試練の証明6
証言と調査方針の整理を終え、リュアたちは証言を終えた若者たちとともに、集会舎の扉を開けて外へ出た。
すでに空は淡い朱に染まり始め、村を囲む山々が長く影を落としていた。広場には柔らかな夕暮れの光が差し込み、風が静かに石畳を撫でていく。
だがその穏やかな光景の中に、不意に緊張が走った。
広場の向こう側に、数名の年配の村人たちが立ち並んでいた。
先頭に立つのは、年配の男性――白髪を後ろに撫で付け、灰茶の上着を羽織った厳格な面持ちの人物だった。その男が、腕を組んだまま無言でリュアたちを見据える。
ヴァンがわずかに顔をしかめる。
「……父さん」
男――前村長エルゴ・ローデンは、息子の言葉には答えず、静かに前に出る。そして、冷たい視線をそのままリュアたちへと向けた。
「……村の問題は、村で解決します。ギルドの方には、お引き取り願いましょう」
その一言に、空気が一瞬凍りつく。
静寂のなか、リュアは目を細め、「やっぱり来たか」と言いたげに眉をわずかに曇らせた。
カイルは眼鏡の縁に手を添え、静かに持ち上げる仕草を見せる。
グレンは、何も言わず、まっすぐに前を見据えたままだ。
そんな彼らの反応を見てもなお、エルゴは微動だにせず、続けて語り始めた。
「……他所に頼らずとも、わしらはこれまでやってこられた。見下されようと、田舎だと笑われようと――自分たちの手で守ってこそ、村の誇りになるんじゃろうが」
その語調には、揺るがぬ信念と、長年この村を支えてきた者としての矜持がにじんでいた。
「ギルドが来れば、若い連中は“そっちが正しい”と思い込む。そうやって村の芯が崩れていくのが、わしは耐えられんのじゃ」
彼の背後に控えていた数人の年配の村人たちが、口を挟むことはなかったが、その瞳に込められた頷きは、明らかな賛同の意思だった。
そして視線は、今の村長――ヴァンへと向けられる。
その視線はどこか批判的で、父としてではなく、“村を託した者”としての眼差しだった。
一方で、遠巻きに見守っていた若者たちは、不安そうに視線を揺らしていた。村長の背中を見つめながらも、言葉にはできない葛藤がその表情に表れていた。
そんな空気の中、ヴァンが静かに前へ出る。
その眼差しには、父への敬意と、同時に新しい世代を導こうとする決意が宿っていた。
「……この方たちは、私が正式に依頼した冒険者です。すでに何人もの村人が、異常な姿をした魔物を目撃している。これはもう、村だけで抱えられる問題ではありません」
真っ直ぐな言葉。だが、エルゴの表情は微動だにしなかった。
「昔、大雨で村が孤立したときもそうだった。道は崩れ、援助は届かん。けど、わしらは諦めんかった。鍬と縄だけで道を拓き、罠と煙で山の獣を追い払った。――誰一人、見捨てんかった」
語り口は、まるでかつての英雄譚を振り返るようだった。だがその語尾は、今の事態を軽視するような響きを伴っていた。
「魔物が出た? それがどうした。騒げば余計に不安を煽るだけじゃ。放っておけば、そのうち山に戻るわい」
その言葉に、エルゴの背後にいた年配者たちが「そうだそうだ」と低く声を重ねる。
空気が、次第に張り詰めていく。
ギルド側――リュア、グレン、カイル。
保守派――エルゴとその支持者。
そして、その間に立つように、村長ヴァンと若者たちがいる。
それは、過去と未来、信念と現実の狭間で揺れる、ひとつの村の断層だった。
張り詰めた空気の中、リュアが一歩、前に出る。 その動きに、周囲の視線が自然と彼女に集まった。
リュアは静かに前村長を見据えたまま、淡々と口を開く。
「……なるほど。でも、だったら試してみる?」
声はあくまで穏やかだった。だが、その奥には確かな意思があった。
リュアは軽く顎を上げ、視線を村の外れ――南西の山裾の方角へと向ける。
「南西の方。澱んだ魔力の気配がある。あれは、自然のものじゃない。たぶん、そこに“いる”と思う。私たちは、その気配に慣れてるし、戦う準備もできてる。けど……」
再びエルゴに目を向け、声の調子を少しだけ低くする。
「キミたちに、対処できる? このまま、若い子たちを向かわせるつもり?」
一瞬、風が吹き抜けるように場が静まった。
その沈黙の中で、リュアはさらに言葉を重ねる。
「……“村は村で守る”。うん、それ自体は、悪い考えじゃないよ」
「でも――」
再び一歩踏み出し、真正面から前村長エルゴを見据える。
その瞳は冷たくも熱くもなく、ただ真っ直ぐだった。
「それが、実際に守れるだけの“力”があるってことと、同じだと思ってるなら――ちょっと甘いよ。気持ち”だけで魔物に勝てるなら、誰も苦労しない」
「キミたちが守ろうとしてる“誇り”って、実力もないのに外からの手を払いのけること?
それって、誇りじゃなくて……ただの意地じゃない?」
村人たちが息を呑む気配が広がる。
だがリュアは、視線をそらさず、柔らかく続けた。
「――ねぇ。明日、南西の方に出てる気配の調査に行く予定なんだけど」
「もし“村の力”で何とかできるって本気で思ってるなら……ついてきてもいいよ?」
その言葉に、若者たちの間でざわめきが起きる。
だがリュアの声は、そこで少しだけ和らぎ、表情にも柔らかな笑みが浮かんだ。
「……でもさ」
「誰だって、得意なことと不得意なことがあるよね? “自分たちだけで”全部を抱える必要なんて、ないんじゃないかな」
「畑を守るのも、家族を支えるのも、日々の暮らしを築くのも――それが、キミたちの“強さ”だし、誇るべきことだよ」
「だったら今は、“戦うための力”が必要な時。その部分は、私たちに任せてほしい」
その言葉に応じるように、広場の村人たちがざわめきを返す。 若者たちの間に動揺と期待が入り交じった空気が流れ、いくつかの視線がリュアの背中に向けられた。
その時、エルゴが目を細め、低く息を吐いた。
「……やかましい」
短く、吐き捨てるような声だった。
そして、鋭い視線でリュアを睨みつける。
「口先だけの正義を振りかざすな。村のことは村で決める。それだけは、忘れるなよ」
そう言い残すと、エルゴはくるりと背を向けた。
彼の後ろに控えていた年配の村人たちも、迷いなくそれに続く。
その背中を見送りながら、リュアは肩をすくめて、小さく苦笑した。
「……ま、こうなるよね」
その声は、諦めでも勝利でもなく――ただ、静かな現実の受け止めだった。
エルゴとその一団が立ち去ったあと、広場には、しばしの沈黙が落ちていた。
だがその静けさを破るように、村長のヴァンが一歩前に出た。そして、深く頭を下げる。
「……お騒がせして、申し訳ありません」
落ち着いた口調だったが、その声にはかすかな決意が込められていた。
「でも……父を説得するためにも、私自身が現状をちゃんと見たいと思っています。明日の調査、私も同行しても構いませんか? 魔物との戦闘は多少心得があります」
リュアが返事をしようとした――その瞬間だった。
「俺も!」
鋭く、だがどこか緊張を孕んだ声が広場に響く。
全員の視線が、その声の主に向けられた。
そこに立っていたのは、十代後半と思しき若者――くすんだ銀鼠色の短髪が夕陽に淡く照らされ、どこか青みを帯びた陰影を作っている。
彼は、先ほど最初に証言をしていた少年――ティオ・マレンだった。
緊張の面持ちを浮かべつつも、その瞳は揺らがなかった。
淡い藤紫の眼差しがまっすぐにリュアたちを捉えていた。
「俺も、明日の調査に同行させてください!」
その言葉に、村人たちの間で小さなどよめきが広がる。
ヴァンがすぐに落ち着いた声で補足した。
「彼は村の自警団に所属していて、何度も野盗や盗賊の対応にあたってきた者です。対人戦が中心ですが、冷静な判断力と行動力があり、村でも頼りにされている一人です」
ティオが頷き、やや緊張した声で、けれどしっかりと続けた。
「……さっきの話、聞いてて思いました。俺も、やれることをやってみなきゃって。“村の誇り”とか“意地”とか、そんなふうに割り切れるほど簡単じゃないのはわかってます。でも――」
一拍の間。
ティオは言葉を選ぶように息を整え、拳を小さく握る。
「俺は、意地じゃなくて……本当の実力が欲しいんです。村を守る“力”ってものを、ちゃんと知りたい。だから、行かせてください!」
その瞳には、揺るぎのない決意が宿っていた。
リュアは、しばし彼を見つめたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……問題ないよ。そのほうが、村の今後にとっても、いい方向に行きそうだね」
そして、ごく自然に――けれどどこか安心させるように続ける。
「何かあっても、私たちが守るから。安心して、ついてきて。君が踏み出したこの一歩が、きっと他のみんなの勇気にもなるから」
ティオは静かに頷き、その表情からは少しだけ緊張がほどけていた。
その様子に、広場に立っていた他の若者たちの表情にも変化が生まれた。
小さな勇気が、ゆっくりと波紋のように広がっていく。
ヴァンは改めて一礼すると、リュアたちに向かって歩を進めた。
「ありがとうございます。それでは、今夜の宿へご案内いたします」
落ち着いた口調とともに、彼は広場の奥に続く道を指し示した。
空はすでに日が沈み、明日の始まりを静かに待ち受けていた。