沈黙の街28
ベイルの体から放たれる呪気が、さらに濃く膨れ上がった。
地面がうねるように震え、黒い靄が波のように押し寄せる。
「来るぞ――!」
グレンが闇の魔力を掌に集中させ、黒の波動を広げた。 呪いの靄が触れた瞬間、空気が弾け、火花のような魔力が散る。 闇の結界が、靄の侵食を押し止めていた。
その隙を突き、リュアが駆ける。
双剣が閃き、流れるような二連の斬撃がベイルの胸元を裂いた。 魔道具に侵食された灰色の血が散る。だが――。
「再生した……?!」
ミリアの驚きが響いた。
裂かれたはずの傷口が、みるみるうちに塞がっていく。 黒い脈動が皮膚の下を走り、肉が元に戻っていく異様な光景。
「さっきの自動防御の結界が……体に融合されたことで、再生能力に変化しているのか……」
ジークが低く呟き、眉をひそめた。
「結界なら、リュアさんの力ならいくらでも攻撃を通すことができたのに……」
サーシャの声に、レイが険しい顔で続ける。
「それに……リュアさん、力を押さえていないか……?」
リュアは再び距離を詰め、刃を滑らせながら心中で短く息を呑んだ。
(厄介だな……)
本気を出せば――倒せる。
それは、彼女も、グレンも理解していた。
だが今のベイルの身体には、“魔道具”が命と融合している。 無闇に斬り込めば、それだけで致命傷となる。
ベイルを“壊す”ことなど、望んでいない。
けれど時間は、確実に彼を侵食していく。
「お前たちみたいな“選ばれた正義”が……!」
ベイルの叫びが、嗄れた空気を震わせた。
「何も知らずに……踏み込んでくるなよ!」
その声は怒りと悲鳴の混じったような響きだった。
「俺はずっと見てきたんだ……理想を語る奴らが、裏でどんなことをしていたか……! ハッ……信じてたさ。昔はな!」
叫びながら放たれた腕の一撃が、地を裂いた。
黒い靄が爆ぜ、闇と呪いが入り混じる。
グレンが即座に防御の壁を展開し、リュアを庇う。
「ギ、ギルド、が……きれ、いごと……! ヒャ、ハ……は、はあッ……!」
もはや言葉とは呼べない呻きが、喉の奥から漏れた。
徐々に理性の崩壊していくとともにに、ベイルの魔力が膨張していく。
攻撃も防御も、明らかに増している。
「リュア、アナスタシア」
グレンの声が、重く響いた。
「……あの魔道具は、まだ融合が進んでいる。完全に融合してしまえば――ベイルを元に戻す方法がなく、殺すしかない」
リュアが息を呑む。
背後で、アナスタシアがはっと顔を上げた。 グレンの瞳がベイルの魔道具をじっと捉える。
「完全に融合するまで……およそ五分だ」
アナスタシアの表情が強張る。 白い指先が、無意識に胸元で杖を握りしめていた。
「解呪をするにも、魔道具と体が一瞬でも乖離する必要があるぞ」
グレンが短く告げる。
リュアは静かに頷き、前を向いた。
「……私とグレンで何とかタイミングを作るから」
振り返らずに言葉を放つ。
「アナスタシア――キミはいつでも、解呪の魔法を放てるように」
アナスタシアは唇を結び、息を飲んだ。
両手を胸の前で組み、祈るように目を閉じる。 緊張で震える手を押さえながら、わずかに頷いた。
「……はい……必ず」
夜の空気が、再び張り詰める。
リュアとグレンが視線を交わした瞬間、地を這う呪気が再び蠢き始めた。
リュアは身を翻し、再び前線に出た。
刃が風を裂き、ベイルの膨張した腕を受け流す。
その衝撃だけで地面が抉れ、瓦礫が弾け飛ぶ。
リュアの双剣は重い一撃を流し、いなしては打ち返す。
背後では、グレンが闇の障壁を重ね、呪気の波を防いでいた。
黒と灰の魔力が幾重にもぶつかり合い、火花のような閃光が夜の闇を裂く。
幾度かの応酬ののち――
二人の視線が、同時に一点へと向いた。
「……っ」
リュアの瞳がわずかに見開かれる。 ベイルの胸元――魔道具の光が、一瞬だけ不安定に揺らいだのだ。
「リュア……」
「うん……ベイルの魔力出力が上がったときだね」
魔道具と肉体を結ぶ融合が、暴走により一瞬だけ歪んだ。
そのわずかな“隙”を、二人は逃さなかった。
「……あいつの魔力を暴れさせよう」
グレンの低い声が響く。
「俺が受け止める」
リュアは片方の剣を構え直しながら、横目で彼を見た。
「……あの魔道具の力だと、かなりの魔力量になるよ? いける?」
グレンは短く息を吐き、わずかに顎を引いた。
「問題ない」
リュアはその返答に、ふっと口元を緩めた。
「……愚問だったね」
彼女は再び足を踏み出す。
双剣の刃が地を切り裂くように走り、まっすぐベイルへ向かっていった。
「ベイル!」
鋭い視線が交錯する。
「キミは……裏切られた過去を言い訳にしてる。でも、それで全部を壊す理由にはならない」
ベイルの歪んだ口角がぴくりと震える。
「なん……ダと……?」
リュアは構えを崩さず、静かに言葉を重ねた。
「本当は――あの時、自分の“力が足りなかった”ことを、後悔してるんじゃないの?」
ベイルの目が一瞬、揺らぐ。
リュアはその隙を逃さず、冷たい声で続けた。
「……それを、壊すために使うなんて。――虚しいだけ」
その言葉に、ベイルの全身がビクリと震えた。
歯を軋ませ、血走った瞳でリュアを睨みつける。
目には、怒りとも悲しみともつかない濁った光が宿っていた。
「貴様……ガ……なにを……!」
声が怒りと狂気で歪む。
「俺の何を知ってる……ッ!!」
リュアは刃を交わしながら、静かに吐息をついた。
「……後悔するほどの想いがあったなら、力をつけて――“守るため”に使うことだってできたはずだ」
言葉には、怒りよりも深い哀しみが滲んでいた。
「復讐じゃなく、誰かを救うための力にだって、変えられた。……それを選ばなかったのは、キミ自身だよ」
短い沈黙。
そして、リュアは微かに口角を上げた。
「……本当の力っていうのはね、誰かを守るために使うものなんだよ」
その一言に、ベイルの瞳が一気に狂気で染まった。
「選ばれた……人間が……わかったような口をきくなァアアアアッ!!」
咆哮とともに、黒い靄が爆発的に膨張する。
地面を這うように集束し、リュア一点へと一直線に放たれた。
それは、空間そのものを呑み込むほどの呪力の奔流だった。
リュアは短く息を吐き、わずかに口角を上げる。
その笑みは挑発的で――どこか、哀しげでもあった。
「……選ばれた人間、か」
誰にも届かぬほどの小さな声で呟いたその瞬間。 彼女の前へ、黒い影が音もなく滑り出る。
「下がれ、リュア」
グレンが大剣を持った腕を振り抜く。
闇が爆ぜ、呪いの奔流を呑み込むように押し返した。
膨大な呪気が激突し、轟音が大地を震わせる――が、グレンの姿は微動だにしない。
闇の魔力が波紋のように広がり、靄を押し潰していく。
その余裕ある佇まいに、彼の力量の差が明確に現れていた。
轟音が静まり、闇の奔流が霧散する。
グレンの掌から漏れる闇の魔力が、まだ空気を震わせていた。
そのわずかな揺らぎの中――アナスタシアが目を見開く。
ベイルの胸に埋め込まれた黒い魔道具の光が、不規則に瞬いていた。
融合が、わずかに緩んでいる。
「……今……!」
アナスタシアが杖を握り直す。 眩い聖光がその先端に収束し、夜闇を白く照らした。
次の瞬間、 鋭い光が一直線に放たれた。
それは光の槍にも似た純白の奔流――解呪の魔法が、真っ直ぐにベイルの胸へと突き刺さる。
「――っ!」
衝撃が走る。
光が命中した瞬間、ベイルの体が大きく仰け反った。
焼けるような音が響き、魔道具の周囲から黒煙が立ち昇る。
だが――。
「……っ!?」
アナスタシアの目が見開かれる。 放った光が、逆に黒い瘴気を帯び始めた。
魔道具の中から溢れ出した呪いが、聖なる光を侵食していく。
「……これは……!」
黒が白を食い、光が濁っていく。
アナスタシアは歯を噛みしめ、杖を握る手に力を込めた。 聖光が押し返そうとするたび、呪いがさらに深く喰らいつく。
「オレハァ……ギルドヲォ……ッ!」
ベイルの口から、もはや人間とは思えぬ濁声が漏れた。
「ボウケンシャァ……ヲォ……ユルサナイィィィ……!!」
その声は呻きとも叫びともつかず、怨嗟そのものが響くようだった。 呪気が渦を巻き、ベイルの全身がさらに膨張していく。
「アナスタシア!」
リュアが叫んだ。
しかし、解呪の光が侵食されていくところに、彼女は手を出せない。 もし下手に干渉すれば、呪いが暴走し、ベイルを殺してしまう。
グレンもまた、拳を握りしめたまま、表情を動かさなかった。 だが、その背後にある決意は一つだった――。
(もし、アナスタシアが呑まれるようなら……止める)
リュアもまた、無言で同じ覚悟を抱いていた。 その瞳に宿るのは、決意と静かな覚悟の光。
ベイルをどうにか“生かして止める”という信念と、
いざという時にはその命を断つ覚悟――二つの意志が、矛盾なく同居していた。
アナスタシアは震える手を胸に引き寄せる。
(……これは、私がどうにかするしかない)
息を吸い込み、ふっと静かに吐き出す。
心を整え、魔力の流れを一点に絞る。 杖の先が再び光を帯び、淡い聖紋が空気に揺らめいた。
(ベイルには――生きて、罪を償わせなくては……)
アナスタシアの瞳が、確かな意志の色を帯びる。
黒と白のせめぎ合いが、夜の広間に響く。 その光と闇の境界に、誰もが息を呑んで立ち尽くしていた。




