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鍵と光の希望  作者: SUZU
1章:試練の証明
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試練の証明5

 馬車はゆっくりと揺れながら、村の入口へと近づいていった。

 山裾に広がる静かな集落――それが、グリーダ村だった。

 石造りの素朴な民家が疎らに並び、畑には手入れの行き届いた野菜畝が整然と続いている。道沿いに植えられた木々が風に揺れ、緑の匂いが空気に溶け込んでいた。



 だがその穏やかな風景の中に、どこか張り詰めた気配があった。

 馬車の車輪が石畳を軋ませる音に、畑の奥や家の影からいくつもの視線が向けられる。



 その大半は年配の村人たちによるもので、表情にはあからさまな警戒と不信の色がにじんでいた。

 一方、ごくわずかに覗く若者の姿には、ためらいながらも何かを期待するような気配がわずかに見て取れた。



 そんな視線を受けながら、馬車は村の門前で静かに止まる。

 扉が開かれ、まずグレンが静かに地面に降り立つ。続いてリュア、最後にカイルが記録装置を手にして後に続いた。



 と、その時。門の前で既に待っていた人物が、一歩前に出た。

 黒い上着に身を包んだ、落ち着いた雰囲気の中年の男性。髪にはいくつか白が交じっており、年齢は四十代前半と見える。背筋を伸ばした姿には威圧感こそないが、確かな誠実さと理知的な空気があった。



 彼は丁寧に一礼し、少し緊張のにじむ口調で口を開いた。



 「ようこそ、お越しくださいました。遠路、大変だったでしょう。グリーダ村の村長、ヴァン・ローデンと申します」



 リュアも軽く頭を下げ、にこやかに応じる。



 「いえ、お気遣いなく。私はギルドから派遣されたリュア・ゼフィラです。――それより、グリーダ村がギルドに助けを求めるなんて、ちょっと意外でした」



 そこで言葉を区切り、真っ直ぐに彼の目を見て続ける。



 「――よっぽどのことがあったのでしょう?」



 ヴァンは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに頷いた。



 「……ええ。お察しの通りです。本来なら、自分たちの手でどうにかするというのが、今までのこの村でのやり方でしたが……しかし今回は、それが叶わない事態でして」



 言葉を選ぶように一呼吸置き、落ち着いた声音で続けた。



 「詳しい状況は、村の〈集会舎〉でご説明いたします。どうぞ、こちらへ」



 ヴァンに促され、一行は村の奥へと歩き出す。

 その道すがらも、家の影や畑の端から、村人たちの視線が続いていた。



 足音だけが響く石畳の道。その途中で、グレンがふと足を止めた。

 何かに気づいたように、南西の方角――村の外れに広がる山裾のさらに奥へと、じっと視線を向ける。



 グレンは何も言わない。ただ、数秒後に何事もなかったかのように再び歩き出す。

 その横顔を、リュアは一瞬だけ見つめ、声はかけなかった。



 集会舎は、村の中心に建てられた石造りの建物だった。木枠の窓から差し込む昼下がりの光が、室内の埃を淡く浮かび上がらせている。壁際には古びた書棚と、村の行事を記した記録板。中央には簡素な長机と椅子が並べられていた。



 その一角に、数名の村人が緊張した面持ちで座っていた。証言のために呼ばれた若者たちだ。

 部屋の空気は張り詰めていたが、それ以上に静かだった。



 最初に口を開いたのは、十代後半の少年だった。素朴な村人服に身を包み、椅子の端に腰掛けたまま、手を膝の上に揃えている。緊張のせいか、何度も喉を鳴らしては目を伏せた。



 「……朝早く、父に頼まれて、古い林道まで見回りに行ったんです。村の外れの、あまり人の入らない道で……」



 少年の声はかすかに震えていた。それでも絞り出すように、続きを語る。



 「倒木が道を塞いでて、回り込もうとした時……倒木の陰から、黒い魔物が出てきました」



 言いながら、彼は両手の指先をこすり合わせる。恐怖の再現が、仕草に滲んでいた。



 「見た目は……森にいる狼みたいな形だったんです。でも、前脚が……こう、逆に曲がってて……」



 彼は両腕を持ち上げ、曲がった形を示そうとするが、うまく再現できずに手を下ろした。



 「歩くたび、爪が……地面をぐしゃって潰して……音が、忘れられないんです」



 その場にいた誰もが、少年の言葉に耳を傾けていた。

 リュアも、グレンも、そしてカイルも――表情こそ動かさなかったが、部屋の空気には明らかな緊張が漂っていた。

 


 続いて話したのは、十代半ばほどの少女だった。牧童の服装に身を包み、真面目そうな顔立ちで背筋を伸ばして立っていた。



 「昼ごろのことです。羊を放してたら一頭いなくなってて……探してたら、牧場の奥の草原のさらに向こうの斜面まで行ってしまって」



 少女の声は落ち着いていたが、その奥に、抑えきれない動揺があった。



 「岩陰に……変な魔物がいたんです。体はトカゲみたいな感じで、でも……棘が、左右にぐにゃってねじれてて……」

 「鱗も、一部がめくれてて……中が見えてて……でも、動いてたんです」



 語るうちに、少女の瞳が揺らぎ始めた。



 「私には気づかなかったみたいで……岩陰に消えていったけど、ずっと……目を逸らせなかった」



 話を終えた少女は、その時の恐怖を思い出し顔を伏せた。

 カイルは、記録装置の表示を調整しながら、視線を上げずに淡々と記録を続けている。

 三人目の話は青年だった。姿勢は落ち着いていたが、その声には硬さがあった。



 「夕方、知り合いに頼まれて、西側の廃屋跡の近くに野草を採りに行ったんです」

 「古い石垣のあたりで……何かが動くのが見えて。最初は野生の獣かと思ったけど、よく見ると……小さな魔物でした」



 青年は一呼吸置き、視線をわずかに伏せた。



 「体は小さいのに、片腕だけが、異様に太くなってて……地面に引きずってたんです。ほとんど動けてないようだったけど……」

 「こっちを見た気がして……でも声が出せなくて。気づいたら、全力で逃げてました」



 そう言って、青年は拳を握りしめたまま、静かに息を吐いた。

 室内には、誰も軽口を挟む者はいなかった。

 異様な存在。壊れたかのような構造。

 それらが、村の周囲に複数現れているという事実だけが、確かな重みをもって場に残された。



 室内に、重苦しい沈黙が落ちた。

 三人の証言はいずれも異様なもので、明らかに共通する“異常”があった。

 リュアは、そっと視線を下げる。小さく息を吐き、そのままぽつりと口を開いた。



 「……奇形の……魔物……?」



 呟きに近い声だった。低く、困惑がにじむような響き。

 それは誰に向けた問いでもなく、自身の中で浮かんだ疑念を形にしたような言葉だった。

 しばし間を置き、リュアは隣に立つグレンに顔を向ける。



 「グレン。こういう魔物、見たことある?」



 グレンはほんの一瞬だけ考えるように目を伏せ、記憶を探るような仕草を見せた。だがすぐに、静かに首を横に振る。



 「……そういった魔物は、初めて聞いたな」



 その声音には、確かな重みがあった。

 かつて、追われるように孤独な日々を過ごし、数えきれぬ危機をくぐり抜けてきた者の言葉だった。その彼ですら知らないという事実が、場の空気をさらに引き締める。



 「カイル、キミは?」



 リュアの問いに、カイルは記録装置を操作する手を止め、まっすぐに顔を上げた。



 「監査官として、各地の記録を精査してきましたが……今回のような魔物は、前例がありません」



 声はいつも通り淡々としていたが、答えたときにほんのわずか、彼の眉が動いた。

 それは、彼にしては珍しい驚きの兆しだった。

 リュアは短く息を呑むと、再び周囲を見回し、やがて真っ直ぐ前を向く。



 「……思ったよりも、厄介そうだね。とにかく、一度、その魔物を見てみたい」



 その言葉に応じるように、グレンがふいに視線を窓の外へと向けた。

 不意の動きに、リュアがすぐ気づいて声をかける。



 「グレン? 何か気になることでもあった?」



 グレンは、目を細めたまま答えた。声は低く、だが鋭さがにじんでいた。



 「……村の南西。かなり離れた場所から、妙な気配を感じた」



 その言葉に、リュアも目を閉じ、静かに意識を集中させる。

 わずかに眉が動き、やがて小さく頷いた。



 「……確かに。澱んだ魔力の残滓がある。しかも、ただの魔物の気配じゃない」



 その場にいた誰もが息を呑む中、ヴァンが躊躇いがちに口を開いた。



 「村の南西には、古い採掘坑道があります。数年前に崩落があり、今は封鎖されていますが……」



 その言葉に、リュアの目が鋭く光る。



 「坑道、か……。なら、明日はまずそこから調査してみよう」



 傍らのカイルも即座に反応した。



 「了解しました」



 明確な目的地が定まり、空気が微かに動く。だがその一方で――  グレンの眼差しには、まだ消えぬ警戒が残っていた。

 どこか、言葉にはできない違和感と共に。




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