沈黙の街20
夜の帳が街を包む頃、リュアとグレンは再び中央広場を訪れていた。
昼間とは打って変わって、噴水の周囲には人の姿もまばらで、静かな水音だけが響いている。
そんななか、リュアはふと足を止め、にこっと柔らかく笑った。
「そしたら――ギルドに潜入しよっか」
その口調は、まるで“今から夕食でも行こう”というくらい、あまりにも自然体だった。
グレンは一瞬沈黙し、それから呆れたように眉をひそめる。
「……唐突すぎるだろ」
「でも、グレンもそのつもりだったでしょ?」
リュアは肩をすくめてそう言いながら、真正面からグレンを見つめる。
グレンは軽く息を吐くと、夜風を感じるように視線を外した。
「……まあな。このタイミングで祝賀会。何も起きないほうが不自然だ」
リュアは表情を引き締め、真剣な声で言葉を継ぐ。
「ギルドの記録室で、ベイルを取り抑えられるような証拠を探す。……同時に、何か起きたときの対処も必要になる」
グレンは短く頷いた。
それを確認したリュアは、ひと呼吸置いてから言う。
「そしたら、向かおうか」
二人は無言のまま歩き出した。
ギルドの建物は、通りから見る限り、まるで何も異常のない華やかな宴の場のように見えた。
正面玄関には明かりが灯り、祝賀会の準備と思しき活気がかすかに漏れている。
だが―― 裏手に回った瞬間、空気は一変する。
建物の影に隠れるようにして広がる路地裏は、人気もなく、ひっそりと静まり返っていた。
通常業務を終えた職員たちは皆、広間での催しに集まっているのだろう。
灯りも人の気配もなく、今のこの空間にあるのは、夜の冷たさだけだった。
リュアとグレンは、物音を立てぬよう身を屈めながら、裏口の扉へと近づく。
リュアは足を止めると、腰のポーチから細工用の器具を取り出した。
「さてと……。鍵開けるの、ちょっと時間かかると思うから――グレン、周りの様子見ててもらえる?」
だが、グレンはあっさりと言ってのけた。
「……闇魔法ですぐに開けられるぞ」
その言葉に、リュアはぽかんとした顔でグレンを見上げる。
「……え?」
リュアは動きを止め、ゆっくりとグレンの方に顔を向ける。
目をぱちぱちと瞬かせながら、無言のまま数秒、凝視。
「……闇魔法……便利すぎない……?」
隣で、グレンがほんのわずかに視線をそらす。
「……まあ……便利ではあるな……」
声は淡々としていたが、どこか気まずげな間があった。
リュアは器具をしまいながら、皮肉を込めた笑みを浮かべる。
「へぇ……いいなぁ、闇魔法。……一体その技術を使って、今までどこに潜入してきたのやら……?」
グレンは少しだけ間を置いて、ぽつりと答える。
「……深夜の……誰もいなくなった図書館に……」
言葉が終わると、しばし沈黙が流れた。次の瞬間、リュアが堪えきれずに吹き出す。
「――ふふ、それは大事な潜入だね」
軽く肩を揺らして笑いながら、少しだけ口調を和らげる。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
グレンは無言でうなずくと、右手を鍵穴の上にかざした。
その指先から、黒く揺らめく魔力が細い糸のように伸び、まるで水のように鍵の内部へと流れ込んでいく。
リュアはその様子を静かに見つめていた。
一見すると、簡単な魔力の操作で鍵を開けているように見えるが、実際には――構造の中に張り巡らされた極小の部品を、一つひとつ確実に認識し、魔力でなぞり、導く必要がある。
それは、常人では到底たどり着けない、極めて繊細な魔力操作だった。
「……開いた」
カチリと小さな音が鳴り、扉がわずかに軋む。
リュアは短く言葉を発した。
「行こう」
二人はそのまま無言で中へと入り、慎重に扉を閉めると、闇に溶け込むようにしてギルドの記録室へと足を進めていった。
***
夜の街路を、三つの影が無言のまま歩いていた。
誰も口を開こうとはしなかった。
それぞれの思考が、それぞれの深さで沈んでいたからだ。
リュアの放った、あの圧倒的な“領域”。
反論を許さない静謐な怒気とともに放たれた問いかけは、言葉以上の何かを突きつけてきた。
――お前たちは、“力の意味”を知っているのか?
そして、ミリアが語った“Aランク冒険者”の話。
力を誇示することばかりを追い、やがて他人を壊すようになった男。
人であることを捨てるようにして暴走し、それでもリュアは彼を殺さず、“閉境塔”へと送ったという。
――間違った強さの先にあるのは、誰にも守られず、誰も守れない存在だ。
銀髪の青年――ジーク・バルタスは、夜空を見上げていた。
昔感じていた“冒険者への憧れ”は、いつから“目標を超えるための手段”になっていたのか。
リュア・ゼフィラという“実在する伝説”の前に立った今、自分の焦りと傲りを否応なく見つめるしかなかった。
前を歩くライナ・コルトは、拳を握っていた。
信じていた。力こそ正義だと。
だが、彼女が放った気配には、暴力ではない“信念”の重さが宿っていた。
あれを見てなお、自分は“腕っぷし”だけで語り続けられるのか――。
ノエル・フィンは、誰にも聞かれないように、小さく息をついた。
あの瞬間、リュアが放った気配――言葉すら必要としない、強烈な“圧”が、心を揺さぶった。
他人を押し退ける強さではなく、誰かの痛みを背負える強さを――自分は、きちんと見てきただろうか。
現実主義を掲げていたはずの自分が、一番現実を見ていなかったのかもしれない。
彼らはただ、歩いていた。
行き場のない感情を胸に、それでも一歩ずつ、夜の街路を進んでいた。
もうすぐ宿に着く――その時だった。
ジーク・バルタスが、ふと足を止めた。
街灯の切れ目、薄暗い建物の影。
そこに、不自然な気配があった。
目を凝らすと、路地の奥に立つ二つの人影――一人は、見覚えのある男。黒衣に身を包んだ、ギルド支部長ベイル。
そして、その正面に立つのは……黒ずくめの衣と深く被ったフードに顔を隠した、明らかにただ者ではない雰囲気をまとう人物だった。
ジークは嫌な予感に背筋を冷たくしながら、低く、しかし冷静な声でつぶやいた。
「……あれ、ベイルだ。妙な奴と話してる……ライナ、ノエル、こっちへ」
壁際へと身を寄せるように促す。
ライナとノエルも、ジークのただならぬ様子と向こうの異様な雰囲気を察し、すぐに緊張した面持ちで頷く。
三人はその場の空気すら揺らさぬように、静かに身を伏せた。
息を殺し、耳を澄ませる。
「これが、追加の魔道具だ」
フードの男が、低くくぐもった声でそう言った。
「上手く使えば……どんな強者でも壊せる。防御だろうが結界だろうが、関係ない」
金属がわずかに擦れるような音がしたかと思うと、ベイルの手に、それは渡された。
漆黒に濁った光をたたえる、手のひらほどの球体。
表面には不規則な亀裂のような模様が走り、まるで内側から何かが脈打つかのように、不気味な波動を発していた。
ベイルはそれを、目を細めて見つめながら、ゆっくりと握りしめる。
小さく笑ったその口元には、ぞっとするほどの下卑た笑みが浮かんでいた。
「ふふ……いい道具だ。まったく、期待以上だよ」
満足げに道具を懐にしまい、ベイルはあたりを見回す。
「……例の計画は、順調なのか?」
問いかけるフードの男に、ベイルはわずかに肩を揺らして笑った。
「あぁ。祝賀はもう始まってる」
その声に、狂気じみた愉悦が滲む。
「ギルドは今夜、盛大に――爆発してもらうよ。パーティに浮かれた冒険者どもを、まとめて道連れにしてな!」
ぞわり、と冷たい悪寒が背筋を這う。
その瞬間、ライナが小さく息を呑みかけた。
ノエルもわずかに目を見開き、言葉にならない震えが喉元まで迫る。
だが――誰も声を上げなかった。
Cランク、急成長の実力派パーティと呼ばれた彼らは、己の気配を抑えきった。
今この場で気づかれれば、それこそ計画を加速させてしまう。
ジークは手を軽く振り、二人を制する。
(……今は動くな。ここで逃げ延びて、必ず――誰かに伝える)
ギルドが――街が危ない。
張り詰めた沈黙の中、三人はただ、その場に息をひそめ続けていた。
緊迫した時間が、長く感じられるほどゆっくりと過ぎていく。
ベイルと黒衣の男は、しばらく小声で何かを話し続けていたが――やがて、話を終えると静かにその場を離れていった。
音を立てずに消えていく足音。
その背が完全に闇に溶けていったのを確認した瞬間、ジークは深く息を吐いた。
「……行ったな」
小さくささやく声に、隣のライナが顔をしかめる。
「っっ……なんだよ、あれ……正気じゃないだろ、あの支部長……!」
ノエルも震える指先を押さえながら、低くうめくように言う。
「爆破って……冗談じゃないよ……今は祝賀会で大勢の人が残っているのよ……!」
「落ち着け。……誰かに伝えないと。対策が遅れたら、取り返しがつかなくなる」
ジークがそう言って、二人を見る。
ライナとノエルもすぐに頷き返した。
言葉はいらなかった。
――やるべきことは、もう決まっている。
三人は目を合わせると、息を揃えて路地を飛び出す。
石畳を蹴る足音が、夜の静寂を鋭く裂いた。
その足取りには、もはや迷いはなかった。
目指すのは――ギルド。
守るべき場所。警告を伝えるべき相手。
心臓の鼓動が速まる。
頭の中に残るのは――“爆破”という言葉と、あの邪悪な笑み。
(間に合え――!)
夜の街を駆け抜けていく三人の背を、誰も見ていなかった。
だが、彼らの胸に灯った危機感は、確かに次の行動へとつながっていた。




