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鍵と光の希望  作者: SUZU
2章:沈黙の街
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沈黙の街18

 ジークが、冷ややかな声音で、まるで最後の一撃を打ち込むように言葉を放つ。



 「……結局、本当は自信がなかったんじゃないか? 仲間に迷惑をかけるのが怖くて、一人でいた。――誰かを守れずに、何かを失ったとかさ」



 その瞬間――空気が変わった。

 リュアが、ゆっくりと一歩、足をずらした。

 剣に手をかけたわけでもなければ、魔力を放ったわけでもない。



 「へぇ……」



 唇に笑みを浮かべながら、静かに視線を上げた。

 それだけで、場が凍りついた。



 「……ッ!」



 誰かの喉が鳴った。息を吸おうとしても吸えず、絞り出された断末魔のような音だった。



 喉が焼けるように苦しく、肺がきしむ。にもかかわらず、恐怖と威圧に支配された身体は、呼吸すら忘れていた。

 冒険者たちはもちろん、ジークたち三人も、その場から一歩たりとも動けなかった。



 ――それが、“本物”だった。



 冷ややかに射抜くような水色の瞳。

 それは怒りではない。“圧”そのもの。



 標的は明確だった。

 レグナム――そして、彼女を侮辱したすべての者。



 その全員に向けられた威圧は、確実に“選ばれた”のだと告げていた。



 ミリア、レイ、サーシャ、アナスタシアやフローネのパーティですら、向けられていないと分かっていても、空気の裂け目に触れたような鋭さを肌で感じていた。



 ただ一人、彼女が、凍てついた空気の中で告げる。



 「じゃあ……私と、戦ってみようか?」



 穏やかな声音だった。

 けれど、あまりにも研ぎ澄まされたその響きは、それ以上の大音声よりも鮮烈に、全員の鼓膜に突き刺さった。



 まるで、心の奥に直接響いたかのように。



 その声音には、どこまでも冷ややかな“余裕”が滲んでいた。

 怒りですらない。ただ、明確に“格”が違うという、残酷なまでの静けさ。



 誰もが直感していた――この女に挑めば、砕けると。

 誰もが、その名を思い出した。



 ――Sランク冒険者。

 リュア・ゼフィラ。



 それは“威圧”ではなかった。

 一種の“領域”。



 生半可な力では、踏み込むことすら許されぬ、格の壁。



 動けなかった。

 身体が、言うことを利かない。



 目の前に立つその女は、ただ視線を向けただけで、空気を凍らせた。

 声を発しただけで、全神経が麻痺するような錯覚に陥った。



 ジーク・バルタスの喉が、わずかに鳴った。

 だがそれは、呼吸をしようとしてもできず、詰まった空気がかすれた音を立てただけだった。



 (……これが……Sランク……?)



 自分の意思ではどうにもならない“格”の差があった。

 その瞳には、こちらの存在すら映っていないかのような静けさが宿っている。



 だというのに――否、だからこそ、逃げ場がなかった。

 それは、圧倒的な“現実”だった。



 ジークの中にあるはずの、揺るがぬ自信。努力の積み重ね。

 それらすべてが、今、この女の“領域”の前では無力だった。



 彼女の言葉、視線、存在――

 そのすべてが、たったひとつの事実を突きつけていた。



 ――お前は、まだ届いていない。

 喉の奥に、何かがせり上がる感覚があった。



 だが、それが何なのかも判然としない。

 悔しさ――そんな感情すら、生まれてこなかった。



 理不尽だと叫ぶことも、己の矜持を盾に抗うこともできない。

 そこにあったのは、ただ一つ。



 ――本能的な恐怖。



 生き物として、絶対に逆らってはならない何かを前にしたときの、根源的な怯え。



 この女の視線が、ほんのわずかでも深く刺さったなら、自分は――砕ける。



 その確信が、全身を貫いて離さなかった。



 静寂の中――その気配を破ったのは、低く落ち着いた声だった。



 「……その辺にしておけ」



 その一言に、リュアの肩がわずかに揺れる。



 次の瞬間、空気から“圧”がすうっと引いていった。

 張り詰めていた糸が切れるように、場が息を吹き返す。



 誰かがその場に膝をつき、別の誰かが小さく咳き込んだ。

 レグナムの三人もまた、凍りついていた身体にわずかな動きを取り戻す。



 リュアはふとグレンに目を向け、微かに口元を緩めた。



 「……お前、いま俺にも向けていただろ」



 グレンの言葉は、問いというより確認だった。

 彼の瞳には、わずかな疑念と、それ以上に理解の色があった。



 「んー、そうかも?」



 リュアは小さく首を傾げ、わざとらしくとぼけたような口調で答えた。

 けれどその直後、いたずらを打ち明けるような笑みを浮かべる。



 「だって、グレンは平気でしょ?あれくらい」



 何の悪びれもなく言い切るその様子に、グレンは小さく息をついた。 



 「……本当に、お前は……」



 呆れとも諦めともつかない声音だったが、そこにとげはなかった。

 リュアは変わらず笑みを浮かべていた。



 先ほどまでの凍りつくような“圧”の気配は、もうどこにもなかった。

 ただ、彼女が「分からせるべきこと」を伝え終えた後の、静かな満足だけが残っていた。



 そしてもうひとつ――



 その“圧”を受けながら、ただひとりとして動じることなく声をかけた男の存在に、誰もが目を見張っていた。



 リュア・ゼフィラがあれほどの威圧を放ちながら、唯一気配を向けることを躊躇わなかった相手。



 その人物が静かに声をかけただけで場の緊張を解いたという事実が、ギルド内にじわじわと広がっていく。



 ――この男もまた、“並”ではない。

 そんな無言の認識が、重く空気に染み込んでいった。



 Sランクの彼女と肩を並べるその姿は、誰の目にも異質でありながら、どこか自然で、確かだった。



 リュアはゆっくりとレグナムの三人を見渡した。

 先ほどまでの笑みとは異なる、どこか静かな優しさを帯びた眼差し。



 だが、それはあくまで、“導く者”としての距離を保ったものだった。



 「……キミたちの大事なものを失う前に、本当の力の使い方を知れるといいな」



 語りかけるような柔らかな声音。

 けれど、その言葉には、確かに突き刺さる鋭さがあった。

 それだけを告げ、彼女は踵を返す。



 ギルドの扉が静かに開かれる。

 夜の帳がすでに街を包み込み、外気はほんのわずかに冷え始めていた。

 灯火のように漏れ出す光に照らされ、リュアの背中が、仄かにその輪郭を浮かび上がらせる。



 そのまま、彼女は振り返ることなく、夜の街へと歩み去った。



 しばしの沈黙――



 そのなかで、グレンがレイのもとに近づく。



 「……少し、話がある」



 レイは視線を上げた。

 グレンの真剣な目を見つめ、短く一度だけ頷く。

 そのまま、ふたりはわずかに距離を詰める。

 グレンは、他の誰にも聞こえぬほどの低さで言葉を紡いだ。



 耳元に届く、ごく短い指示。

 レイの目が一瞬だけ見開かれ、すぐに静かな理解の色に変わる。



 そしてグレンもまた、無言のまま扉へと向かう。

 そのまま、静かにその境界を越え、夜の闇の中へと姿を消した。


***


 リュアとグレンが去った後の静寂を、誰も破ることができなかった。

 レグナムの三人も、ただ黙ったまま、先ほどまでの“圧”の余韻に呑まれている。



 そんな空気の中で、ミリアがふと一歩、彼らの方へと歩み寄った。



 「……ちょっと、いいかな?」



 不意に声をかけられ、ノエルが小さく肩を揺らす。 ジークとライナも、同時に顔を向けた。



 ミリアは怒っているわけでも、責めるつもりでもなさそうだった。

 ふと視線を落とし、少しだけ息を吐いていた。



 そして、穏やかな声音で切り出す。



 「ねえ……ひとつ、昔話をしてもいい?」



 レグナムの三人が顔を上げる。

 ミリアは、どこか懐かしむような口調で続けた。



 「信じられないかもしれないけど、私たち……昔は“落ちこぼれ”だったんだよ。レイも、サーシャも、私も」



 ライナが眉をひそめる。

 ノエルが目を瞬かせ、ジークは無言で表情を引き締める。



 《マグマリザード》のクエストを受け、生還したパーティ――

 ルセリアの三人は、少なくとも自分たちと同程度、あるいはそれ以上の実力を持つと、ギルドの記録で知っていた。



 だからこそ、理解が追いつかない。



 「……でも、あのクエストを達成してたよね? 昨日の記録に載ってた。普通にすごいって思ったし」



 ノエルが困惑気味に口を開く。



 「実力、そんなに変わらなかったはずだよな……」



 ライナが腕を組んだまま、ぽつりと漏らす。

 ジークもまた、目を細めてミリアたちを見やった。

 信じられない――そんな戸惑いが、三人の間に共有されていた。



 「本当に、どうしようもないくらいね。訓練はついていけないし、実戦じゃ逃げ帰ることばっかりだった。何度も“冒険者に向いてない”って言われて、そうして……資格を剥奪される寸前まで追い込まれたの」


 「それって……」



 ノエルが声を漏らす。

 ミリアは小さく頷いた。



 「支部の上層部が『このままじゃ危険だ。見切りをつける』って判断をしたらしくて……。でも、本部の人が止めてくれた。“育てる価値がある”って」


 「……本部の人?」


 「うん。ギルド本部長のディアスさん。私たちは詳しく知らなかったけど、あとで聞いたの。あの人が、支部に指導役をつけるように働きかけてくれたって。で、そのとき来てくれたのが――」



 ミリアは、ほんのわずか微笑んで続ける。



 「……リュア・ゼフィラ、だったの」



 ジークたちの表情が固まる。

 その名は、もう“伝説”としてすでに彼らの中に刻まれていた。



 「最初に言われたのは、すごく厳しい言葉だった。“誰かを守りたくても、救いたくても、実力が伴わなければそれはただの幻想”。……そう、はっきり言われた」



 ノエルが口をつぐむ。

 けれど、ミリアの声にはにじむような強さがあった。



 「でも、それでも私たちは言った。“守れるようになりたい”って。誰かを見殺しにしたくないって。……それだけは、絶対に変えたくなかったから」



 サーシャが続けるように口を開いた。



 「私は……昔、一緒に訓練してた友達がいたの。でも、私の判断ミスで、その子は大けがして冒険をやめちゃって……。あの時、私がもっとちゃんと周りを見ていればって、ずっと思ってたの」



 レイも、少しだけ視線を落としながら言う。



 「俺は、旅の途中で出会った村で、魔物の襲撃に遭った。逃げる子どもを守ろうとしたけど……怖くて、弓を引けなかった。あれは、今でも……後悔してる」



 そしてミリアが小さく笑う。



 「私も……小さいころ、妹を目の前で魔獣に襲われて。叫んで、泣いて、でも体が動かなくて――それが、ずっと心に残ってた」



 三人の言葉に、レグナムの面々は、ただ沈黙するしかなかった。

 そのまなざしの奥で、何かが揺れたようにも見えた――けれど、それが何なのかは、まだ誰にも分からない。



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