プロローグ 「見えてはいけないもの」
――教室の後ろに、首のない女が立っている。
それに気づいているのは、このクラスで俺だけだった。
チャイムが鳴る。
一限目の現代文。
教師がプリントを配り、友達が欠伸をして、窓際のやつがこっそりスマホをいじる。
いつもどおりの、どこにでもある高校の朝の風景。
――その一番うしろ、ドアの横。
そこに、制服姿の女がひとり。
きれいに切断された首から、黒い空洞がのぞいている。
髪は肩までのボブで、肌は血の気がなく白い。
首がないのに、視線だけは、確かにこっちを向いていた。
「霧島。問題、読んでみろ」
名前を呼ばれて顔を上げると、教壇の先生と、三十数人の視線が俺に集まる。
うしろの“それ”だけは、まばたきもせず、じっと俺を見下ろしていた。
……いや、見るための目すら、そこにはないのだけれど。
「……一ページの三番です」
俺は立ち上がり、教科書を読むふりをして、視線を紙に落とす。
そのまま、決してうしろを振り返らない。
知っている。
あれは、“振り返ったやつの首をもらう”怪異だ。
噂話のくせに、やけに具体的なルールと、
何人かの「本当に見たんだって!」という証言つきで、
この学校ではちょっとした都市伝説になっている。
でも、みんなが語るのは“雰囲気”だけだ。
影のようなものを見たとか、誰もいないのに気配がしたとか、お決まりの話。
本当に視えているやつなんて、ほとんどいない。
――たぶん、今も。
俺は文章を読み上げながら、耳だけをうしろに向ける。
かすかな衣擦れの音と、
床を踏むでもない、ふわふわとした存在感が、一定の距離を保っている。
(……今日は、動かないのか)
この怪異は、たまに前の列まで歩いてきて、
生徒の耳元で何かを囁いていくことがある。
囁かれたやつは、その日の放課後に必ず“振り返る”。
それが、消える条件。
俺はそれを、何度か見てきた。
実際に首が飛ぶところを見たことはない。
でも、次の日から、そいつの席は最初から空席だったみたいに扱われる。
出席番号も、名簿も、他人の記憶も、なにもかもが書き換えられて。
――残っているのは、俺の記憶だけ。
だから、俺は知っている。
この教室の後ろには、首のない女がいる。
そして、ここから先もずっと、俺の日常には“そういうもの”がつきまとうのだと。
ため息を、喉の奥で押し殺す。
俺の名前は霧島夜斗。
怪異が視えてしまう、どうしようもなく運の悪い高校二年生だ。
その日、俺はまだ知らなかった。
放課後、この首なし女と、
“バズり怪異配信者”を名乗る女子高生に、まとめて人生をぶち壊されることになるなんて。




