第2話 振り返ったら、終わり
「というわけで、霧島夜斗くん。
突撃インタビュー第一問。怪異って、いつから視えるの?」
人気のない階段踊り場。
放課後の校舎で、俺はなぜかインタビューを受けていた。
「いや、インタビュー受けるって言ってない」
「でも逃げなかったじゃん。
それって実質OKってことでしょ?」
どんな理屈だよ。
俺は手すりにもたれながら、視線だけで周囲を探る。
ここなら、さっきの首なし女も距離を取っている。
教室よりは、多少マシだ。
「……物心ついたころには、もう」
答えるつもりはなかったのに、口が勝手に動いていた。
いろはの目が、興味深そうに細められる。
「へぇ。幼児期怪異ビギナー勢か。
私と一緒だね」
「一緒……なのか?」
「うん。私も、子どものころから、変なのいっぱいいたよ。
あ、録ってないから安心して。今のとこ、これはオフね」
そう言って、いろはは手にしたスマホの画面を俺に見せる。
配信アプリは閉じられ、ただの待受画面になっていた。
(オンとオフ、ちゃんと分けるタイプか……)
少しだけ、警戒心がゆるむ。
「で、本題。本日の撮れ高――
“振り返っちゃいけない首なし女”について、だよ」
いろはの声色が、わずかに真剣さを帯びた。
「この学校、マジでやばいレベルで“出る”のよ。
特に最近。
半月前くらいからかな、『振り返っちゃいけない』って噂、急に広まったの」
「噂が広がると、怪異が強くなる」
思わず口にすると、彼女はぱちりと瞬きをした。
「……お、分かってるじゃん。
やっぱりただの一般人じゃないね」
「一般人でいたかったんだけどな」
「私も。
――でさ」
いろはは、手すりに肘を乗せて身を乗り出す。
「視えてる側としては、この首なし女、放っとけないでしょ」
「放っといていいなら放っとく」
「ダメだよ?」
きっぱりと言われた。
「今日の配信、コメント欄見たでしょ。
“やってみたw”とか“ガチ検証するわ”とか、バカみたいな書き込み。
ああいうの、すぐ真似するんだから。
視えてる側がちゃんとルール理解して、最悪、止めなきゃ」
言っていることは、正しい。
俺は目を閉じ、あの“消えた生徒”たちのことを思い出す。
首なし女に囁かれて、放課後、廊下で振り返って、
それっきり、翌日には“最初からいなかったこと”にされてしまった連中。
俺の頭の中には、まだ彼らの顔が全部残っている。
けれど、クラスメイトの誰も覚えていない。
教師でさえ、出席番号を飛ばして点呼を取る。
世界のほうが、書き換わる。
(……ああいうの、これ以上見たくないんだよな)
胸の奥が、ずきりと軋んだ。
「……何見たい?」
「え?」
「撮れ高。
お前の配信のネタにする代わりに、ちゃんと危険周知もするってんなら、
協力くらいはしてやるよ」
視線を外したまま言うと、
いろはは一瞬ぽかんと固まって、
次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「――はい、共闘成立!」
ぱしん、と俺の肩を軽く叩く。
「さすが“視える側男子”。話が早い。
じゃあ決まりね、相棒くん」
「相棒って呼ぶな」
「じゃあ、夜斗くん」
結局、名前呼びに格上げされてしまった。
「作戦会議。
首なし女のルール、私が知ってるのは――」
いろはが指を折りながら、噂話を列挙していく。
・放課後の廊下に出る
・後ろから声をかけてくる
・絶対に振り返ってはいけない
・振り返ると、首を持っていかれる
「……くらい。割とテンプレ。
夜斗くん目線だと、どう?」
「実際に襲われてるところは、見たことない。
でも、“消えた”やつは何人かいる」
俺は、何人かの名前を挙げようとして、やめた。
名前を出したところで、いろはにとっては初耳の人物だろう。
「あと一個、ルールがある気がする」
「ルール?」
「首なし女が囁いた“あと”、
あいつらは“自分から振り返ってる”んだ」
俺が見た限り、そうだった。
誰かに無理やり頭を捻られるわけでもなく、
背後から何者かに押されたわけでもなく。
自分の意思で、ゆっくりと。
「……気になって、振り返っちゃう?」
「多分な。
好奇心か、恐怖か、あるいは……呼ばれてるのかもしれない」
言葉にした瞬間、背筋に寒気が走る。
階段の下から、ひたり、と足音が聞こえた。
ぎゅ、といろはの肩がこわばる。
「来た」
俺は反射的に、視線を下に落とした。
振り返らない。ただ、足音だけで位置を測る。
階段の影――そこから、ぬるりと首なし女が這い上がってくる気配がする。
制服の裾が床を擦る音。
血の匂いのような、生臭い気配。
「……こっち来てる?」
かすれた声で、いろはが囁いた。
「来てる。廊下から階段に入った。
――まだ一段目」
「見えてるの、やっぱやば」
感心してる場合か。
「白鐘。絶対、振り返るなよ」
「分かってる。
……夜斗くんこそ、振り返らないでよね」
お互い、手すりを握りしめて硬直する。
足音が、一段、また一段と近づいてくる。
やがて、それは俺たちのすぐ後ろ――
背中のすぐそばで止まった。
耳元で、冷たい息がかかる。
『――見えて、いるんでしょう?』
声が、聞こえた。
女とも男ともつかない、ひどくかすれた声。
それは、いろはではなく、俺の耳もとに直接囁いてくる。
『ねぇ。どうして、振り返らないの?』
(知るかよ)
心の中で毒づく。
首筋がぞわりと粟立った。
べったりとした何かが、俺の背中に貼りつく。
『こっちを、見てよ』
ぐい、と肩口に、冷たい指先が触れた。
指が五本。
人間の手と変わらない形をしているのに、その温度は氷のように冷たい。
(やば……)
このままじゃ、掴まれる。
全身を、後ろに引っ張られる。
振り返りたくはない。
でも、抗おうとすればするほど、“何か”が身体の奥をこじ開けてくる感覚が強まっていく。
――そのとき。
「夜斗くん」
小さな声が、すぐ横から聞こえた。
いろはの声。
「大丈夫。私がいるから」
それだけの言葉なのに、不思議と頭の中に“重し”が乗っかる。
背中をつかむ冷たい指と、隣から届く温もりのある声。
どちらに引かれるか。
選択は、一瞬だった。
「――悪いけど。俺、しつこい女って苦手なんだ」
わざと軽口を叩いて、前へ一歩踏み出す。
その瞬間、背中に絡みついていた冷たい気配が、ふっと薄まった。
『……そう。じゃあ、また今度ね』
耳元の声が、遠のいていく。
足音が、階段を下りていく気配。
やがて、それも消えた。
しばらくしてから、いろはが息を吐いた。
「ふ、はぁぁぁぁぁぁ…………っ、怖かった……!」
「お前、声震えてたぞ」
「当たり前でしょ!?
だって今の、マジでやばいやつだったじゃん!」
腰が抜けたのか、その場にしゃがみ込むいろは。
その頭の上に、ぽす、と俺は軽く手を置いた。
「助かった。ありがとな」
「……え」
「今、変に動揺してたら、振り返ってたかもしれないし」
それに。
さっきの一言で、俺はなんとなく理解していた。
(こいつも、昔から“視えてる側”だったんだな)
それはきっと、俺と同じように、
“選びたくて選んだわけじゃない”生き方のはずだ。
いろはは数秒、ぽかんと俺の手を見上げてから――
ぱっと笑顔を咲かせた。
「やば。
何それ、惚れるんだけど?」
「やめろ」
「冗談冗談。……でも、いいね。
これ、ぜったい動画映えするよ」
「だから録ってないんだろ、今の」
「今日はね。
でも、これから“もっとやばいの”いっぱい撮りに行くつもりだから。
付き合ってね、夜斗くん」
そう言って差し出された手を、俺は少しだけ迷ってから、握り返した。
その瞬間。
俺たちの背後で、誰かが“見ていた”。
廊下の向こう。
誰もいないはずの空間の、もっと奥。
薄暗い影の中で、目だけが、ひとつぶ、ぎらりと光った気がした。




