下回っている。


「申し訳ありませんが、銀行の稟議ではこれ以上の猶予は難しいです。来週までに一括返済か、担保処分かの選択をお願いします」


 佐藤の声は平坦だった。感情を込めないのが、佐藤のやり方だ。

 社長は俯いた。


「社員が十五人います。みんな家族持ちで……」


 言葉はそこで途切れた。

 佐藤は頷いたふりをして、時計を見た。


「ご健闘ください。何かありましたら連絡を」


 立ち上がり、工場を出た。外は曇り空で、風が冷たい。

 

 次の訪問先は、駅前の小さなスーパーだった。

 オーナーは六十歳近い女性。夫が亡くなってから一人で切り盛りしている。借入は二千万。返済が滞り始めたのは半年ほど前だ。佐藤は店内の奥の事務所で話を聞いた。


「息子が手伝ってくれることになったんです。もう少し時間を」


 オーナーの手は震えていた。

 佐藤は同じ言葉を繰り返した。


「決まりですので。」


 それ以上は何も言わない。言っても無駄だ。銀行は感情で動かない。

 昼は銀行に戻って、社員食堂で食べる。

 定食は五種から選べるが、佐藤はいつも魚定食だ。味は薄いが、健康にいいらしい。同僚の田村が隣に座ってきた。


「今日も二件か。佐藤さんはほんと仕事早いよな」


 田村は笑いながら、唐揚げを口に運んだ。

 佐藤は箸を動かしながら答えた。


「仕事だから」


 それだけだ。褒められても、特別な感慨はない。

 午後はデスクワーク。

 訪問の報告書を作成し、課長に提出する。課長は五十代半ばで、佐藤が入行した頃からいる人だ。報告書をめくりながら、課長は言った。


「よくやっている。処理が早いのは評価する」


 佐藤は「ありがとうございます」と頭を下げた。評価は大事だ。数字は大事だ。

 五時を過ぎると、課内が少しずつ空になっていく。

 佐藤は六時半まで残って、明日の準備をした。最後のメールを送信し、パソコンをシャットダウンする。

 帰りの電車は少し混む。

 佐藤は座れなかった。吊り革につかまり、目を閉じる。疲労は感じるが、深いものではない。今日も予定通りに仕事が終わった。それで十分だ。

 アパートに戻るのは七時半頃。

 コンビニで夕食を買う。おにぎり二個とサラダ、それにビール一本。部屋に入り、鍵をかける。電気をつけ、テーブルに買ってきたものを並べる。

 テレビをつけるが、音は小さくする。

 ニュースが流れている。経済指標の低下、失業率の上昇。佐藤はビールを飲みながら、それを聞く。自分には関係ない。

 食べ終わると、ベランダに出た。

 アパートの二階、角部屋のベランダは狭い。手すりに寄りかかり、下の街を見る。通りには車が流れ、コンビニの明かりが灯っている。向かいのマンションの窓に、家族の影が見える。誰かが食事をしているのだろう。

 佐藤は煙草を吸わない。酒もビール一本で終わりだ。

 ただ、ぼんやりと街を眺める。風が冷たく、頰を撫でる。疲労が少しずつ体に染みてくる。空虚感のようなものも、微かに胸の奥にある。でも佐藤はそれを名づけない。名づける必要がない。

 仕事は正当なものだ。

 銀行は金を貸し、返してもらう。それだけ。返せない人は、最初から借りるべきではない。佐藤はそう思う。自分を悪人だと思ったことはない。ルールを守っているだけだ。

 ベランダから部屋に戻り、シャワーを浴びる。

 湯気が立ち上り、鏡が曇る。顔を拭き、ベッドに横になる。時計は九時を回っている。

明日も同じだ。

 七時四十二分に銀行に着き、新しい案件を処理する。

 佐藤は目を閉じた。

 眠りが訪れるまで、少し時間がかかった。でも、それもいつも通りだった。

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