表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

第11章 群れとして戦う

 今夜は、満月だった。

 雲が切れ、銀色の光が街を冷たく照らす。廃ビルから移動した群れは、街の西側、川沿いの古い公園に集まっていた。あの悪霊の気配が、再び濃くなり始めた場所だ。人間の死んだアパートから散らばった影が、ゆっくりとここに集まってきている。負の感情の残り香が、風に乗って漂う。絶望の匂い。自殺の匂い。人間の世界が、吐き出した毒。

 オレたちは、公園の木陰に身を潜めていた。

 十六匹。全員が、息を潜め、瞳を輝かせる。クロトが中心に立ち、片目で周囲を見据える。結界役の五匹が、すでに輪を作り始めている。見張り役の四匹が、外周を静かに巡回。実働役の七匹が、爪を立てて待機する。

 オレは、偵察として、少し離れた位置にいた。

 鼻を風に向け、気配の濃さを測る。公園の奥、枯れた噴水の周り。そこに、黒い霧が渦巻いている。形はない。だが、数が多い。十を超える影が、重なり合い、絡みつき、ゆっくりと膨張している。あの夜、オレを押し潰した圧に、近い。

 クロトの低い唸りが、合図となった。

 結界役が、動きを始めた。

 五匹の猫が、体を丸め、目を閉じる。

 老いた三毛猫が中心。息が、深く、ゆっくりと整う。空気が、振動する。見えない膜が、公園全体を覆うように広がる。悪霊の逃げ道を塞ぐ。影が、外に漏れ出さないように。霧が、公園の中に閉じ込められる。気配が、急に濃くなる。圧が、強まる。

 悪霊が、反応した。

 黒い霧が、噴水の周りで激しく渦巻く。

 触手のような影が、伸びる。木の幹に絡みつき、地面を這う。低く、くぐもった音が聞こえる。人間の苦しみの残響。呻き声のような。泣き声のような。

 見張り役が、報告する。

「外に、漏れはない」

「結界は、安定している」

クロトが、頷いた。

実働役が、動き出す。

七匹の猫が、影のように噴水へ向かう。

クロトが先頭。黒い毛が、月光を吸い込むように暗い。影を操る若い黒猫が、左に。炎のような熱を出す縞猫が、右に。毒を吐く白猫が、後ろに。他の三匹が、連携して周りを囲む。

オレは、単独で左側の木陰から近づいた。

気配の端を、探る。影の一本が、オレの方に伸びてくる。爪を立て、切り裂く。霧が散る。手応えは薄い。だが、確実に弱まる。

悪霊の圧が、全体に広がる。

重い。

冷たい。

あの夜と同じ。いや、それ以上。結界で閉じ込められた分、濃縮されている。体が、押さえつけられるように。息が、詰まる。オレの毛が、逆立つ。単独で戦った記憶が、蘇る。あの敗北。押し潰された感覚。

我慢できなくなった。

オレは、飛び出そうとした。

単独で、中心へ。素早さを活かし、影の核に爪を立てる。一匹で、切り裂く。それが、オレのやり方だ。群れの連携など、待っていられない。あの人間を殺したものを、今すぐ。

だが、止められた。

クロトの低い唸りが、背中に響いた。

同時に、若い黒猫が、オレの前に体を滑り込ませた。影を操って、オレの突進を阻む。縞猫が、熱で道を塞ぐ。白猫が、毒の匂いで警告する。

「待て」

クロトの声が、頭に直接響くように。

「お前の役割は、斥候だ。単独で突っ込むな」

オレは、爪を地面に食い込ませて、止まった。

体が、震える。尻尾が、ぴんと張る。悔しい。だが、わかる。単独で突っ込めば、また負ける。影が、オレだけを狙う。群れの連携を乱す。

初めて、背中を預けた。

オレは、後ろに下がった。

実働役の後ろに位置を取る。見張り役と連携して、周囲を監視。気配の変化を、クロトに知らせる。低く唸って、左側の影が強まっていることを伝える。耳を振って、右側の霧が薄いことを示す。

群れとして、戦う。

実働役が、中心に飛び込む。

クロトが、影を切り裂く。爪が、霧を裂く音がする。手応えはないが、散る。影を操る黒猫が、悪霊の触手を絡め取る。自分の影で、相手の影を封じる。縞猫が、熱を放つ。霧が、蒸発するように薄まる。白猫が、毒を吐く。影が、腐食するように溶ける。他の猫たちが、連携して隙を突く。一匹が攻撃すれば、もう一匹が守る。一匹が引けば、もう一匹が追う。

結界役が、支える。

膜が、揺れる。悪霊の圧で、ひびが入りそうになる。老いた三毛猫が、息を深くして、膜を強化する。他の四匹が、力を送る。見張り役が、外の異常を監視。人間の気配がないか。別の悪霊が寄ってくるか。

オレは、左側の影を監視しながら、初めて感じた。

背中を預ける感覚。

後ろに、クロトがいる。右に、若い黒猫がいる。誰も、オレを置き去りにしない。オレが突っ込まなければ、群れは乱れない。オレの速さが、群れの目を補う。単独ではない。連携だ。

悪霊の圧が、弱まっていく。

最初は、重く押し潰すようだった。

体が動かないほど。息が詰まるほど。今は、薄い。霧が、散らばる。影が、細くなる。低いくぐもった音が、弱まる。呻き声が、遠のく。

実働役が、最後の攻撃を加える。

クロトが、中心に飛び込み、爪を振り下ろす。

影が、ばらばらに散る。霧が、風に流れる。結界役が、膜を緩める。残った気配を、外に逃がす。公園の外へ、街全体へ、薄く広がるように。

戦いは、終わった。

悪霊は、消えなかった。

完全に、消滅しなかった。影の残りは、公園の木陰に、路地の隅に、川の土手に、微かに残る。明日、また集まるかもしれない。別の負の感情を、吸って。

勝利ではない。

 だが、敗北でもない。

 圧は、確実に弱まった。

 今夜は、これ以上、人間を狙わない。広がりを、抑えた。薄めた。

 猫たちは、静かに輪に戻った。

 クロトが、片目でみんなを見回す。誰も、傷ついていない。誰も、負けていない。

 オレは、噴水の端に座った。

 体が、軽い。初めての感覚。背中を預けた戦い。単独で負けた夜とは、違う。

 クロトが、オレに近づいてきた。

「よくやった」

 短い言葉。

 だが、重い。

 オレは、頷いた。

 群れとして、戦った。

 勝利ではないが、敗北でもない。

 それが、オレたちの戦いだ。

 月が、雲に隠れた。

 夜が、再び深くなる。

 人間が知らない戦いのために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ