沈黙の街19
ミリアは、リュアを思い出すように、わずかに顔を上げた。
「その話を聞いて、リュアさんは言ってくれた。“じゃあ、その気持ちをずっと持ち続けて、正しい力の使い方を忘れないって約束できるなら、私が鍛えてあげる”って――そう言って、笑ってくれたの」
そこには、あの頃と変わらぬ、まっすぐな感謝が込められていた。
ミリアはしばらく黙っていたが、やがてまっすぐにレグナムの三人を見つめた。
「それでね……リュアさんが、私たちに“見せてくれたこと”があるの」
レグナムの三人が顔を向ける。
ミリアの声音には、先ほどとは違う、どこか芯を刺すような重みがあった。
「ある日、リュアさんが言ったの。“今のキミたちに、知っておいてほしいことがある”って」
彼女は言葉を選ぶようにゆっくり続けた。
「それで……私たち三人を、とあるクエストに連れて行ったの。相手は、Aランクの冒険者の“捕獲任務”」
「Aランクの……捕獲……?」
ノエルが思わず呟く。Aランクともなれば、その力は街を滅ぼすほどにもなり得る。
そんな相手に、新人だった三人を同行させる――常識では考えられない話だ。
「もちろん、ギルドにもしっかり許可を取ってた。絶対に私たちを危険には晒さないって、リュアさんが保証したうえで。……それでも、あの場に立ち会わせたのには、理由があったんだと思う」
サーシャが、わずかに手を握りしめる。
「その冒険者は、かつてはすごく優秀だった人だったらしい。でも、力に溺れて……仲間を、殺したの」
空気が凍る。
レイも静かに続けた。
「自分の力がどこまで通用するか、そればかりを追い求めて、やがて――力を示すために、他人を壊すようになった」
「リュアさんと戦っていたとき……いや、見ただけでも分かった。見た目は、確かに人間だった。でも……あれは、もう“人”じゃなかった」
ミリアは静かに頷いた。
「あのとき、はっきり分かったんだ。“力”って、ただ強ければいいわけじゃないって。間違った方向に進めば、人はああなってしまう。何も守れなくなる」
ジークたちは、誰一人として言葉を挟めなかった。
真剣なまなざしで語られるそれは、ただの説教でも綺麗事でもない、彼女たちの“現実”だった。
「リュアさんは……その人を、殺さなかった。命を奪わずに捕らえて、“閉境塔”に送った。いまも、そこにいる」
ノエルは、その名を聞いてわずかに目を見開いた。閉境塔――それは、ただの牢獄ではない。
「重罪者や、危険視された高位術者を収監する場所。……でも、再起を望めば、いつか戻れる可能性も残されてる。リュアさんは、そういう場所を選んだの」
ライナの眉がぴくりと動いた。
「それって……」
「そう。リュアさんにとって、“力の使い方”は、その人のすべてを決める尺度なんだと思う。強さを持つことが悪いんじゃない。でも、その力をどう使うか――それが人を人でいさせるための、最後の境界線なんだよ」
ミリアの言葉には、厳しさと、深い優しさが滲んでいた。
「だから、あの人は今も誰かの“手本”でいようとしてる。どんなに強くなっても、力に呑まれず、正しく振るうために。……私たちは、その背中を見てきたんだ」
静かに、言葉が落ちる。
リュア・ゼフィラという存在が、ただ強いだけではない、“信じる強さ”を持っているのだということを――その場の誰もが、ようやく理解し始めていた。
「もし迷うことがあったら、思い出して。本当に大切なものって、壊すことで手に入るものじゃないから」
静かに、けれどしっかりとした声音で、ミリアは言葉を残した。
サーシャとレイも、何も言わずにレグナムの三人を見て合わせ頷く。
それぞれに小さく息を整えると、迷いのない足取りでギルドの出口へと向かっていく。
目的を持つ者の歩み――けれど、それが何であるかを、誰も口にはしなかった。
その後ろ姿を、レグナムの三人は無言で見送った。
しばらくの沈黙ののち、彼らはお互いに目を合わせる。
だが、彼らの顔に浮かぶのは、先ほどまでの威勢ではなかった。
深く、思考を沈めるような色――揺らぎと、自問の残滓が滲んでいる。
「……祝賀パーティ、って雰囲気でもないな」
ライナがぽつりと呟く。
「……今日は、宿に戻ろう。冷静になって考えたい」
ジークの言葉に、ノエルとライナも無言で頷いた。
レグナムの三人もまた、黙ってギルドを後にする。
扉を開け、夜の街へと歩き出した。
ギルド内の空気は、徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。
興奮と混乱に包まれていた空間には、いつしか静けさが戻り、各々が席へと戻っていく。
明かりの下で交わされる小さな会話が、ようやく普段の広間らしいざわめきを取り戻していた。
そんな中、受付前に立つ四人の冒険者たち――フローネの一行は、手続きを終えた後もその場から離れずにいた。
彼らの視線は、つい先ほどまで賑わっていた広間の一角――リュアやミリアたち、そしてレグナムの面々のやり取りがあった場所を、静かに見つめていた。
ロイが大きく背伸びをしながら、ぽつりと口を開く。
「そろそろ、俺らも宿に戻るか。今日はもう、体がガタガタだ」
その声音には、冗談めかしながらも、心からの疲労が滲んでいた。
シルフィが小さく笑い、肩をすくめる。
「うん……本当に死にかけたしね。ちゃんと休んで、次に活かさないと。あれを無駄にしちゃいけない」
その笑顔には悔しさも混じっていたが、どこか前を向いた意思も宿っている。
そんな二人の声を受けながら、アナスタシアはふと視線を巡らせた。
広間全体を見渡すように目を動かし、そして何かを思うように、ほんのわずかに眉根を寄せて立ち止まる。
彼女の表情には、かすかな迷いと、別の思考へと沈んでいく気配が宿っていた。
その様子に、隣のエイドが気づき、静かに声をかけた。
「……アナスタシア? 何か気になることでもあるのか?」
彼の声に、ロイとシルフィもアナスタシアの方へと視線を向ける。
アナスタシアはゆっくりと顔を上げ、少しだけ逡巡してから口を開いた。
「ちょっと、気になることがあって……。迷宮での出来事、リュアさんたちが調べている“クエストの難易度乖離”の件……それに、これから始まる祝賀会。……今夜、大きく事態が動くかもしれない、って……そんな気がしてならないの」
その言葉に、三人は表情を変える。軽口を交わしていた雰囲気が、一気に引き締まるのが分かった。
アナスタシアは眉を下げ、小さく息をつきながら続けた。
「……でも、これはあくまで私の憶測にすぎない。何も起きないかもしれないし……杞憂だったら、それに越したことはないんだけれど」
シルフィはすぐに、柔らかな笑顔を浮かべて言った。
「アナスタシアが“気になる”って言うなら、それだけで十分だと思うよ。きっと何かあるんだよ、うん」
ロイも、真剣なまなざしで頷く。
「そうだな。……今日のことを思い返せば、このギルドが何かしらやらかしてても、まったく不思議じゃない」
エイドは腕を組み、静かに結論を出した。
「……そういうことなら、俺らは祝賀会に参加しよう。警戒はしておくに越したことはない」
アナスタシアが、少しだけ目を伏せて、ぽつりと呟く。
「……疲れてるのに、こんな話をしてごめんね」
その言葉に、ロイはむしろ楽しげに肩をすくめた。
「何言ってんだよ。今までだって、アナスタシアがしっかり周りを見てくれて、何度助けられたことか。それにさ、何も起きなかったら起きなかったで、それはそれでいいんだし。気にすんなって」
その横で、シルフィは明るい笑みを浮かべ、エイドは静かにうなずく。
三人のその様子に、アナスタシアの表情がふっとやわらぐ。
「……みんな、本当に……ありがとう」
彼女の口元に浮かんだのは、どこまでも穏やかで、温かい微笑だった。




