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鍵と光の希望  作者: SUZU
2章:沈黙の街
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沈黙の街25

 そのとき――

 小さな気配が、広間の隅で揺れた。



 「ん……これは……一体?」



 受付カウンターの近くで、ゆっくりと身体を起こす女性の姿があった。

 落ちた書類の山に背をもたせかけるように倒れていた彼女は、頭を押さえながらぼんやりと辺りを見渡している。



 リュアはすぐにその姿に気づき、静かに視線を向けた。

 ――あのとき、ベイルの不正の証拠に繋がる“手がかり”をこっそり渡してくれた、あの女性だ。



 「目が覚めたんだね」



 声をかけると、女性は驚いたようにリュアを見つめ、それから小さく頷いて立ち上がる。

 ふらつきながらも、結界を維持したまま動けないリュアのもとへ、ゆっくりと歩み寄ってくる。



 「今は……どういう状況でしょうか……?」



 掠れるような小さな声。

 だがそこには、かつて受付で会話を交わしたときのような不自然な緊張はなかった。

 周囲を一瞥し、正確に状況を把握しようとするその瞳には、確かな意志が宿っている。



 リュアは、その姿にわずかに目を細めた。

 ――そう、彼女は最初に会った時から、緊張しつつも常に周囲を見ていた。

 ただ怯えているだけではない。必要な情報を冷静に整理し、慎重に判断して行動していた。

 ……優秀な職員だと、そう思った。



 リュアは簡潔に、ここまでの経緯を彼女へと伝えた。

 ベイルの企み、爆発――そして今も外へ続く道を塞ぐ結界の障壁のことまで。

 女性職員は、黙ってそれを聞いていたが、やがて小さく呟いた。



 「……ベイルが……そんなことを……」



 控えめだった彼女が、珍しくわずかに表情を歪める。

 その瞳には、抑えきれない怒りの色が浮かんでいた。

 そして、リュアの方へと向き直り、静かに名乗った。



 「私は、イレーネ・ヴェイスと申します」

 「リュアさんは……失踪した職員の噂はご存じでしょうか?」



 その表情は、どこか哀しみを含みつつも、真剣だった。

 リュアは目を伏せ、ゆっくりと頷いた。



 「……何か……決定的な帳簿の証拠を掴んだんだろうけど……誰かに伝えようとしたところで、おそらく――」



 そこまで言って、ふと目線を落としたまま、言葉を切る。



 「……はい」

 「彼は、ベイルがレーンハル支部長に就任してからすぐに、ずっとやり方に違和感を感じていて……独自に調査していたんです」



 イレーネの声が、かすかに震える。

 だがその目は、決して逸らさずに前を見ていた。



 「……私の……恋人だったんです」



 リュアは、その言葉に思わず目を見開いた。何かを言おうとしたが、すぐには声が出なかった。



 「彼は……本当に誠実な人で……。何かがおかしいと感じたら、見過ごすことができない性格でした」



 静かな広間に、イレーネの言葉が静かに響く。



 「私が、危険かもしれないと止めても……彼は、真実を明らかにしない限り、職員も冒険者も犠牲になるかもしれないって……」



 そっと瞼を伏せるようにして、彼女は言葉を継いだ。



 「それでも、私のこともちゃんと気にかけてくれていて……何かあったときに備えて、調査のことをこっそり私にだけ伝えてくれていました。夜遅く、誰にも気づかれないように……そっとメモを渡してくれたりして……」



 イレーネの表情に、苦しさとともに、どこか誇らしさがにじんでいた。

 静かな広間の中で、二人の視線が重なる。

 イレーネは一度、瞳を伏せ、わずかに震える声で口を開いた。



 「……ベイルの証拠……見つけることはできましたか?」



 リュアは小さく頷き、結界を維持したまま静かに答えた。



 「うん。隠し棚の中にあった記録帳……今、私の手元にあるよ」



 その答えに、イレーネは両手を胸元でぎゅっと握りしめた。

 一度、視線を落として息を整える。そして、再び顔を上げ、リュアをまっすぐに見つめる。



 「私は……ベイルを、絶対に許せません」



 抑えていた感情が、言葉の端々ににじんでいた。



 「この状況でお願いするのは、本当に差し出がましいことかもしれません……でも、どうか……どうか、ベイルを――逃がさず、罰してくれませんか?」



 必死に押し殺していた感情が、そこにはあった。

 リュアは、その真剣な願いにわずかに目を見開く。

 けれど次の瞬間、柔らかく目を細め、静かに、そして力強く頷いた。



 「……私も、ベイルのやってきたことは――絶対に許せないと思ってる。……だから、必ず捕まえる。どんな手を使ってでも、止めてみせるよ」



 その言葉に、イレーネの顔が、ぐしゃりと崩れる。



 「……ありがとうございます……」



 絞り出すような声には、涙とともに安堵の響きが滲んでいた。

 それでも彼女は、かすかに笑っていた。悲しみを抱えながら、それでも前を向こうとする者の、強さを携えて。

 リュアもまた、そっと微笑み返す。



 ――そのときだった。



 広間の静けさの中で、淡い光がふっと揺らいだ。

 グレンの胸元に、魔導印が淡く輝く。



 「……レイからの通信だ」



 低く呟くと、グレンは胸元から魔導印を取り出し、届いた内容に目を通す。

 そして、わずかに表情を曇らせた。



 「……ベイルとの戦闘が始まったそうだ」



 その一言に、リュアの顔からも微笑みが消える。



 「……そう、始まったんだね……」



 呟きながら、視線を横に移す。結界の構造に全神経を注いでいるアナスタシアの背を、静かに見つめた。



 「……アナスタシアを、信じよう」



 その言葉と同時に、リュアの眉がわずかに寄った。

 空気の底を這うような、冷たい“靄”の気配――。



 それは、遠く離れた場所で蠢く呪属性の魔力だった。

 グレンもまた、同じものを感じ取ったのか、わずかに目を細める。



 けれど――今は、アナスタシアが結界を解いてくれると信じて待つしかなかった。



 彼女なら、きっと道を拓いてくれる。あの並外れた力を持つ聖術師ならば、皆を外へ導いてくれると。



 だからこそ、焦りを胸に押し込めて、リュアは再び前を向いた。


***


 静寂に包まれた夜の路地。

 その中で、黒い靄が波のようにうねり、地面を這い、空気を侵していく。



 前衛の三人――ミリア、ジーク、ライナが先陣を切る形で構えを取っていた。



 その背後では、ノエルとサーシャが呪具から放たれる靄に対して、魔法による防御を展開している。



 「“遮陣グラウ・バリィ”――っ!」



 ノエルが地面に杖を突き立て、土の波動を帯びた防壁を構築する。



 「……“氷壁フリーズ・スクリーン”!」



 サーシャもまた、冷気を込めた氷の障壁を重ねるように張り巡らせた。

 二人の魔法が黒い靄を受け止める壁となる。



 「いける、ノエル。抑えられてる!」

 「油断しないで。呪いの強度がどんどん高くなっている。長くは保たないよ……!」



 そしてその隙に、レイの矢が風を裂いて飛ぶ。

 狙いは、ベイルの手にある呪具――



 「っ……!」



 しかし、矢が届く寸前、空中で紫がかった光が瞬き、透明な結界が出現する。

 弾かれた矢が虚しく空を裂いた。



 「……視界の外からも、全部防がれてる……」



 レイがわずかに目を細める。

 ミリアとライナが地を蹴り、ベイルに迫る。

 ジークも風を纏い、続いた。



 「はあっ!」



 ミリアの剣が振るわれ、火花とともに火属性の刃が閃く。



 「どけぇっ!!」



 ライナの斧が唸りを上げて叩きつけられる。

 だが――



 「無駄だ」



 ベイルの剣が、鋭く、無駄のない軌道でその全てを捌いていく。

 同時に、後方から放たれたジークの風刃が背後から襲いかかる。

 しかし、それもまた空間に浮かぶもう一つの魔道具から光が瞬き、結界が展開される。



 「くっ……っ、あの結界……厄介だね……」



 ミリアが息を吐きながら、悔しげに呟いた。



 「攻撃しても攻撃しても……ベイルに届かなくてイラついてくるぜ……!」



 ライナの声には怒りと焦りがにじむ。

 そのとき、ジークが短く言った。



 「ミリア、ライナ――俺が正面から陽動する。その間に、空中から狙ってくれ。防御の反応が分散すれば、一瞬は……隙ができるかもしれない」



 「わかった! やってみるよ!」



 ミリアが頷く。



 「おう、任せな!」



 ライナも戦斧を構え、気迫を込める。

 ジークは素早く詠唱を区切り、魔法を放つ。



 「“旋斬風刃ウィンド・スライサー”!」



 鋭い風刃が、ベイルに向けて一直線に飛ぶ。

 ベイルがちらりとそちらに視線を向けた瞬間――



 「今だ! “翔風スカイ・スラスト”!」



 ジークの足元から風の柱が巻き上がり、ミリアとライナの身体が一気に宙へと跳ね上がる。

 二人の影が空中で交差し、剣と斧が月明かりに閃く。



 だが――



 ベイルの周囲に展開されていた魔道具の結界が、再び淡く層を変え、二人の斬撃を遮った。



 「……っ、届かない……!」



 ミリアの声が悔しげに漏れる。



 「くそっ……これでも防がれるのかよ……!」



 ライナが地面に着地し、悔しさを隠せず舌打ちをする。



 ――その瞬間だった。



 「甘い」



 ベイルが低く呟き、右手を掲げる。

 そこから溢れ出したのは、さきほどとは比べものにならないほど濃く、重い“靄”。



 それは獲物を逃がさぬ闇の槍のように、



 ノエルとサーシャ――二人の術士を、真っ直ぐに貫かんとしていた。



 夜の空気が震える。

 その冷たい静寂の中、圧倒的な呪いの気配が、牙を剥く。




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