沈黙の街31
アナスタシアは唇をかすかに噛みしめ、ためらうように視線を揺らした。
けれど――やがて、小さく頷き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は……フローネのみんなと一緒にいたいです。ロイも、エイドも、シルフィも、ずっと一緒に冒険してきて……私にとっては、何より大切な仲間だから」
その声は、しっかりとリュアを見つめながらも、どこか自分自身を試すような響きを含んでいた。
「でも……」
アナスタシアの表情が曇る。眉がわずかに寄り、胸の奥から搾り出すように続けた。
「そんなに……簡単に、選んでいいものじゃないとも思うんです。自分の気持ちだけで、決めていいことじゃないって……」
その言葉に、リュアは一度、そっと瞳を伏せた。
だがすぐに、アナスタシアを真っすぐに見つめ返し、やわらかな、けれど確かな声で告げる。
「なら――フローネのみんなと一緒に、多くの人を助ければいいんだよ」
それは優しさに満ちつつも、芯の強さを感じさせる声音だった。
アナスタシアの目が揺れ、わずかに肩が震える。
「それが……できれば、いいんですが……」
小さく身を縮めるようにして、言葉を続ける。
「それは、きっと……三人に、苦労を強いることになる……そんな気がして……」
リュアはその言葉に、静かに首を振った。
「――あの子たちなら、大丈夫」
言い切る声は、迷いのない力強さを帯びていた。
その瞬間、アナスタシアの顔が強くこわばった。
「そんな……! だって、リュアさんだって……!」
思わず声を荒げてしまい――はっとしたように口をつぐむ。
口元を押さえ、戸惑うように視線を彷徨わせた。
だがリュアは、怒ることも責めることもなく、ふっと微笑を浮かべる。
「……やっぱり。私の過去の記録、見たんだね」
その声音は穏やかで、どこか照れたような苦笑すらにじんでいた。
アナスタシアはしばらく沈黙していたが――やがて、そっと頷く。
「……客観的に見て、あのときのリュアさんの判断も、現場での行動も、何ひとつ間違っていなかったと思います」
その瞳には、はっきりとした敬意が宿っていた。
「むしろ、あの状況で……誰の命も落とさずに帰還できた、あの力量こそが、リュアさんのすごさなんです」
声が震えた。けれど、言葉には真実が宿っていた。
「私……もし同じような状況に陥ったら、みんなを守り切る自信なんて、ありません……」
アナスタシアはそう言いながら、自分の胸を両腕で抱くようにして、少しだけ背を丸めた。
「この力を使って、多くの人を守りたい。そう、思っています。でも――本当は……誰よりも、みんなのことが大事で……」
その顔色が、徐々に青ざめていく。
責任と期待。未来と絆。
そのはざまで、揺れ動く想いが、彼女の中で押し寄せていた。
そんなアナスタシアを見て、リュアは静かに一歩、彼女に近づいた。
そして、穏やかな声で、けれどその奥に確かな想いを込めて――言葉を届ける。
「……もう一度、言うよ、アナスタシア」
そう前置きしたリュアは、ふっと口元を引き上げた。
それは、迷いなど一切ない、自信に満ちた笑み。
「――あの子たちなら、大丈夫」
確信をもって、はっきりと告げるその言葉に――アナスタシアは思わず目を見開いた。
その声は、ただの慰めでも励ましでもなかった。
誰よりも若き冒険者たちの可能性を信じる者の、真っ直ぐな確信だった。
リュアは、そんなアナスタシアの反応を優しく受け止めるように、少しだけ表情を緩めた。
「三人ともね。アナスタシアの不安……ちゃんと分かってるよ」
穏やかに、けれど核心を突くように語りかけるその声に、アナスタシアの肩がわずかに揺れた。
「そのうえで、キミに余計な心配をかけないように――それでも、キミと一緒にいたいから。少しずつ、前に進もうとしてる」
その言葉に、アナスタシアはかぶりを振るようにして、絞り出す。
「……そんな……」
戸惑いと、驚きと――何より、自分が知らなかった仲間たちの思いに、胸を突かれる。
「さっきね、キミがギルドの結界を解いてくれている間に、三人で話をしていたんだ」
リュアは目を細め、思い返すように微笑む。
「“アナスタシアばかりに負担をかけたくないから、絶対に追いつく”って、そう言ってた。でも……焦りは禁物だからって。キミを心配させないように、ちゃんと自分たちのペースで力をつけようって、三人とも分かってたよ」
アナスタシアは息を呑む。 思わず胸元の杖を強く握りしめる手に、微かな震えが伝っていた。
リュアは、柔らかく、けれど真剣な眼差しで言葉を添えた。
「……もっと、仲間のことを信じていいんじゃないかな?」
その一言が――アナスタシアの心に、真っ直ぐに届いた。
次の瞬間。
ぽろり、と。
アナスタシアの瞳から、静かに一粒の涙がこぼれ落ちた。
(……私は……ずっと、“私が全部やらなきゃ”って思い込んでた)
胸の奥で、確かな想いがゆっくりと形を成していく。
(私の不安を、みんなちゃんと分かってくれてたのに。 そのうえで、それでも一緒に歩いていこうとしてくれてた。
……一人で全部、抱える必要なんてなかったんだ)
涙のあとを指で拭いながら、アナスタシアはそっと顔を上げた。 そして――優しい光を宿した瞳で、リュアを見つめる。
「……っはい」
こぼれるような笑顔が、月明かりの中でふわりと咲いた。
その笑顔は、今までの迷いをひとつ、確かに越えた証だった。
***
アナスタシアとの対話が静かに終わりを迎えたそのとき、後方から軽やかな足音が近づいてきた。
「アナスタシア! 最後の解呪の魔法、すっごかったね!」
振り返る間もなく、ミリアが屈託のない笑顔でアナスタシアの背後から両肩に飛びついた。
「きゃっ……!? ミリアさん……!?」
突然のことに少し目を丸くしたアナスタシアだったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて答える。
「……ありがとうございます」
その笑顔には、先ほどまでの迷いが、ほんの少しだけ和らいでいるように見えた。
「もう、ミリア! アナスタシアさんも疲れてるんだから、そんな勢いよく飛びつかないの!」
すぐ隣で、サーシャがやや慌てた様子でミリアをたしなめる。その姿に、周囲にやわらかな空気が広がっていく。
そんなやり取りを目にしたリュアが、思わず「ははっ」と笑みをこぼした。
「みんなも、お疲れさま」
その声に、ルセリアの三人はぱっと顔を輝かせて笑い返す。
一方、少し離れた場所で様子を見ていたレグナムの三人は、どこか居心地悪そうに視線を揺らしていた。
やがて、ジークが一歩前に出て、深く頭を下げる。
「……リュアさん。ギルドでのこと、本当にすみませんでした」
「自分の未熟さと無知が……あまりにも恥ずかしい」
ライナもその隣で力なく頭を垂れ、短く謝罪の言葉を続けた。
「私も、です……。今回のことで、自分の力に驕っていたことに気づかされました。これからは、過信せず、学びながら歩んでいきます」
ノエルもまた、はっきりとした声でそう言い切った。
「……あぁ。もう、同じ間違いはしない」
再びジークが強い決意をにじませながら、低く呟く。
その姿を見て、リュアは少しだけ目を細め――そして、優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。誰だって、間違うときはある。それをどう受け止めて、どう次に生かすかが大事なんだよ」
そして、三人の顔を順に見つめながら、しっかりとした声で続ける。
「それに――今回、キミたちがベイルの密談を気づかれずに持ち帰ってくれたから、私たちは彼を止めることができた。本当に、ありがとう」
真っすぐな感謝の言葉に、レグナムの三人は驚いたように目を見開き――照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに、小さく笑った。
「リュアさん。もうすぐ本部の職員がこちらに到着するようです」
レイが魔導印に目をやりながら、淡々とした口調で報告する。
そして、ふと軽い調子で問いかけた。
「それにしても、本部がこんなに早く動くなんて……リュアさん、いつ連絡してたんですか?」
「この街に着いた日の夜だよ」
リュアはにっと笑って、肩をすくめるように言った。
「私信でいろいろ報告するときに、“何か起きるかもしれない”って、ついでにね」
そして、おどけるような口調で続ける。
「ディアスは、よくため息ついてるけど……なんだかんだ、優秀だからね」
その言葉に、グレンがふとリュアの横顔を見た。
表情はほとんど変えないままだが、今まで見たリュアとグレンのやり取りを思い出し、その視線には“そのため息の半分はお前のせいだろう”とでも言いたげな、わずかな呆れが滲んでいた。
「みんな、まだ疲れが残ってるでしょ?ここは私たちに任せて、先に宿へ戻って」
リュアの提案に、ミリアが両手を振りながら慌てて声を上げる。
「えっ、でも! リュアさんだって疲れてるんじゃ……!?」
「私たちはまだまだ平気。心配してくれて、ありがとうね」
リュアは柔らかな声で返し、ミリアの頭を軽く撫でた。
「それじゃあ……お言葉に甘えて、先に失礼します」
レイが礼儀正しく頭を下げると、サーシャも続けて微笑みながら言葉を添える。
「リュアさん、グレンさん……おふたりも、あとでちゃんと休んでくださいね」
「リュアさん! グレンさん! おやすみなさーい!」
ミリアが元気よく手を振る。
その明るい声に、アナスタシアとレグナムの三人も、それぞれ軽くお辞儀をして――静かに、宿へと歩き出した。
***
仲間たちの後ろ姿が石畳の向こうへと消えていき、広場に静けさが戻る。
リュアはその背をしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと目を伏せ――小さく息をついた。
「ねぇ……グレン」
ぽつりと漏れたその声は、先ほどまでとは違い、低く張り詰めた響きを帯びていた。
グレンが静かに顔を向けると、リュアもそちらを見返す。
その瞳には、柔らかさの代わりに、明確な緊張と警戒の色が宿っていた。
「あの魔道具の気配……気づいた?」
短く問うリュアに、グレンは間を置いて、静かに頷く。
「……影喰と、同じ気配だった」
その言葉に、リュアの表情がわずかに険しくなる。目線を斜め下へと逸らしながら、思考を巡らせるように呟いた。
「ベイルに魔道具を渡した男、そして――職員を消したあの訪問者……」
「どちらも、黒い衣にフードを被っていたな」
グレンが淡々と情報を補足すると、リュアはそっと唇を噛み、顔を上げる。
「同一人物か、もしくは同じ組織の人間か……そしてその魔道具に、影喰の気配……偶然では、ないよね」
ちらりと横目でグレンを見やりながら言うと、彼は即座に頷いた。
「封印や影喰に関係する組織がある。そう考えるのが自然だな」
リュアの表情が、わずかに不安を帯びたものへと変わっていく。
「影喰は、封印が解けて現れた異形……そして……」
そこまで言いかけて、言葉が喉で詰まる。
沈黙の中、グレンが代わるように静かに続けた。
「……その封印痕から、俺への魔力干渉……か」
その一言に、リュアの顔から血の気が引いたような気配が走る。
「……グレンの封印に…その組織が関係している……?」
だが、すぐにグレンが落ち着いた声で言葉を継いだ。
「まだ断定するには情報が足りない」
リュアは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
そして目を開くと、その瞳には先ほどまでの迷いが消え、まっすぐな意志が宿っていた。
「……そうだね。まずは、情報を集めるのが先」
その声は、確かな決意を帯びていた。
――そして、静かに夜の風が吹いた。




