沈黙の街21
そのころ、ジークたちが夜の街路を歩いていたのとほぼ同じ時間――
ギルドの広間に、ざわめきが満ちていた。
壁際に設けられた壇上に、一人の受付職員が立ち、小さく咳払いをしてから声を張った。
「皆さん、お待たせしました! 本来であれば、支部長が開会の挨拶を行う予定でしたが……」
一拍置いて、職員はやや声を落とす。
「先ほど連絡が入りまして、今夜は少し遅れるとのことです」
場内にざわつきが広がったが、それを見越してか、職員はすぐに続けた。
「ですが、支部長のご意向で、先に祝賀会を始めていてほしいとのことです。料理もお酒も、今夜はすべてギルドの奢りです!」
その言葉を皮切りに、歓声が上がった。
「やった!」
「これ全部タダなのかよ!」
「今日は飲み明かすぞ!」
――あちらこちらで杯が打ち鳴らされ、並べられた豪華な料理と酒のもとに、冒険者たちが集まりはじめる。
そんな喧騒の中、人混みから少し離れた場所――広間の片隅に立つのは、“フローネ”の四人だった。
「支部長不在のまま……祝賀会が始まったね」
アナスタシアは、賑わう会場を見つめながらぽつりと呟いた。
白の術衣の袖をそっと握りしめるような仕草には、言葉にしきれない違和感がにじんでいた。
「……アナスタシアの違和感、あながち間違いじゃなさそうだな」
エイドが短く言う。
壁に背を預け、腕を組んだまま目を細める彼の表情には、観察する者の冷静さがあった。
「楽しげな場にしておけば、誰も深くは考えない。――よくできてるよ」
シルフィが、静かに吐き出すように言った。
その声音には疲れがあったが、核心を見抜こうとする眼差しには、芯の強さが宿っている。
そのとき、ロイが料理の並ぶテーブルから戻ってきた。
皿に数品をのせ、そのうちの一つをアナスタシアに手渡す。
「とはいえ、何か起きたときに動けなかったら元も子もないからな。ここはしっかり食事をとっておこう」
そう言って、ロイは穏やかな笑みを浮かべた。
その笑みにつられるように、他の三人の表情も、わずかに和らぐ。
緊張を解いたわけではない。
ただ、この先の“何か”に備えるためにも、今だけは静かに備える――そんな、暗黙の合意がそこにはあった。
***
ギルドから一定の距離を取った位置――だが、その建物の一部が、木々の隙間からかろうじて視界に入る。
街路樹の並ぶ広場の端、薄明かりの街灯の下で、ミリアたち三人は視線を交わしながら、低い声で確認を重ねていた。
「……ベイル……今夜、動くつもりってことだよね」
ミリアが口を開くと、レイが軽く頷いて答える。
「グレンさんから、記録室に忍び込むって伝えられた。リュアさんと二人で、証拠を押さえるつもりらしい」
「それで、俺たちにはギルドの外の見張りを頼まれた。特に――ベイルに動きがあれば、それを最優先で報告しろってさ」
その名を聞いた瞬間、ミリアとサーシャの表情がわずかに引き締まる。
「……本来なら、三方向に分かれた方が効率はいい。けど、今回は不確定要素が多すぎる。だから“三人でまとまって行動しろ”って指示だった」
冷静な目が、街の影を静かに捉えていた。
レイはわずかに空を見上げた。雲が切れ、月が街路を淡く照らしている。
そして、口元を引き結ぶようにしてつぶやいた。
「……動き出すのが、想像以上に早かったな」
「うん。きっと、今夜が“境目”なんだと思う」
ミリアが静かに頷き、胸の前で手を軽く握る。
「気を抜かないでいこう。私たちも、任されたからにはちゃんとやらなきゃ」
「そうだね。観察と、警戒。そして、判断」
サーシャも真剣な声で続ける。
三人の視線が合い、無言のうちに呼吸を整える。
風がわずかに枝葉を揺らし、街の奥から祭り囃子のようなざわめきが微かに響いていた。
その中で、彼女たちは街の闇に目を凝らし、危機の前触れを見逃すまいと動き始めた。
――その時だった。
ギルドとは逆方向、つまり彼らの背後――通りの奥から、駆ける足音が聞こえた。
レイが即座に気配を察知し、軽く手を上げてミリアとサーシャに合図を送る。
全員が身を低くし、音の主を警戒して視線を向けた。
だが、すぐにその緊張は別のものへと変わる。
「……ジーク?」
ミリアが小さくつぶやいた。
石畳の通りを駆けてきたのは、レグナムの三人――ジーク、ライナ、ノエルだった。
三人とも表情に焦りを浮かべながらも、なるべく人目に触れないよう、小道を縫うようにして走っている。
やがてルセリアの三人の元へとたどり着き、ジークがわずかに肩で息をしながらも、努めて落ち着いた声で言った。
「ベイルが……ギルドを、爆破するつもりだ」
「……は?」
思わずミリアが声を漏らす。
「間違いない。俺たち、自分の目で見た。ベイルは、黒いフードを被った男と……密談していたんだ。そいつから、“魔道具”を受け取ってた。“これさえあれば、どんな強者でも壊せる”って……」
ジークの言葉には、まだ動揺が混じっていたが、その目は真剣だった。
「そして……ベイルは言った。“これからギルドは盛大に爆発される”って……パーティの真っ最中に、だ……!」
沈黙が走った。
サーシャが顔をこわばらせ、ミリアが拳を握り締める。
だが、次の瞬間には、レイが冷静に行動に移っていた。
彼はすばやく魔導印を取り出し操作した。
「リュアさんに報告しておいた。ギルド内の方はあの二人なら対処できるはず」
その瞬間だった。
ギルドの建物全体を包み込むように、ぞわりとした気配が走る。
夜空に溶け込むはずの空気が、一瞬にして硬質な膜に変わったかのようだった。
「……っ、今のは……!」
ミリアが振り返ると、ギルドの外壁に淡い白銀の幕が浮かび上がっている。聖属性特有の清浄な気配――だが、そこから滲むのは冷たい圧迫感だった。
ジークが息を呑み、低く叫ぶ。
「なっ……! 結界だと?!」
レイは目を細め、即座に状況を読み取った。
「……冒険者を外に出さないつもりか……!? 閉じ込めて、一気に……!」
ライナが奥歯を噛みしめ、拳を震わせる。
「確実に大人数を殺すために、ここまでやるかよ……!」
サーシャもまた蒼白な顔で声を絞り出す。
「それだけじゃない……ベイルがこれまでやってきた悪事の証拠も、一緒に吹き飛ばされる……!」
ノエルが険しい表情でつぶやく。
「それに……このまま、ベイルは逃げるつもりかもしれない……」
ミリアはすぐに顔を上げ、鋭く声を張った。
「急がなきゃ! 早くっ! ベイルを探し出さないと……!」
結界に閉ざされた夜の街で、彼らの胸に走ったのは、恐怖ではなく苛烈な危機感だった。
***
ギルドの奥まった一角。人気のない廊下を進んだ先、リュアとグレンは、重厚な鉄製の扉の前に立っていた。
本来、この記録室に立ち入ることができるのは、支部長ただ一人のみ。
鍵も、ギルドの規定により本人が常時携帯することになっており、内部の情報を保護するための厳重な管理体制が敷かれている。
扉の鍵穴は特殊な形状をしており、複数のピンを特定の順序で正確に動かさなければ開かない、構造の複雑なものだった。
グレンは無言でその構造を読み取り、わずかに目を細める。
そして、闇属性の魔力を指先に纏わせると、鍵穴にそっと手をかざした。
滲み出した魔力が静かに滑り込み、精密に内部をなぞっていく。
やがて、重く閉ざされていた扉が、わずかな軋みを立てて開いた。
ふたりは、静かにその中へと足を踏み入れた。
「……さて、ここから証拠を探すのだけど」
リュアの視線が、部屋の中をゆっくりと見渡す。
記録棚が隙間なく並ぶ室内には、年代ごとに積み重ねられた帳簿や報告書、巻物、古い紙束などが無数に保管されていた。圧倒的な情報量に、思わず息を呑みそうになる。
「やみくもに探しても、キリがないね……」
そうつぶやきながら、リュアは腰のポーチから、小さく折りたたまれた紙を取り出す。
それは、先ほどギルド受付の女性職員から渡されたものだ。
ぱり、と音を立てて紙を開く。
グレンも隣から、その紙面に目を落とした。
しかし――そこには、何も書かれていなかった。




