第1話 バズり怪異配信者、あらわる
放課後の教室は、昼間よりも幽霊が出やすい――らしい。
科学的な根拠はない。
けれど、日が傾いて影が伸びるこの時間帯、
黒板の上や窓ガラスに“それ”が映り込むことは、よくある。
今日もまた。
「おーい夜斗、帰んね?」
隣の席から、能天気な声が飛んできた。
大きな欠伸を噛み殺しながら、俺は教科書を鞄に放り込む。
「先行ってろ。職員室寄ってく」
「また? 真面目かよ、お前」
ガハハと笑いながら、友人の佐伯は手を振って教室を出ていく。
その背中がドアの向こうに消えた瞬間、
肌の表面を撫でるような冷たい感覚が、すっと教室を横切った。
(……移動したな)
視線だけで追う。
さっきまで教室の後ろにいた首なし女が、
今は廊下側の窓の外、渡り廊下の影に立っている。
夕陽を背に、首から上がない白い制服の女。
普通の生徒なら、逆光の中で揺れる影にしか見えないだろう。
けれど俺には、制服の細かな皺や、
切断面から滴り落ちる“なにか”まで、やけにくっきり視えてしまう。
(……範囲、広がってないか? めんどくせぇ)
思わず眉間を押さえた、そのとき。
「はーい、というわけで――
今日も“ガチで出る”って噂の、とある高校から配信してまーす!」
甲高い、よく通る声が教室に響いた。
俺だけしかいないはずの教室のドアが、いつの間にか全開になっている。
そこに立っていたのは、スマホを自撮りモードに構えた女子。
茶色がかったロングヘアをゆるく巻き、
今どきの量産型と地雷系の中間みたいなファッション。
大きな瞳と、場慣れした笑顔。
カメラに向かってテンション高めに手を振りながら、
ちゃっかり俺のクラスを背景にしている。
「えっとね、この学校には“絶対に振り返っちゃいけない女の人”が出るって噂で――
あ、あそこ、見て。廊下の奥。……視えるかな?」
スマホの画面には、配信アプリのコメントが流れている。
『背景クラス草』
『またいつものヤラセだろ』
『でも首なし女って有名だよなここ』
『心霊スポット何校目だよしろがねちゃんw』
しろがね。
コメント欄の呼び名で、そう呼ばれているらしい。
俺は知らない。
怪異は視えても、ネットのトレンドには疎いのだ。
(……いや、今はそれどうでもいいだろ)
問題は、その女子の後ろ――
スマホの小さな画面にだけ映っている“何か”だった。
彼女の肩越し。
廊下の奥、消火器の横。
血のりまみれの制服姿の少女が、
画面の中でだけ、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
窓の外にいたはずの首なし女とは、別の何か。
目は真っ黒で、口だけが裂けるように笑っている。
(……二体目かよ)
思わず舌打ちしそうになって、こらえる。
「おーっと、今なんか映りましたね? 巻き戻してみましょうか」
配信者の少女――しろがねは、
スマホ画面を覗き込んでわざとらしく首を傾げる。
いや、その動き。
明らかに“視えてる側”の反応だろ。
怪異を“雰囲気”だけ感じているやつの動きじゃない。
位置も、距離も、しっかり把握している。
俺が眉をひそめると、
その瞬間、彼女とスマホ越しの視線が、ぴたりと合った。
「――あ」
一瞬だけ目を見開き、
次の瞬間には、にやりと意味ありげに笑ってみせる。
「視えてるんだ、君」
マイクを通していない、小さな声。
けれど、教室に他の人間がいない今、その囁きははっきりと俺の耳に届いた。
(……やっぱり、面倒なのが来た)
俺は心の中でだけ、盛大にため息をついた。
そのとき、自分の平凡だったはずの放課後が、
静かに終わりを告げたのだと理解することもなく。
* * *
「はいカット。――よし、こんなもんかな」
数分後、配信を切ったらしい少女が、ようやくスマホを下ろした。
教室の前までずかずかと入り込んでくる。
「ご協力ありがとう、男子高校生くん。
勝手に教室映しちゃってごめんね? モザイクは……まあ、気分次第で」
「やめてくれ。写さないでいい」
即答すると、彼女は楽しそうに笑った。
「わー、即答。
でも安心して、あとで編集するときちゃんとスタンプ貼っとくから。
あ、でも“怪異視える系男子”としてコラボしてくれるなら、顔出しワンチャン――」
「しない」
食い気味に否定する。
「ケチ。……で、だよ?」
すうっと、さっきまでの軽さを引っ込めて、彼女は俺に近づいてきた。
間近で見ると、瞳の色が少し薄い。
光をよく通すその目は、どこか“こちら側”の人間に近い色をしていた。
「ねぇ、君さ。さっきからずっと、あっちを見ないようにしてるでしょ」
あっち。
顎で示された先――教室のドアの外。
さっきから、首なし女が廊下の天井にぶら下がるみたいにしてこちらを眺めている。
俺は、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「さぁ。そんなもの、いないだろ」
「ふーん?」
少女は、じっと俺の顔を覗き込む。
数秒の沈黙。
そのあと、ぱんっと手を叩いた。
「決めた。今日から君、私の動画の相棒ね」
「決めないでくれ。初対面だろ」
「関係ない関係ない。だって君――
“ちゃんと視えてる”んだもん」
彼女の視線が、わずかに俺の肩の上、空中を掠める。
そこには、薄墨色の“影”のようなものがまとわりついている。
俺にしか視えないはずの、それ。
(……こいつ、本当に)
俺が何か言い返す前に、少女はぺこりと頭を下げた。
「改めまして、自己紹介。
怪異スポット配信チャンネル『しろがね怪異ログ』実況主、白鐘いろはでーす。
で、君は?」
「……霧島、夜斗」
「夜斗くんね。よるに、斗う。いい名前」
勝手に納得して、いろははにんまりと笑う。
その背後で、廊下の首なし女が、
“やっと見つけた”と言いたげにこちらへにじり寄ってくるのを感じながら、
俺はこの日、初めて心の底からこう思った。
――嫌な予感しかしない。




